最近、マイブームになっているのがWikipediaの『詭弁』の項目を参考にした詭弁論理学ですw

 この項目をチェックしてみると、世の中詭弁に満ち満ちているなぁと思います。まあ、あんまりやりすぎると下らない論理パズルみたいになってしまうのですが、まあ、現実の事例を踏まえつつ頭の体操程度に思って気楽に読んでもらえればと思います。

 今回は橋下徹と箕面市長が藤井聡さんに対して行った攻撃(彼らのやっているのは議論ではなく意図的に個人の人格を貶める攻撃であり反論ではありません)に関して詭弁論理学的知見から解説します。

 まず、今回話題になったのは、橋下徹個人が藤井聡さんに対して言った、「小チンピラ」「バカな学者」「行政の専門家ではない」「現場を知らない」等々といった誹謗中傷ですが、これは、「状況対人論証」もしくは、「人格攻撃論法」に分類されます。

状況対人論証 (circumstantial ad hominem)
A「そろそろ新しいデジタルカメラが欲しいって話をC君としたら、D社の新製品を勧められたよ」
B「C君のお父さんはD社に勤めているんだから、C君がそう答えるのは当然さ。真に受けない方がいい」
Aに対するBの発言は、特定の人間が置かれている『状況』を論拠としている。「D社に勤める家族を持つ者」は「D社に都合の良い嘘を述べる者」と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、「C君のお父さんはD社に勤めている。故にD社のデジタルカメラは買わない方がいい商品である」は演繹にならない。 このように、「その人がそんな事を言うのは、そういう状況に置かれているからに過ぎない(故に信用に値しない)」というタイプの対人論証を指して、「状況対人論証」と呼ぶ。


人身攻撃(ラテン語: ad hominem、argumentum ad hominem)とは、ある論証や事実の主張に対する応答として、その主張自体に具体的に反論するのではなく、それを主張した人の個性や信念を攻撃すること、またそのような論法。論点をすりかえる作用をもたらす。人格攻撃論法ともいわれる。
「対人論証; ad hominem abusive」と呼ばれるものは、提案者の信用を失わせる目的で個人攻撃を行う場合を指す。また、「状況対人論証; ad hominem circumstantial」と呼ばれるものは、提案者の置かれている状況について攻撃するもの


 つまり、藤井聡さんの発言の中身に対して論理的に反論するのではなく、「藤井は小チンピラだからこんな発言をしている」「藤井は行政の専門家ではないからこんな発言をしている」「藤井は学者で現場を知らないからこんな発言をしている」というワケですが、当然これらは論理的には藤井聡さんの主張が間違っていることの証明にはなりません。ちなみに「藤井は土建屋の手先」などという批判もこれに含まれます。

 次に、これも橋下氏がよく使う論法ですが、「改革か?現状維持か?」というヤツです。このような誤った二項対立を持ち出す論法は詭弁学的には「誤った二分法」に分類されます。

誤った二分法 (false dilemma)
A「君は僕の事を『嫌いではない』と言ったじゃないか。それなら、好きって事だろう」
Aの発言には、「君は必ず僕の事が『好き』か『嫌い』かのどちらかだ」という大前提が隠されている。したがって論理構造としては「Xは必ずYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という形式の三段論法となるが、仮に「Xは必ずYかZのいずれかである」という前提が偽であるなら(言い換えると「XがYでもZでもないケースが存在する場合」)、このような推論は誤謬となり、「誤った二分法」と呼ぶ。 Aの発言の場合、実際には「好きでも嫌いでもない」や「無関心」などの「好き」「嫌い」以外の状況も考えられるため、この大前提は偽である。
B「このまま借金取りに悩まされる人生を送るか、自殺するか、二つに一つだ」
このBの発言は自己破産という選択肢を除外しているので誤った二分法となる。 なお、「XはYかZのいずれかである。然るに、XはYではない。故にXはZである」という推論において、非ZがY、Zが非Yと論理的に同値である場合、それは矛盾原理および排中原理に従った恒真命題となる(例「あらゆる自然数は素数か素数ではないかのいずれかである。2は「素数ではない」ではない。故に2は素数である」)。 「誤ったジレンマ」またはただ単に「二分法」とも呼ばれる。


「このまま現状維持して没落していくか、思い切った改革を断行するか?」というヤツですね。ちなみに、他にも橋下氏は「都構想賛成派は大阪府全体のことを考えている人間で、反対派は大阪市を中心に考えている」ということもTwitterでツイートしていました。そもそも、大阪市で住民投票を行うのに、「反対派は大阪市中心主義者だ!!」などと非難するのもおかしな話ですが、しかし、そもそも藤井聡さんの議論を見ていけば、明らかに大阪市民の利益という問題に囚われているのではなく、大阪府全体から関西地方の全体の発展、さらにそれと連動した日本全体の利益について述べているのは明白であり、やはりこの記述も意図的なミスリードである疑義が濃厚なワケです。

 また、先の「改革か?現状維持か?」という二分法に関しては、三橋メルマガの中で島倉さんは次のように反論しています。

ネット上にアップされたタウンミーティングの動画を観ると、橋下市長は「今の大阪に問題がある、と危機感を持っている人は大阪都構想の賛成派。今のままでも大丈夫という人は反対派」と説明しているようです。
しかしながら、「危機感は持っているけれども、今以上に状況を悪化させたくないから今回は反対票を投じる」という選択肢は、当然ありえます。
今回述べた事実、あるいはそこから想定されるリスクを踏まえれば、そうした選択肢が妥当なのではないでしょうか。

『【島倉原】「大阪都構想」の経済的リスク(入門編)』 より)


 ちなみに、他者への説得や世論形成において、このように「どういったカタチで問題を捉えるべきか?」というフレーミングの問題は非常に重要な意味を持ちます。ですので、私たちのように詭弁論理学を学ぶ者は、どのような問題を考える場合であっても常に「この問題について考える際の、適切な枠組みは如何なるものか?」「どのような枠組みでこの問題を捉えるべきか?」といった問いを投げかける必要があります。以前、苫米地英人氏は『洗脳護身術』という本の出していましたが、これはまさに詭弁護身術とでもいうべきテクニックでしょう(笑)



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