錦田吉慶園(前篇)


2月19日から3月5日まで、香港経由で重慶に行きましたが、香港でまず客家人(北方から南方移住してきた漢族の一族群)の伝統的な村である吉慶園を見に行きました。郊外の新界は錦田というところにあります。


錦田吉慶園は客家人の居住地です。新界の繁華街である元朗の近くにあり、地下鉄美孚(モービル石油の中国語表記です)で出来たばかりのKCR西鉄に乗り換えます。しばらく地下を走って地上を出ると、新界の平原が開け、錦上路駅に到着します。



吉慶園は駅から歩いて7・8分のところにあるのです。元朗駅側の橋を渡り、住宅街を横目に小径を行けば、錦田路に出ます。その路を越えた辺りに吉慶園に入る路があるのです。ところが私は路が分からず、しばしば錦田路辺りをうろうろ右往左往しておりました。


よくわからない豆科の樹木やら、バナナの樹やら、ガジュマルの大木を観て楽しんでいたのですが、外国人も多い新興住宅街の中に、現地民の村落が点在していて、西欧建築と伝統建築の入り交じったエキゾチックな街並みなのです。



とくに祠堂村という村は、名前からして伝統中国という感じなのですが、ガジュマルの大木の下に土地神の祠がありました。面白いことに、その祠を囲むように黄色と黒の帯で注意を促す警告の杭が打ってあり、「請勿遮擋神壇風水」(請う神壇の風水を遮ることなかれ)と書いてあります。言わんとするところは、「損壊風水」つまり、風水を壊すべからずという意味での保護棒なのでした。よく「紫気東来」といいますが、よい気を迎え入れるのは、とてもデリケートな調整が必要で、ちょっとした変化で風水は壊れてしまうものです。


土地神祠



ガジュマルの大木はおそらく村の樹神の意味があるのでしょうが、面白いのは生い茂った根本には、関聖帝君(関羽)と張飛の神像が奉納してあるのでした。ミニ関帝祠の趣があります。


  ガジュマルの大木の下に集う神像


          関聖帝君


これだけでも民間信仰上の興味を満足させるに十分でありましたが、その他にも、各村の路口には「南無阿弥陀仏」の六字を刻印した石碑が立っていることなども興味深い現象でした。土地神の牌位があるところをみると、土地神を象徴した魔よけの意味があるのでしょう。


南無阿弥陀仏碑

吉慶園の場所が分からなかったので、道路清掃をしているおばさんに訊ねました。この人は竹編みの平らな帽子に日よけの黒い布を帽子の周に垂らしていて、一見して客家の人とわかったからです。とても親切に村の入り口の路口まで案内してくれました。



路口沿いの建物に、黒や橙色を入り混ぜた美しい煉瓦の壁で出来た切妻の伝統民居が数カ所残り、午後の日差しがつくりだす陰翳が、煉瓦と煉瓦の間にしつらえられた吉祥模様の装飾を浮き立たせ、しばしば蔭の模様に見とれておりました。そこからうねうねと小径にはいると、城壁が現れます。その城壁は四方に四角い物見櫓の保塁をともなっており、いかめしい風格です。




しかもその四方は堀まで整備されています。ただ、周囲は草むしており、いかめしい城壁も強者どもが夢の跡です。堀は溝さらいをしていないらしく、悪臭が漂っています。家電製品や玩具などのゴミも雑然と散らばり、そのうえを容赦なく朝顔の蔓がはい回り、春先だというのに誇らしげに藤色の花を咲かせていたのでした。見上げれば、大きな大きなバナナの樹が、厳めしい人工の建築物に対して自然の力を誇示するかのように城壁の前に緑蔭を広げていました。

                       




                    (後篇につづく・全2回)