以前書いた記事(『『大格差』タイラー・コーエン著 レビュー~監視され、管理されることを自ら望む市民~』)に引き続き『大格差:機械の知能は仕事と所得をどう変えるか』のレビューです。

 最近、レビュー記事がやや多めですが、なんつーか、鬱っぽい感じなんでやたらと活字を読んでます。ついでに毎回図書館で借りて読んでいるので、返却期限が近づいてくると「うわー、早くレビュー書かないと!!」と思ってレビュー記事が多くなっています。

 あと、一部の人には申し訳ないんですけど、コメントを要ログインにしました。すでに削除してあるのでどんなコメントだったか忘れましたが、あまりにも基地外じみたコメントが書き込まれていて、「あー、もー、どうしようもねーなコイツ」と思いログインが必要な設定に変えました、毎回IPアドレス変更して書き込む基地外がいるので仕方ないですね。藤井聡さんの『大衆社会の処方箋』という本の中で「議論の中に一人でも基地外がいるとそれだけでまともな議論は成立し得なくなる」と書いていましたが、まさにその通りだと思います・・・(-_-;)

 で、まあ、今回のテーマは、オンライン教育に関してです。

 まず、確認しておくべきこと、広義のオンライン教育と狭義のオンライン教育があるかなということです。たとえば、普通経済学の教育といったら、大学の経済学の講義や、経済学の教科書を読み込むようなことをイメージしますが、この本の著者であるタイラー・コーエンは経済系のブログ記事を読むことも、広義の経済学の教育として含めています。

 オンライン教育は、もはやニッチ(隙間)のニーズに答えるだけの存在ではなくなっている。しかし、最も重要な「オンライン教育」が教育の手段として明確に認識されていない場合がある。私の専門である経済学の場合、一般市民が経済学的思考に触れられる最も手軽で一般的な手段とは、なんだろう?それは大学の経済入門の授業ではない。経済学関連のブログだ。いまや、何十万人もの人がそうしたブログを毎日読んでいる。多くの人にとって、ブログを通じた対話は、パワーポイントを使った退屈な講義や、無味乾燥で、過度に均質化され当たり障りのない記述に終始した教科書よりも、学習効果があがりやすいだろう。学校で教えることがらは厳密でなくてはならず、不穏当な内容はさけるべきとされているが、経済学者のポール・クルーグマンがブログで誰かのことを愚か者とののしり、その理由を説明するのを読んだほうが、(読み手がクルーグマンの意見に賛同するにせよ、批判されている人物の主張に賛成するにせよ)重要なポイントを理解しやすい場合もある。ブログ界では読者獲得競争が激しいので、書き手は読者の興味をひくような書き方を工夫している。

 また、様々なオンライン教育の発達により、教育の分野の地理的な格差は縮小していると述べます。グローバル化が進展し、情報化も進行した現在、優秀な人間が反映している都市へ移住を進めるために、都市間の格差はますます拡大していますが、一方で、オンラインの授業でインドやなどの地理的に不利な位置にいる学生がトップになったり、チェスのコンピューターによる学習プログラムの発展により、チェスのハイレベルなプレイヤーの年齢層がどんどん低年齢化したり、人口300万人程度しかいないアルメニアがチェスの強豪国の一つになっていたりするそうです。

 また、それまでの退屈なビデオ教育とは違い、現在では様々なカタチのオンラインのコミュニティーが発展し、さらに今後は、オンラインとリアルの対面のハイブリットの教育も方式も発展してくるでしょう。

 ただし、ここでオンライン教育の発展の阻害要素として著者が挙げるのがオンライン教育を単位の認証として認めるのか?という問題です。著者は、オンライン教育の普及や、オンライン教育の成功のカギは、「知識や教育といったものへの渇望だ」と述べていますが、まあ、現在の日本では本気で知識や高度な教育を渇望している層は残念ながらそれほど多くはないかと・・・そうなると、オンライン教育を普及させるにはどうしても大学の単位の認証等の措置が不可欠となるでしょうが、なかなかこれも難しいかもしれません。オンライン教育が普及すれば、それだけ教師の価値や需要が下がりますが、わざわざ大学側が教師の価値や需要を低下させるような改革を推進するとも思えません。

 現在、一部の先進的な教授などが、オンラインで講義を公開していますが、単位の取得ができないため、多くの人はあくまで教養や娯楽の延長としてそれをとらえる程度の役割しか果たしえていないのが現実です。また、教師からしても特に大学からのサポートや特別な報酬を受けられるワケでもなく、単に負担が増加するだけで特に益はないというのが現状です。

 チェスの教育はオンライン教育の有数の成功例であると著者は述べますが、チェスの場合、いわゆる教育に関する既得権益が存在しなかったことも大きいようです。

 チェスの場合、機械を土台にした教育への移行を妨げる既得権益層はとくになかった。コンピュータープログラムが認証機関から実力証明を要求することもなければ、性能の劣る「終身在職プログラム」を押しのけたり、それらの引退や死亡を待ったりする必要もなかった。競争原理が変化を突き動かしたのだ。移行はものの数年で進み、抵抗はほとんどなかった。チェス教育の変貌は教育の歴史上有数の変化だが、教育に関する議論ではまったくと言っていいほど話題にされていない。

 個人的な感想を言うと、現在の英語化を徹底するような教育改革よりも、何らかのカタチでオンライン型の教育を普及するような改革がなされればいいと思っています。そうすれば、一部の学科などでは大幅に学費を節約することもできるでしょうし、そうなれば、現在日本の大学の卒業生が多額の奨学金の返済に苦しむ一方で、海外の留学生(主に中国人や韓国人)に奨学金や生活支援などの優遇を行っていることからくる不公平感も多少は緩和できるのではないかと思います。

 また、オンラインの教育が普及すれば、地方にいたまま、オンラインの教育で学習し、週に1回や2回東京にある大学に通うなどといった新しい通学形態も可能になるかもしれません。そうなれば、東京への人口の一極集中や、都心部のアホみたいな満員電車の緩和にもつながるでしょう。もちろん、週に1度や2度の通学では、課外活動などは十分に行えないかもしれませんが、そもそも、経済的な困窮等の理由のために都心の大学に通学することができなかった若者が、都内の大学の授業を受けたり単位を取得できるようになるだけでも、十分な成果と言えるのではないでしょうか?

 まあ、このあたりは賛否両論あるでしょうが、繰り返しになりますが、あまりに不毛な英語教育の在り方をひたすら云々するような教育改革よりは、このような新しいテクノロジーに対応した教員の在り方を模索するほうが有意義なのではないかと思います。



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