2-3日前の記事で「ルポ貧困大国アメリカ」という本について書きましたが、昨日のテレビで放映していたルポも、なんとも後味の悪い話でした。
スウェーデンの劇場の内部事情を取ったものです。
今までうすうすと感じていたことの背景を見たようで、そうだったのかと納得すると同時に、薄ら寒くもなりました。
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劇場という世界は監督(イングマール・ベルイマン等)のワンマンぶりがよく知られますが、最近は劇場の最高責任者、チーフの力が非常に強くなっています。
北欧からコンニチワ-ドラマーテン・1
これはスウェーデンの誇る国立劇場、ストックホルムのドラマーテンです。
テレビには先ずここのチーフ(女性)が「私の月給は8万クローナ(100万円をちょっと欠く)。国会議員や大会社の責任者に比べれば、笑っちゃうぐらい少ない」とのたまっている。あれっ、国会議員の給料って、その半分じゃなかったっけ。よう言うよ、と思っていると、文化の砦である劇場のチーフがどうしてこのような態度に出るようになったのかを語っていきます。

まず、60~70年代。
世の中は景気も良く、お金があふれていた。特にコミューンの活動で、お金を余らせると国にもっていかれてしまうので、文化活動に目を付ける。どんどん赤字にして、最後には、劇場の賃貸料をばか高くしてしまう。
そのようにして、余剰金を減らすことをどこでもやっていた。

さて、その後、バブルがはじけ、コミューンはにっちもさっちも行かなくなる。
そこに現れるのが鬼のごとき劇場経営者。大鉈をふるうといっても、会社経営と同じで、人件費を減らすしかない。仕事がないという理由で、人員を半分ぐらいにしてしまい、プロジェクト毎に期間を区切って雇う。首を切られるのはチーフを批判した人たち。このようにして、俳優は大人しくなってしまう。
給料が上がらなくても黙って仕事に励む。
これを実行した当時のチーフ(これも女性)がインタビューで、「確かに私の時代には劇場内の雰囲気は悪くなった。でも私は赤字を解消したし、俳優達はみんな大変よく働くようになった」と言っていました。
 
北欧からコンニチワ-ドラマーテン・2
(ドラマーテンの内部。ここで演じられる人間のいとなみの美しさに、観衆はうっとりとなる)

このような経営者タイプのチーフは押しも強いし、気も強い。自分達は大変重要な仕事をしているのだから、高級を取って当たり前。責任者と同時に俳優/監督である場合も多く、自分が監督する出し物の時はダブルに払わせる。劇場外でしごとしても、休暇を取らずに、ダブルの収入がある、といった、メチャクチャなことをしても、内部ではだれもプロテストしないようになってしまった。

文化労働者と称する俳優や裏方たちは薄給でこき使われ、上部の一部はガッポリとお金をかっさらっていく。
なんか、貧乏大国に似た形が出来上がったわけです。

これは劇場ばかりではありません。
私の周りの人たちも上部からの締め付けが強くなった、勤務時間も合理的にすると称して、常に見張られている感じがする。猫さん、あなたはいい時の定年になったわよー、と言われます。

日本でも、同じようなことが起こっているのでしょうか。
新自由主義というのは数字の上で合理性さえ証明できれば、そこに達する手段はどうでもよい。人間を人間だと思っては、それは出来ないので、人間を物として扱う。そうなったら要注意以上になのですね。
そういうことするのも人間なのだから、なんか悲しくなる。