先日書いた記事(『言論について色々思ったことを・・・』)に関して書き込まれた次のようなコメントをお詫びと訂正を兼ねて紹介します。

4. この部分は、哲学者からすると完全に間違いです。
>「真の哲学者の役割は、すでに存在する問いに対する答えに対する新しい答えを見つけることではなく、だれも考えたこともなかった、誰も問題であると意識することすらなかった新しい問いを立てることだ」

まず「役割」の部分。一般的な場合で考えると‘社会的’役割を意味するのでしょうが、

真の哲学者で、社会どころか自身でさえ解明できた者など存在したのでしょうか?

誰もいません。断言します。

よって、解明できていないモノから答えをだす。その不可能性。間違いです。

これは論理のすり替えに見えるでしょうが、違います。世界が安定している人達(真の哲学者でない人達)には、理解出来ないでしょうが、

哲学者にとっては、自身の直観と感性(直感)が、全てです。

そりゃあ、(多くの哲学者も他者を含めた)幸福を求めはしますが、自身の哲学的結論(≒思想)により、他者を不幸にする場合でも、真の哲学者は、真理を絶対に優先します(カントのように老獪な手段を用いる場合もありますが……この反対が毒杯を飲んだソクラテスです)。

分かってられないですね。断言します。

真の哲学者の役割は、真理の追求以外ありません。

その引用は、哲学者以外の人が勝手に哲学者に求める社会的意義です。

真の哲学者は、そんな事に配慮はするでしょうが、否、従いません。

よって、間違いだと断言します。

貴方達は、歴史に名を残す哲学者だけが、哲学者だとする誤解。を犯しています。

それは、真の哲学を知らない人々の誤解です。

哲学を知りもしないのに、

哲学で日々格闘していないのに、

哲学を出来ない事で苦しんでいないのに、

哲学を語られると、心底腹が立ちます。

真の哲学(をする)とは、人生そのものです。私自身なのです。

哲学と(半端な)思想を、混同しないでください。お願いします。


愛知者 2015-08-22 04:07:44


 えー、この指摘に関してはほぼ100%愛知者さんが正しいです。

 で、まあ愛知者さんが問題視されている

「真の哲学者の役割は、すでに存在する問いに対する答えに対する新しい答えを見つけることではなく、だれも考えたこともなかった、誰も問題であると意識することすらなかった新しい問いを立てることだ」

というコメントをどこから引っ張ってきたのかというと、永井均氏の『これがニーチェだ』という本の前書き部分の次のような記述です。

 ニーチェは巨大な問題提起者で、他の誰一人として問うことがなかった問いを独力で抉り出した人である。だが、その問いに対して、自ら出した答えは、概して成功していない。いや、そもそも答えるなどということが不可能なほど巨大な問いにからめ取られてしまった、という方が正確なのだと思う。だから、彼の出した答えは、それ自体問いの一部なのである。彼はすでに存在していた問いに、新しい答えを出した人なのではない。人々に何か教えを説いた人なのでもない。これまで誰も捉えられたことがない、ある種の問いにからめ取られ、引きずりまわされ、それと格闘し、独力で問いの輪郭をどうにか抉り出して、死んだ人なのである。
 彼は、それまで誰も誰も問わなかったひとつのことを問うた。


 ただし、補足すると、別にこの文章ではニーチェの優位性や、ニーチェが史上最高の哲学者であるという文脈で書かれているのではなく、むしろニーチェの特殊性、独自性を評価する文脈で書かれています。だからこそ、続く文章では、「つまり、彼は余計なことをしたのだ」「ニーチェは単なる思想家であって、哲学者とはいえないという意見が哲学界には根強い」とも記述しています。要は、先の文章は、非常にあいまいな記憶の文章を適当に誤って曲解した形で引用してしまったワケです。

 ですので、まあ、一応言いたかったこととしては、いわゆるテンプレ保守的な、「国益とはかくあるべし!!」「○○について論じることこそが真の国益と天下国家について語ることだ!!」というような物凄く陳腐な言論との対比において、先のようなことをことを書かせてもらいました。そして、愛知者さんの述べるように「真の哲学者=それまで問われたことのない新しい問いを打ち立てること」という図式に関しては全くの誤りであると言ってよいです。


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