シンプルに聞いてみよう! | 手が知っている異界の彩~絵師・緋呂 展示館~

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神・仏・天使。そして、「あなた」の光を、緋呂が描きます。陰陽併せ持つ「人間」の中に、すべては在る。
描くべきもの、進むべき道。すべては、手が知っています。

自分への問いかけは、できる限りシンプルにしよう。

やりたいの?

なりたいの?

ほしいの?



それだけでいいと思う。


答えがYesなら、それを実現するためにはどうしたらいいかを考えればいいし。

Noなら、もう考える必要もない。



と、いうか。

できない理由を先にどんどん列挙してしまうのが常なら…

「もう二度とそれに触れられないとしたらどうする?」

とでも、聞いてみたらいいかも知れない。



その時、自分の奥底から聞こえる答えが「それは嫌」なら…最初の問いへの答えは、ただ、Yesしかない。



できない理由を次々と挙げていく…という行為は、そのまんま、「できない」と、自分の潜在意識の中にどんどん落とし込んでいくことだ。

どうしてできないのか、できないと「認定」されるためにはどうしたらいいのか。

そういう情報を、どんどん、無意識の中に落とし込んで行っている…ということ。

そしたら、それが現実になって、当たり前。



私はネガティブな感情とか、暗黒面とか、なんでもOKだと思ってる。
誰にでもあるし、無い人なんていない。
あって当然。


でも、「できない理由の列挙」と、そうした感情や性質の側面というのは、全然、関係が無い。

できない理由というのを、すぐに「ネガティブ」にタグづけするのは、短絡的だと思う。

それは、単に「できないと思ってる理由」なだけであって、そこには何も、ネガティブとか暗黒は、無い。


ネガティブや暗黒といった、望ましくないと思われる感情や側面と結びつくのは、

「できない理由を次々作りだしている現状から逃避したい」とか
「できない理由だけはいくつでも思いつく自分」から逃避したいとか
「こんなにできないダメな自分」とか
「できないことしか無い自分がダメ」とか

まあ…そういうバリエーションが生み出す自己否定や自己嫌悪だ。


できない理由と、自己否定嫌悪を、切り離そう。

それは、単なる「事実」でしかなく、だから自分にはできないと決定づけられたわけではない。
決めているのは、自分だ。



シンプルに、自分に聞いてみればいい。

嫌だったり、やりたくなかったりするなら、今後の選択肢から外すか、または当面の選択肢から外すだけのこと。

やりたいなら、やれるように手段を考えるべし。