バーゼル留学を終えた坂本龍右君(前回で紹介しましたが)、ミクシーをやっているそうです。お母さんが卒業リサイタルの本人の感想を送ってくださったので、そのまま貼り付けます。大分マニアックな記述もありますが、プログラムを作るに当たっての苦心などが分かって面白いと思いました。長いですけど、よかったらどうぞ。
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久しぶりの更新です。水曜日の晩に、
えることができました。
両親を送り出し、マイミクさんの修演の助演を終え、
す。
まず修演について。改めまして、
ます。バーゼル近辺の方々はもちろんですが、サプライズ・
ウェーデンからわざわざ私の演奏を見るために来てくれたスヴェン
里子氏ご夫妻、
と、遠路はるばるやって来た人々にも感謝です。
今回もまた、立ち見の出るほどの盛況となりました。
ていなくて、そんなに派手に宣伝したわけでもないのに、
予想以上だったようで、
場があったということに、ある程度の誇りを感じています。
観客が多いということで、
すが(これが狂うと後の全てに影響するため)、
食い止めました。
グ氏の反対意見を押し切って思いっきり「ダサい」
な音楽の中に突如出現したイモっぽい音楽に、
ロニク氏から大好評。
れからアグリコラの複雑な器楽曲も、
ニア人の学生が土壇場で間に合わせてくれて、
プレクトラムリュートから、指弾きのルネサンス・
一種の鬼門。
興ネタを入れたのは、やむない処置というよりは、
の方法と考えただめでした。その後に続いたのが、ジョスカンの「
テル」。
ハイライトとなったのは、私の読み通り、
ろ、この曲の存在を知ったときから、
ていたのでした。ヤング氏の専門領域であるレクトラム・
ピー氏の本領が発揮されるルネサンス・
両者の領域をつなぐまたとない曲が、これであったわけです。
ルートの学生を定旋律に回し、ビウエラ・ダ・
回ってもらった結果、
なんと、
た・・わたしはさすがにそこまではいかなくとも、
面で影響を受けたこの3人と同時にステージで共演できるという喜
いるバンショワ・ジョスカン、そしてフランチェスコ・ダ・
また共演しているというということを想像しても、
音楽の気高さがここに結晶している・・という事実からも、
ずにはいられません。
マドリガルとカンツォネッタの演奏は、
ませんでした。間に挟まったパッサメッツォの即興では、
予想もしないリズムと音型ではじめたため狼狽しまたが、
エル人軍団の中で内声を歌ったジェズアルドのマドリガル・・
たが、外部審査員として前回に引き続きやってきたエドアルド・
と、
リュートのことについてコメントして欲しかったです。
ステナのファンタジアの一部を、
ました。
何度も書いてきたように、これは入学試験でも弾き、
て行き、これまでで一番時間をかけた曲・・別の審査員からは、
の締めくくりとして、
です。
内部審査員には、長老ハンス・マルティン・リンデ氏がいました。
かと目をかけてもらってますが、
にステージ上で楽しく弾いいる姿を見たことはないと言ってもらえ
には、もちろんヤング氏、 そして何より私のバーゼル留学を一番に勧めてくれた恩
師ホピー氏も同席。ああ、ついに終わったのかという思いと、
人々から得たものと、またこの人たちからの期待を背負って、
覚を持たなければならないなという思いを新たにしました。
講評の結果が出るまでかなり待たされたのですが、
想を超えてたくさんの仲間たちが待ってくれていました。
践面で、この2年間の実質的なコーチ役だったアン・スミス氏は、
水曜日の晩の演奏会だったので、泊りがけで来て、
楽の草分けでもあるベリイェル氏とも直接話ができて、
金曜日の晩には、ランディ氏の自宅に、
氏は、
いという思いと、私としても父親には、
弾かせてあげたいという希望がありました。私が申し出ると、
出してきてくれました。当時の奏法でいろいろと試しました。
た時代は、
これからの世代がもっと啓蒙すべきでしょう。
いてました・・ランディ氏のもとの生徒で、
ディ氏のパートナーの作った、手作りのレッケライも美味で、
た。
ランディ氏が撮ってくれた修演での画像を載せましょう。
まれ、私は本当に幸せ者です。
本日もご訪問ありがとうございました。
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