世間では、ドナルドトランプ新大統領誕生の話題で持ちきりですが、今回も本のレビュー記事です。

 

 

一応、ドナルドトランプに関してはAsreadさんの方に記事を書く予定です。ちなみに、昨日はニコ生でトランプについてアレコレ喋ったのですが・・・

 

「トランプ大統領誕生!!どうなるアメリカ・世界・日本?」「日米同盟」「アメリカの孤立主義」「アンチグローバリゼーション」「TPP」「為替」「移民問題」「核問題」etc…

 

「橋下とトランプってどう違うの?」みたいなコメントが結構多かったので、このテーマを中心に記事をまとめようと思っています。

 

 

まあ、そんなワケでここから本題・・・

 

信州読書会の宮澤さんが以前動画で紹介していたミシェルウェルベックの『服従』という本を図書館で借りて読んでみました・・・まだ50ページくらいしか読んでいませんが。

 

 

内容としては、「2022年にムスリムがマリーヌ・ル・ペンを破ってフランス大統領となる」という近未来小説なのですが、50ページ時点ではまだ選挙が始まってもないんですね。全く、本題に入る前の文章しか読んでないのに何故レビューを書こうと思ったのかというと・・・

 

ギャグがメチャクチャ面白いからです!(*≧m≦)=3

 

設定からも分かるようにこの物語はかなりシリアスな内容らしいんですね。Amazonに書かれてるレビューなんかを見ても、

 

シニカルな状況認識、政治的な無力感、そして人間の滑稽さに対する冷め切った視線。

ウエルベックはヨーロッパの未来も若者の力もなにも信じていない。

けれど、その残酷さこそが文学の力なのだ。

 日本にはこんな作家はいない。
読むべし! 

──東 浩紀(批評家)

 

 

「とんでもない」はずの物語に、打ちのめされるほど身につまされて……
ぜんぜん笑えなくて困った。

いままでのウエルベック作品で絶望していた自分の甘さに、さらに絶望。

文明の真の終焉を知らしめるのは、普通の小説でなく文学作品であることに、それでもわずかに希望を持ってしまうのは、単なる悪あがきに過ぎないのだろうか。

──中原昌也(作家・ミュージシャン)


 

と、まあかなり重めのストーリー展開を予想してたんですけど、とにかく笑えるんです!!こういうシリアスな作品にありがちな、分かる人だけがクスリと笑えるような気の利いたユーモアでもなければ、思わず「フフッ」っとニヒルな笑いを誘うようなシニカルなジョークでもない。もう普通に声を出して笑ってしまうようなギャグなんですw

 

まず、始まりからして凄い・・・この物語の冒頭は、学生時代の主人公が博士論文を提出し、口頭試問を受けた翌日に人生最良の日々が終焉したのだと理解するシーンで始まります。

 

ぼくはソルボンヌ=パリ第四大学で博士課程の口頭試問を受けたのだった。博士論文のタイトルは『ジョリス=カルル・ユイスマンス、または長いトンネルの出口』だった。翌朝(またはその日の晩だったのかもしれない。確信できないのは、口頭試問の日、ぼくはとても孤独で、アルコールもかなり入っていたからだ)、ぼくは、自分の人生の一部、それもおそらく最良な時期が終わりを告げたのだと理解した。

 

それは、まだかろうじて西欧の社会民主主義的な社会で学業を終える者の常なのだが、多くの者はそれに気づかず、あるいは、すぐにはそれを意識しない。というのも、金を稼ぎたいという欲望や、もっと頭の単純な者は消費への欲望に目を眩まされ、ある種の商品に強烈な依存症状を示すからだ。

 

私も、もうあと3ヵ月ほどで30歳になるのですが、よく他人には「いやぁ、30代ってのは凄く楽しい時期なんだよ」なんて言われたりもしますが、まあ著者はそういったまやかしとか幻想はバッサリ切り捨てるんですね・・・「十分な自由を持った人生最良の時期は学生時代で終わりだ!!」とwまあ、個人的には学生時代には何一つ良い思い出もないので、

 

あれが人生最良の時期だったとしたら、俺の人生ってなんだったんだよ?!ΣΣ(゚д゚lll)

 

と思ってしまうのですが、人生なんてえてしてそんなものなのでしょう・・・( ̄▽ ̄;)

 

ちなみに、主人公もクソッタレな学生時代を回想しては、自分の迎える新しい生活へ向けてこんな風に思います。

 

でもそれはみな過去のことだ。ぼくの青春は、とにかく、終わりを告げたのだ。今や、あまりぐずぐずせず、社会に出なければならないのだろう。そう考えるとちっとも心楽しむことがないのだった。

