私ごときがマザーを語るのも

おこがましいですが…


マザーが神の声を聞けずに悩んだのは

彼女の奉仕活動に感謝が無かったからではないかと思います


「神からスラムに行けといわれたからスラムにいた

 もし宮殿にいなさいと言われてたら宮殿にいたわ」

主よ〜をお与えください 主よ〜としてください


そこに感謝はなく、お願いばかりなのです

善を行っている、与えているという意識が知らずしてあったのかも?


もし、与える事で与えられてる事に気づいてたら

「神」の存在が無形であり、無言であっても

その姿を通して、「神」を感じたと思うのです

自分も貧者も「神」の作品なのですから…


子供を産み女から母へと変化すると

気づきませんか?

この子供は私の卵で、私が産んだけれど

私は何もしていない…

この子の髪の毛1本、骨1本作っていないのですから…

無から有が生じる不思議

そして、自分もその流れから存在している事に …


総天然色のカラーレンズがふたつ

匂いを嗅ぎ分ける鼻

栄養を摂り、言葉を話し意思表示が出来る口

切り傷を作ってしまっても、自然に治癒するからだ…

よくよく考えて見ると、これ程までによく出来ていて機能するものを

人間であれば、皆与えられ持っているということ

決して当たり前ではないのです

設計図(遺伝子)がインプットされてるからこそです

脳の姿は、宇宙そっくりに出来ています

複雑かつ繊細な人間の源


そんな当たり前の事に気づき、感謝(神謝)が出来れば

感動(神動)するものです

さすれば、我々は一人ではなく、神の息吹を持ち備えているのです

良心=両神=両親なのです


神様はいるのか? ハイもちろん

でも我々も、神と共に生きる神であるのです

神様に生かされ、我々も神々を生かしているのです





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