15年前の今日 俺の父親はこの世を去った

60歳と言う若さで


しかし15年前のその年
我々親子は
再会した


俺がまだ 赤ん坊の頃
京都に住んでいた
鈴木 麻世

父親は松竹の映画俳優 安住 譲(芸名)

そして母親の雅子


離婚


赤ん坊の俺だけを抱いて母親は大阪の枚方市の実家に帰った


物心がついた時には
父親の姿はなかった

祖父の川崎哲郎、祖母のこはく
そして母親の大きな愛情の元で
なんの不自由もなく
俺は育った


13歳で親を離れ
芸能界に入る為に上京


時は流れ

やがて俺も父親となった

国際結婚の難しさ
しかし
自分で選んだ人生
喜びと苦しみが
交差する毎日


そんなある日


心の中で

「父親と逢いなさい」

と言う声を聞いた


父親?

父親?

どこにいるかも知らない


探した


再婚している家に電話した


生まれて初めて聞く
自分の父親の肉声


「うーあーうーあー」
病を患い
話す事が出来ない父親


奥様に合わせくれと頼んだ

幾度も


大雪の中 新幹線は大幅に 遅れて 新大阪に到着

叔母の車で 父親が待つ場所へ


スーツ姿でぽつんと
椅子に座る男性が
自分の父親と知るまでに時間がかかった


若い頃の写真でしか見た事がなかったから
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父親とわかった俺は
抱きしめた
涙を流し
過去を流し

再会した親子は抱きしめあう

しかし父親の手には力がない
病で片手が動かない
立つ事すらできない


新しい家族の愛情に支えられ 父親は頑張って生きようとしていた


まだ3歳くらいの娘 恵斗が おじいちゃん おじいちゃんと言った


なんと美しい声

おじいちゃんの存在すら知らなかった
小さな子供が

おじいちゃんと呼んだ


初めて逢った父親と娘の声で 涙が止まらない


長年の入院生活をしていた父親


我々は再会の感動でまだ身体が震える

しかし必ずまた逢いに来ると約束して

親子は別れた


俺の妹にも初めて逢えた


数日後

パパが危ない 早く病院に来てと妹からの電話


兵庫県にある病院に駆けつけた

マスクをし コードで繋がれた 父親がベッドの上にいた


耳元で
「パパ逢いに来たで、麻世やで、頑張ってや」


目を閉じた父親の目から涙が流れた
微かに身体も動いた


徹夜で見守った


仕事の為 また東京に帰った


妹から電話があった
奇跡的に父親は回復して来て自宅療養だと


数ヶ月後

大阪新歌舞伎座で
1ヶ月公演


また病が悪化した父親は再び病院へ

幸い大阪にいる俺は
数回 病院に行く事ができた


しかし俺が公演中に
父親は家族に看取られ
この世を去った


翌日は1日しかない休演日。

またも奇跡

その日に葬儀が行われた
優しい奥様と妹の配慮で俺が喪主として父親を見送る事ができた


最後の最後に父親に出来た初めての親孝行


思い出はないが

父親は父親

俺がこの世に健康に生まれたのは
父親と母親のお陰
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ありがとう

パパ

そして

何よりも母親には長生きして欲しい。
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ありがとう 産んでくれて

ありがとう


※現在10:58
涙と震えで
書くのにこんなに時間が経っていた

パパ天国からみんなを見守っていてね。