妄想癖とか、妄想狂とか、とかく、妄想とつくと悪いイメージだったこれまでの世界。
しかし。
まず、はじめに「考え」がありき
とするならば。
妄想癖がある人こそ、世の進化を牽引してる
…っていうこと……………かも知れない。
18世紀にジュール・ヴェルヌは、ファクシミリや携帯電話の原型みたいな機械を著作に描いている。
後にそれらは本当に現実に出現し、今ではもう、それらなしには生活が成り立たない仕事が成り立たないくらいの日常的な製品になった。
この世にあるものは、全て。
いつか、どこかで、誰かが、まず「思い描いた」ことがあるもの。
そういうものしか、世界には存在していない。
空想癖、妄想癖。
じゃんじゃんやろう。
まずは、意志を使おう。
少年だけでなく。
全ての人よ、大志を抱け。
そして、そのように動け。
…だね。
ジュール・ヴェルヌが後生の人達に残した作品は、沢山の人に読み継がれ。
やがて、「あり得ないモノ」を現実に作り出した。
タイムマシンも、理屈の上では可能かも…というところまで、来ている。
「考え」を、「言葉」のレベルに定着させた。
それを、伝播した。
やがて、物質化した。
これはまさに、遠大なる「引き寄せ」かも知れない。
このように。
自分一人…一代の系譜では完成しない大きな大きな引き寄せも、ある。
「引き寄せは、どこかにあるエネルギーを念力で奪ってくることだ」
っていうハナシも聞いたことがある。
うん、確かに、そうかも知れない。
「奪う」という概念の元で論じるならば…のハナシだけど。
けど、そもそも宇宙には「奪う」なんて概念さえ、なかったのだよ。
奪うという概念は、「有限である」という枠組みがあってこそ成立する。
有限だから、一人で沢山取ることは許されない。
勝手に行うことを、「奪う」と言って罪とする。
しかし、有限であるという枠がなければ、誰がどれだけ取っても全く問題ない。
地球上の生き物が、普通に暮らす時に
「あいつはあんなに沢山空気を吸ってる悪いやつ」
など言ったりしない。
が、もしこれが、宇宙ステーションのように「酸素が有限」の場なら。
成立する。
こんな風に、サクッと簡単に「例外」が想定できてしまうことは、真理とは呼ばない。
私自身は、手元に引き寄せてくる…って思うより、自分がそこまで到達したいって思うタチなので。
あまり、引き寄せ法則とか、使わないし考えないけど。
でも、自分がそこまで到達する、ということだって、「私が引き寄せられている」と思えば、それもまた真なり…なのであって。
どっちだって、一緒のことだ。
そんな、枠組みありきの言葉遊びよりも…だ。
まず、意志を使い、そのように発信し、そのように行う。
それが一番。
妄想空想は、神様からのプレゼントだ…と、思う今日この頃でございます。