悲しみが深いから何度も何度も国に問います 2012/4/9記 | なぜぼくらはおいていかれたの 

なぜぼくらはおいていかれたの 

地球はみんなの星 猫も犬も大きな動物も小さな生き物も人間も 心に感じる思いをまげず ゆうゆうとのうのうと生きる星 

2011年3月11日、東北地方に起きた大地震と津波で、福島原発が壊れ放射能が漏れだしました。
周知の通りいくつかの町の住民は避難を余儀なくされ、そのまま町は警戒区域となり、住民の帰宅はできなくなってしまいました。
野良たちは勿論、飼われていた犬や猫や兎や家畜たちは、誰もいなくなった町に置き去りにされました。


残された動物たちがどうなったか。
レスキューに入った方々の記録によると、繋がれていた犬や室内に閉じ込められていた猫は、四月を待たずして餓死や共食いで死に、
やがて舎屋に入れられていた家畜たちも次々に死んでいったということです。


放されていた犬や猫は、餌も水もないなか、飼い主をさがして無人の町を彷徨い、ある時期まで必死に生きていながらも、
ついに、飢えと乾き、不安と寂しさに多くが力尽き息絶えていったそうです。

田の畔や溝や道端に無残な骸が横たわっていたと。
その数、累々というしかないほどであったと。

いずれもそれら動物たちの死んだ姿は、生きようと懸命にあがいた跡を残していたということです。殆どは骨と皮のようになり、
首輪をつけていた犬や猫たちは、痩せ細ったためにその首輪が首から抜け、腹部にくいこんでいたり、
たすきがけ状になって歩行も困難になっていたと見えるようであったといいます。


また保護した猫や犬は、排泄物は虫の脚などだけであったり、生米を食べていたらしく米の粒の激しい下痢が続いたそうです。
牛のなかには世話をする人間のいなくなったなか出産し、子牛を育てるには食べ物を食べ授乳しなくてはなりませんから、
空の餌箱を死に物狂いで口や頭でつつき、血だらけになった姿もあったそうです。

牛舎に繋がれ動けない牛が、そばの柱を懸命に齧り、歯型のついた細くぐらぐらになった柱の根元に
崩れ落ちた姿も見たそうです。


帰宅の途に就いたレスキューの車を、どこまでもどこまでも追う猫や犬の姿も。
信号もつかなくなった深い闇に閉ざされた夜の町には、犬たちの如何にも人恋しい哀しげな遠吠えがいつまでもいつまでも響いていたと。
飼い主が通って餌を貰える犬の餌箱に近づこうとして、でも金網をどうすることもできず、
ついに金網の小さな穴に鼻面を懸命に入れそのまま身動きが取れなくなり、
息絶えていた犬もいたと。あとわずかでフードに届きそうなまま。

・・・・・・・・・・・・・・・・・。

これら死に至るまであるいは奇跡的に保護されるまでの動物たちの長い苦痛と失意と寂しさを思うと、
哀れで哀れで言葉にならないどうしようもない烈しい痛みがこみ上げてきます。


国はなぜ、”動物も救う”と決断しなかったのでしょう。
決断すれば、その方向に知恵がわき方法も見つかったのではないでしょうか。義捐金も救出のために有効に使えたはずです。
何事も成就させるにはまず決断です。決断すればたいていのことは成就します。それが人間の英知でしょう。


国は、英知に挑むことなく、”動物は餓死でいい”と決めた。
そのことに、国民の多くは、消えようのない傷を受け、未来永劫、癒されることはないでしょう。

少なくとも私は、どう生きていったらいいか前が見えなくなるほどの失意と悲しみにおります。

国に問います。同じことを何度も何度も何度も問います。
これからも結局は”動物は餓死でいい”とされるのですか。まもなく、町は決して誰もが入れないような壁で囲み、
完全閉鎖をするという噂は本当ですか?


その壁の中にまだまだ多くの動物が生きて残っていても、それを決行するのですか?
動物たちがそのような恐ろしい処罰を受ける、彼らはどんな罪を犯したのですか?
ただひたすらに無垢に、人間を愛し、癒し、あるいは人間のために食肉になり実験動物になり、
命も心も人間にくれる尊い存在、正しく言えば人間に全てを奪われつくす
無辜の存在であるだけではありませんか?


それに報いるどころかこれほどの過酷を強いて平然とする国、政治家、官僚の皆様、
あなた方はなにものですか?




2012
48日 記

佐々木和恵@マオアキラ