◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇2013.2.18.
応援団 NO.155 なが~い「おつきあい」
残り少ない今年度の塾の回数を思う時、
それぞれのお子さんとの「長いおつきあい」というものを感じています。
このことは、
20年間教壇に立っていた頃には
感じることはできなかった思いです。
というのは、
「ひとりの子どもの成長を一対一で見守るということ」は、
一年ごとにクラスも子どもも学年も変わっていく学校という場所では、
なかなか難しいことですよね。
この塾を始めて七年目になりますが、
今来てもらっているお子さんは、
みんな低学年の頃から通ってきてくれています。
そして、今年になってみんなが一対一での勉強になりました。
すると、通い始めた小さかった頃より、
ずいぶんと成長したことが
目の前で感じることができるようになりました。
「その子がいつぐんと伸びたか」ということを
このように長い目で見守ることができたことは、
学校ではなかなかできないことだろうな、
うちの塾ならではのことなのだろうなと思うのです
。
「低学年の頃はこんなだったなぁ」という懐かしい思いと、
高学年になってから自分ですすんで学習する姿には、
驚きとともに感動さえ感じています。
週に一回とはいえ、
その一日一日の積み上げが、
今の年度末を迎えての
個々のお子さんの大きな成長につながっているんだろうな、と強く感じています。
宿題を中心に
100題計算、漢字テスト、地図パズル、
各種プリント学習を通して、
そのときはたった一枚のプリントでも、
そのたった5分間の計算ですが、
一回一回を大切にしてきたことが、
その子なりの実力の伸びに結びついているのだろうと思っています。
その成果は、プリント集と
「がんばる子」のノートの赤字記録が証明してくれているように思います。
もちろん、そのがんばりは、
子ども自身のがんばりがあってこそ、のものであると
あらためて感じているところです。
あと残り少ない今年度の塾も、
これまでどおり、一日一日を大切に、
その時その時を精一杯、
子どもたちといっしょにがんばっていこう、と
今改めて気もちを引き締めているところです。
「その日」まで、
おうちの方といっしょになってお子さんを見守っていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
祝電として ~「真玉泥中異」(しんぎょくでいちゅうにいなり)~
この3月に中学校を卒業する子どもたちは、
私が教職最後に担任した子どもたちです。
その子たちに祝電を贈ってあげたいな、と思って、
前号の本を何度も読み返し、ひとつ見つけました。
それが、この「真玉泥中異」という言葉です。
・・・どこにいても、どんな状況に置かれても、
自分を輝かせる手立ては必ずあります。
・・・泥の中にあっても宝石が光を失わないように、
私たちが本来持っている輝きは、
環境に左右されて消えてしまうものではないのです。
・・・まずは、今自分がいる場所で本分を出しきること。
持っている能力をひたすら傾けて、
やるべきことに一生懸命取り組む。
・・・そして、そんな自分の姿を信じたらいい。
落ち込むことを後回しにして、
自信を持てばいいのです。
・・・自分が本当に輝ける場所は、
見つけるものではなく、
つくり出していくものです。
私は、子どもの中には、
何か光るものがあると、
いつもその光るものをさがしているような気がしています。
それは、なかなか自分では見つけにくいものかもしれません。
ひょっとしたら、大人からのひと言が、
その自分の良さをみつけるきっかけになるのかもしれない。
そんなことを思ったりします。
その子なりの、
その人なりの「素晴らしいところ」「素敵な面」「美しい心」などの
「真玉」を自分自身で自覚できたとき、
その人なりの、
その人の人生をじっくりとゆったりと歩んでゆけるのではないだろうか、と
この言葉を受けて感じ入ったのでした。
【参考文献】 『禅 「心の大そうじ」』 (枡野俊明・著、三笠書房)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
禅「心の大そうじ」 (知的生きかた文庫)/枡野 俊明
¥600
Amazon.co.jp
購入はこちらから→禅「心の大そうじ」 (知的生きかた文庫)
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応援団 NO.155 なが~い「おつきあい」
残り少ない今年度の塾の回数を思う時、
それぞれのお子さんとの「長いおつきあい」というものを感じています。
このことは、
20年間教壇に立っていた頃には
感じることはできなかった思いです。
というのは、
「ひとりの子どもの成長を一対一で見守るということ」は、
一年ごとにクラスも子どもも学年も変わっていく学校という場所では、
なかなか難しいことですよね。
この塾を始めて七年目になりますが、
今来てもらっているお子さんは、
みんな低学年の頃から通ってきてくれています。
そして、今年になってみんなが一対一での勉強になりました。
すると、通い始めた小さかった頃より、
ずいぶんと成長したことが
目の前で感じることができるようになりました。
「その子がいつぐんと伸びたか」ということを
このように長い目で見守ることができたことは、
学校ではなかなかできないことだろうな、
うちの塾ならではのことなのだろうなと思うのです
。
「低学年の頃はこんなだったなぁ」という懐かしい思いと、
高学年になってから自分ですすんで学習する姿には、
驚きとともに感動さえ感じています。
週に一回とはいえ、
その一日一日の積み上げが、
今の年度末を迎えての
個々のお子さんの大きな成長につながっているんだろうな、と強く感じています。
宿題を中心に
100題計算、漢字テスト、地図パズル、
各種プリント学習を通して、
そのときはたった一枚のプリントでも、
そのたった5分間の計算ですが、
一回一回を大切にしてきたことが、
その子なりの実力の伸びに結びついているのだろうと思っています。
その成果は、プリント集と
「がんばる子」のノートの赤字記録が証明してくれているように思います。
もちろん、そのがんばりは、
子ども自身のがんばりがあってこそ、のものであると
あらためて感じているところです。
あと残り少ない今年度の塾も、
これまでどおり、一日一日を大切に、
その時その時を精一杯、
子どもたちといっしょにがんばっていこう、と
今改めて気もちを引き締めているところです。
「その日」まで、
おうちの方といっしょになってお子さんを見守っていきたいと思っています。
よろしくお願いします。
祝電として ~「真玉泥中異」(しんぎょくでいちゅうにいなり)~
この3月に中学校を卒業する子どもたちは、
私が教職最後に担任した子どもたちです。
その子たちに祝電を贈ってあげたいな、と思って、
前号の本を何度も読み返し、ひとつ見つけました。
それが、この「真玉泥中異」という言葉です。
・・・どこにいても、どんな状況に置かれても、
自分を輝かせる手立ては必ずあります。
・・・泥の中にあっても宝石が光を失わないように、
私たちが本来持っている輝きは、
環境に左右されて消えてしまうものではないのです。
・・・まずは、今自分がいる場所で本分を出しきること。
持っている能力をひたすら傾けて、
やるべきことに一生懸命取り組む。
・・・そして、そんな自分の姿を信じたらいい。
落ち込むことを後回しにして、
自信を持てばいいのです。
・・・自分が本当に輝ける場所は、
見つけるものではなく、
つくり出していくものです。
私は、子どもの中には、
何か光るものがあると、
いつもその光るものをさがしているような気がしています。
それは、なかなか自分では見つけにくいものかもしれません。
ひょっとしたら、大人からのひと言が、
その自分の良さをみつけるきっかけになるのかもしれない。
そんなことを思ったりします。
その子なりの、
その人なりの「素晴らしいところ」「素敵な面」「美しい心」などの
「真玉」を自分自身で自覚できたとき、
その人なりの、
その人の人生をじっくりとゆったりと歩んでゆけるのではないだろうか、と
この言葉を受けて感じ入ったのでした。
【参考文献】 『禅 「心の大そうじ」』 (枡野俊明・著、三笠書房)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
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