先日ちょっとした空き時間があったので、馴染みにしている靴屋に何気なく立ち寄り、普段履き用の靴を物色していた。まだ若い店員といろいろ会話しながら、丁度その時に履いていた靴の汚れがなかなか落ちないことを告げたところ、「では、私がやってみましょう」ということになった。勧められるままにスリッパに履き替え店の片隅で15分ほど雑談しながら待った。その後、「本格的ではないので、とりあえずこんなところで」と差し出された靴を見て驚いた。確かに履きこなして若干くたびれた靴に変わりはないが、見事に汚れが取れてピカピカに光っている。感謝の気持ちと共に、普段はおざなりにブラシしかかけていない自分の不十分な手入れを見透かされたような、そんな恥ずかしい気持ちにもなった。そして、こんな小さな出来事なのに、その日一日はとても晴れやかな気持ちで過ごすことができたのである。

 ふと、ずっと以前に似たような体験をしたことを後日思い出した。高校生の頃僕は下駄を履いて学校に通っていた。台の部分が桐で歯の部分に朴の木を使った高足駄である。歯がすり減ったり鼻緒が切れると、下駄屋に持ち込んでその都度替えてもらうのである。ある日下校途中に鼻緒が切れて、歩けなくなった。足駄は約10cmの高さがあるので、片足が裸足だと極めて歩きづらい。何とか近くの下駄屋までたどり着くと、そこの職人さんが店の上り框にある座布団を指して、僕に「座って待っていなさい」と言うや10分ほどで仕上げてくれた。その手際よい作業を目の当たりにし、そして「ピタッと」自分の足に馴染む新しい鼻緒に大変感激したのだった。

 「たかが靴の汚れ」や「鼻緒」だ。されど、ちょっと気を付けてみると、日常のいろいろなところに「小さな幸せ」があるのだ、と気づかされたできごとだった。





2016年6月理事会あいさつより
尾形 文智


岩手県 盛岡市 川久保病院

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