 

この後もまだまだ皮肉なユーモアは続きます。主人公はパリの大学の文学部教授になるのですが、自身の専門である文学研究にも全く意味のない無用の長物して皮肉っぽくこき下ろします。

 

周知のことだが、大学の文学研究は、おおよそどこにも人を導かず、せいぜい、もっとも秀でた学生が大学の文学部で教授に就けるくらいである。それは明らかに滑稽な状況で、突き詰めると自己再生以外の目的を持たず、有り体に言えば、学生の九五パーセント以上を役立たずに仕立て上げる機能を果たすだけの制度なのだ。とはいえ、文学研究は人に害をもたらすわけではなく、マージナルな有用性を持つこともあった。たとえば、セリーヌやエルメスの販売員に応募するような女の子だったら、まず何よりも、自分の外見を大事にするはずだ。それに加えて、近代文学を学ぶ学生や院生であれば、彼女にはさらなる競争力が付加される。ある種の知性の敏捷さが、雇う側の人間に、こいつは気の利いた仕事ができるかもしれないなと考えさせる可能性があるのだ。さらに高級嗜好品業界では、「文学」はいつでもポジティブなコノテーションを持って捉えられがちである。

 

要は、大学の文学部というものは大量の役立たずを無限に再生産し続けるだけの機関であって、せいぜい有用性があるとしたらファッションとしての知性やスノビズム的な虚栄心を満たし、雇用主を騙くらかして職場に滑り込むくらいのものだと宣言しているワケです。

 

まあ、これは主人公がやさぐれてるというより、筆者自身がやさぐれていて主人公に代弁させているだけなのでしょうが。

 

午後のゼミでぼくはすっかり疲れてしまった。そもそも博士課程の院生たちがぼくをうんざりさせるのだ。彼らにとっては大事な時期にさしかかっているからだろうが、ぼくの方はとっくにそんな時期は終わっていて、考えていたのは今晩テレビ局フランス2での政治討論を見ながらどのカレーをレンジで温めるか(チキンビリヤニかチキンティッカマサラ、それともチキンローガンジョシュにしようか)くらいだった。

 

その晩のゲストは国民戦線の立候補者で、彼女はフランスへの愛を表明し(「でも、どのフランスだ?」と中立左派のコメンテーターたちがさして鋭くもない反応をしていた)、そしてぼくは、自分の恋愛生活が本当に終わってしまったのかどうかについて考えていた。

 

このくだりの何か面白いのか?分かる人には分かると思うのですが、実は以前ある討論番組で熟女系ネトウヨアイドルの櫻井よしこ女史がこんなセリフを吐いてネトウヨから大絶賛されていたんですね

 

 

( ^ω^)・・・

 

かたや何の面白みもないお決まりのセリフだと切り捨てられる一方で、どっかの国では同じようなセリフが神発言として持ち上げられる。もちろん、著者のミシェルウェルベックがこの櫻井よしこの発言をしっているハズもないワケなのですが、妙な符合とその扱いの非対称性に笑ってしまいましたw

 

それから、現時点で読み進めた中で最後に面白かったのが、超絶技巧テクニシャンでフェラチオの達人である恋人から「わたしはどうなの?捨てられても構わない女だって言うわけ?」と迫られた時の主人公の内面の語りのシーンです。

 

正しい答えはおそらく「そうだね」だったのだろう。でもぼくは黙っていた、(中略)ぼくは彼女に子供を作らせる気もなければ、家事を分担したりおんぶ紐を買ったりする気もないのだった。ぼくはセックスする気もなかった、いや、少しはする気はあったけど同時に死にたい気もあり、もう何をしたいのかよく分からず、軽い吐き気さえ覚えた。

 

アレコレと思索を巡らせた末に、主人公は一つの正しいであろう答えを導き出します・・・

 

今、ちょうどこのとき、ぼくは彼女にフェラチオを頼めば良かったのかもしれない

 

「良かったのかもしれない」じゃねーよ!!ΣΣ(゚д゚lll)

 

私は、ココでふとこんなセリフを思いつきました・・・

 

エッチがダメなら、フェラを頼めばいいじゃない(〃▽〃)

 

ちなみに、この章はフェラチオ女が帰った数分後に出前で頼んだ寿司が自宅に届いて終わります。

 

スシは彼女が去ってから何分か後に届いた。すごい量だった。

 

シュール過ぎるだろこの作品・・・まだ読み始めたばかりですが、引き続き読んでいって面白かったらまたレビュー書きます。

 

 

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