加計学園の文書に関する先日NHKが報じた記事がコチラ・・・

 

『加計学園問題「ないと説明の文書 残されていた」愛媛県調査』

 

公文書の管理の在り方が問題となる中、愛媛県がこれまでないと説明してきた学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関連する文書が残されていることがわかったとして、県は詳しい事実関係について調査していることがわかりました。

 

 そして、本日の朝日新聞のスクープ・・・

 

『「本件は、首相案件」と首相秘書官 加計めぐり面会記録』

 

 学校法人「加計(かけ)学園」が愛媛県今治市に獣医学部を新設する計画について、2015年4月、愛媛県や今治市の職員、学園幹部が柳瀬唯夫首相秘書官(当時)らと面会した際に愛媛県が作成したとされる記録文書が存在することがわかった。柳瀬氏が面会で「本件は、首相案件」と述べたと記されている。政府関係者に渡っていた文書を朝日新聞が確認した。

 文書は「獣医師養成系大学の設置に係る内閣府藤原次長・柳瀬首相秘書官との面談結果について」との題名で、15年4月13日の日付が記されている。

 経緯を知る愛媛県の関係者は、朝日新聞の取材に対し、「加計学園の誘致交渉を進める中、国への要望を行う過程で、様々な国の関係部署に状況を説明するため、配布した文書である可能性は否定できない」としている。

 

 

 前川のことを誹謗中傷してた方たちはどうするんですかね?( ̄▽ ̄;)

 

『加計学園認可怪文書リークは「前文科省次官・前川喜平」"姑息な動機と出会いバー常連の衝撃"』

 

 ただ、もうここまで来ると逆に安倍政権打倒の決定打にならない可能性もあるなとも思えてきてるんですね。

 

 例えば、今回の出てきた自衛隊の日報問題とか、多分皆分かってたじゃないですか。政府がわざと自衛隊の記録を隠蔽してるなってことは薄々気付いてたけど、それでも結局自民党に投票して勝たせていた。もちろん、自民党に投票した人の中には、積極的に支持してる人も、消極的に支持している人も、あるいは安倍政権には反対だけど自民に投票してる人なんかもいるとは思うんです。

 

 ですが、みな結局、安倍政権がウソをついたり情報を隠蔽していることが分かっても支持してしまっている。

 

 以前、中野剛志さんが、橋下徹批判をしていた際に面白いことを言っていて、当時から嘘やデタラメばかり語っていた橋下や橋下信者などに関して、「何をどんなに論理的に解説して、橋下は危険だと説得しても無駄だ」と、その時に語った喩えが秀逸で、いわく・・・

 

どんなに「その壷を買ったら騙されますよ」と説明したところで、

「それでも壷を買いたいんだ!!」という人には言っても無駄だ!!

 

と・・・(笑)

 

「神輿は軽い方が良い」なんていう小沢一郎の有名な言葉がありますが、結局、「安倍政権頑張れ!!」とか「憲法改正!!」とか「反日左翼に負けるな!!」とか言いながら国旗を振り回してるのは、ほとんど祭りでヤンキーが神輿担いで「ワッショイ!!ワッショイ!!」やってると変わらないんですね(まあ、それは国会前で「民主主義ってなんだ!!」「アベ辞めろ!!」と叫んでる人たちも同じなのですが・・・)。

 

 私は、中学校時代には野球をやっていて(全く上達しませんでしたがw)、当時から、皆で「イッチニ!!イッチニ!!」と声を上げてグラウンドを走ってるのをバカバカしいと思っていましたが、結局のところ人間にはああいうふうに、集団で声や息を合わせて身体を動かすのにある種のカタルシスを感じるように出来ているようで、あんなことをしたところで、ヒットを多く打てるようになるワケでも、守備や走塁が上手くなるわけでもないのですが、チームとしての一体感とある種の高揚感を得られるワケです(もちろん、それでチーム全体の競技力が向上するかは別問題ですが)。

 

 マスゲームやシンクロナイズドスイミングなどで、チームでピッタリ息の揃った動きを見るのは気持ち良いですよね?極端な例は統一した制服で行う軍隊の行進であって、デモ運動などはもう少し雑然としたカタチでやっているものだと思って良いでしょう。

 

 以前、YouTubeライブの方で少し語ったのですが、人類の歴史を考えると、そのほとんどの期間を神権政治や王権政治でやっていたワケで、現在のあるべき民主制のような個々人が自由な意思の元に政治家や政党の政策の訴える政策の優劣を比較して投票を行うというような民意と理性的な選択の元に行う政治ってのはかなりイレギュラーな統治の形態だと思うんですね。ですので、どちらかというと、ナチスのヒトラーや、邪馬台国の卑弥呼のようなカリスマ的な人物にワーッと群がって、権威主義的な指導の下に大衆が従うという全体主義的な形態がデフォであって、自立的な理性に基づいた民主政治がデフォでイレギュラーな現象としての全体主義があると考えるのは実は間違っていて、人類全般、もしくは人間の一般的な社会集団は基本的にカリスマ的な指導と統治の下に服したいという強烈な潜在的欲望、もしくは傾向を有しており、そのような方向へ極端に振りきれて行ってしまうのを様々な安全装置的な仕組みや制度を使って食い止めることが近代の政治システムの役割だと考えた方がいいのではないかと考えています。

 

 このような観点から見た時に、やはり安倍政権や自民党などは、そのような大衆心理を動員したり、人心を掌握する術に長けている。革新的な思想を掲げる少数集団が常に敗北の憂き目を見ることになる理由の一つとして、このような大衆心理の動員や、人心掌握の巧拙において常に劣っていることが挙げられるように思います。つまり、真に社会変革を成し遂げようと考えるならば、鋭い論理的思考力や革新的で独創的なアイディアを創出する知的能力といった思想家的、理論家的な能力だけでは不十分で、それと同時に心理学者であり、社会学者であり、経営者であり、マーケターであり、同時にカリスマ的な宗教指導者でもなければならない(笑)

 

 私は、常に鋭い知性に持ち主に敬意を払いますが、同時にその優れた知性の持ち主がその優れた知性のみで社会を変えることが出来ると考えていならば、それは違うと言いたくなります。

 

 なんにしても、ここまで明確に過ちを犯し続けている政権を「打倒出来るかの?」という現在の状況設定は、ある種に現代の知識人の能力が試されている場面でもあるように思います(もちろん、これは同時に安倍政治的な勢力にとっては、安倍政治的な野心と目標を達成し得るのか?という試金石でもあるのですが)。

 

 

↓先日の放送のアーカイブ動画です・・・・

 

・安倍・橋下支持者は霊感商法で壺を買わされる人と同じ
・選挙「権」ではなく選挙「義務」にすべし
・猿知恵ジャペン!
・西部邁自殺幇助事件に関する藤井聡の見解

 

 

 

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