余分なことを考えないデー2日目 | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

二日間、余分なことを考えないデー…やってみました。
自動的に勝手に考えてしまってる時ってのが、どうしても、出てくるけども。
気がついたらシャットダウンでウインドウを閉じるようにしてました。
バックグラウンドで稼働してる時もあって、なかなか、考え癖ってのは、やっかいなもんです(笑)


このまま、もう少し続けます。



ちょっと、かなり無駄なマイナスに振れてる時がたびたびあって。
どうもこれは、今までの考え癖が作り上げた一種の自動プログラムだなあ…と、思いました。
気がつくようになっただけ、昔よりマシだと思います。


そして、そういう癖に自分で辟易してきた時、久しぶりな方からの数行のメールが来て。
なんだか、籠もった室内に一陣の風が吹き通って、入れ替えていってくれたみたいな感じです。




ある「事象」に対して、過剰だったり、過敏だったり…な反応が多いのだけど。

それも、なんというか…

例えるなら、

「空気中のチリがたくさん舞っている中で映写機を回している」

みたいな感じ。

暗いところを、映写機から出る光が、スクリーンに向かって走っているその光跡に、空中のチリが待っているのが光るでしょ。
そういう感じ。

チリが少ない=空気がきれいなら、舞う(チリの)光は少ない。
逆の時は、光跡の中を舞う小さな反射点は、たくさん見える。


その舞っているチリ達って…自分のモノか…っていうと。
違うよねえ。

どーでもいい、自分で考える必要のないことを、光が当たってるばっかりに、つい、目で追ってしまう…みたいな。

肝心なのはそれじゃなく、スクリーンに映ってる映像なのに。

もっと肝心なのは、それを投射している、フィルムそのもの。



あーもう。
こんな屁理屈自体がもう、どうでもいいし。




なんか、そういう感じ。


ここ数日は、とてもフランクに気心知れてる人の記事か、全然考えなくても大丈夫っぽい日常のことが書いてある記事とか…そんなのしか、拝見してないです。
あ、あと、なんかよくわからないけど、読まずにいられない…っていうブログが今、2、3あって…それも拝見しました。
でも、そこまで。
もう少し、後回しにします。



でも…この1ヶ月くらいの間に、つくづくと、自分は成功を目指すという指向性に乏しいな…ということは、折に触れて実感しています。

自分で仕事をしていこう、という者にとってはこれって致命的かも知れない…と思う一方で。
そもそも、「致命的かも」という風に考えること自体が、すでに、できあがった枠組みの中からの発想だよね、とか思ったり。


…なんて。
考え始めるから。

やめやめ!