午前中。

徳川御三家の紀州藩(現和歌山)と尾張藩(現名古屋)、

そして譜代筆頭の彦根藩(現彦根。当主・井伊家)

江戸屋敷があったことが地名の由来の

「紀尾井坂」のホテル・ニューオータニへ。

全日本大会に向けて業者との打ち合わせだ。


午後。

1ヶ月前から楽しみにしていた

 ー成功請負人

の異名を得ているシー・ユー・チェン社長の株式会社CIA本社へ。

このブログ(我が輩人物列伝)でも紹介したように、

ユニクロやナイキなどの全国展開を成功させた人物だ。

松任谷由実さんの愛称

 ーユーミン

の名付け親でもある。


紀尾井坂を下って赤坂プリンスホテルを右折。

青山通りを直進し、やがて右折し、表参道へ。


(久々だなぁ)

若い頃、この通りもよく散歩したからだ。

道行く人々の顔が、和やかに見える。

銀座通りや横浜ベイエリアと似ている。


昨年、騒がれた西武グループの総本山・国土グループ本社前を通るや

(社主だった堤さん好みの美人秘書は、

  ー性的関係が前提だった

 と、マスコミが叩いてたっけ。

 朝出社すると即だったらしいなぁ。しかもオフィス内で。

 えらそうな顔して、やってることは、ヤクザや不良少年と同じだなぁ)

と、男のおろかさに、思い出し笑いするのが硬派感傷主義。


明治神宮前を左折すると、ITF時代に全日本大会会場だった国立代々木競技場。

坂を下るとJOCの総本山・岸会館が見える。

(西武の堤さんが、会長だったよなぁ。

 長野五輪も彼が誘致したようなものだし。

 とすると、オリムピックって、

 青少年育成というよりは、

  ー性少年育成

 だったりして)

とニヒルに笑う硬派感傷主義。


CIAオフィスは、NHKと東急ハンズの間にあるらしい。

(ここらへんだと思うが・・・。いずれにしても車を停めないと)

車を停めた後、地図の起点である東急ハンズ前へ。


だいじな職務遂行前にも、

(東急ハンズも、デートの待ち合わせ場所として、よくつかったようなぁ)

と懐かしむのが硬派感傷主義。


目の前には、

落ち着いた雰囲気かつ<おしゃれな店>の先駆けともいえる「チャールストン」。

我が輩、お気に入りの店だった。

朝高時代から20代にかけて、女の子達とよく来たものだ。


ところが、今はない。

だいぶ前につぶれてしまったのだ。

(銀座のオールドムービーといい、

 このチャールストンといい

 我が輩が青春を過ごしたベーリー・グッドな店が消えて行くのは、悲しいよなぁ)

と哀愁にひたる硬派感傷主義。


(あっ、ここか!)

CIA本社に到着。


「失礼します! 河ですが」

「こんにちは! こちらへどうぞ! 少々お待ち下さい」

受付嬢(というよりは女性)の誘導のまま応接室へ。


(シックで、なかなかセンスがいいよなぁ。

 なんとなくだけど、チャールストンの内装に似ていなくもない)


「あぁ、どうも! 先生!」

「チェン社長! この度は、お忙しいなか、ありがとうございます!」

「いえ、こちらこそ。先日は、ごちそうして、いただきありがとうございました!」

「いやぁ、まずいローストビーフで、申し訳ありませんでした」

「いえいえ、なかなかおいしかったですよ」

と日本的な挨拶で終始した。


我が輩もチェン社長も、

日本で育ったので日本語=標準語が堪能だが、

 ー純粋な日本人

ではなく、

いずれも、複数の異文化的感性が交差する

 ーマージナル・マン(境界人)

だ。

 だから、お互い、言葉には出さなくとも、

 ー相通じるもの

があるのだが、

再会の際は、やはり和風で終始するのだった。


しばらくすると、

骨格がしっかりした

 ーがたいの良い女性

がやってきた。


「河先生! 先日お話しをしたJTAを担当する米丸です」

「米丸です! お会いするのを楽しみにしていました!」

「河です! あなたが薩摩出身の! チェストー!」

米丸さんは、驚きもせず笑ってくれた。


「社長! 和田アキ子に似ていないじゃないですか!」

「はっはっ」

笑っているチェン社長に、一瞬、米丸さんの鋭い眼光が光った。


「米丸も、空手をやっていたそうです。黒帯です」

「ほう! それはそれは。

 つまり、

  ーCIA最強

 ということですか?」

「はっはっは」

「ふふっ」


JTA業務の話よりも、

我が輩の好きな薩摩の風土で盛り上がった。

たとえば、鹿児島の青少年達は、

今でも

1600年の関ヶ原合戦の際、勇猛を轟かせた

 ー島津軍の敵前突破

のルートを何日もかけて歩いて行進させているのだ。

一度、滋賀県の多賀大社の付近で見かけたことがある。

白地ののぼりには

 ーチェスト! いけ!!

と書いてあった。


薩摩と言えば、

我が輩が、常日頃からあやかりたいと思っている

 ー敬天愛人の西郷隆盛

薩摩の風土が生んだ

 ー傑出した大将の器

そのものだからだ。


歴史的な知的会話を終えた後、

いよいよ本題へ。

議題は、もちろん

 ーJTAをメジャーにするためには!

につきる。


我が輩からは、

JTAの現状から

我が輩が観じている問題点などなど。


チェン社長からは、

子息を通わせている親の立場からの長所、

成功請負人としての立場からの問題点、

そしてアメリカの武道道場のイメージなどなど。


米丸さんは、

武道経験をふまえた

 ー女性独自の視点

を披露してくれた。


約2時間が、あっという間に過ぎてしまった。

「米丸さん、では、一度、道場を見学に来られますか?」

「はい! 是非、お願いします!」

「見たらね、きっと、テコンドーの魅力にとりつかれるよ!」

結局、9月2日(土)の組手総見を見学することになった。


CIA本社を後にした我が輩は、

 ーワルガキ&健全な不良&テコンドー家青春

を過ごした渋谷の街を感傷深く歩きながら、

「人生は! 出会いだ!!」

と、公園通りの中心で叫ぶのだった。