都構想の住民投票後に、「潔く引退した橋下氏は立派だ!!」みたいな意見が多く出てきて(もっとも、私もそのような論評をしてしまった一人であり、その点深く反省していますが・・・ちなみに、この「潔く敗北を認め政界から身を引く橋下氏は立派だ!!」論が如何にオカシイか?という問題についてはこちらのコラムが参考になります⇒『私たちは「橋下徹」におさらばできたのか - 想田和弘』)、さらに現在では、橋下批判に対して「敗者をこき下ろすなんて許せない!」などというツッコミが入れられているそうです。

 この点に関して、藤井聡さんはFBの投稿でこのように批判しています。

ただし、 「敗者をこき下ろすなんて許せない!」というツッコミは、「表面的な理由」 を口にしているに過ぎないように思えます(全員、というわけではないでしょうが)。なぜなら、もしも、結果が「逆」で、仮に僅差であっても「賛成多数」であったなら、徹底的な敗者に対するバッシングが始まっていたであろうことは間違いないだろうからです。(中略)
ですから、実際に「反対派が負け組」になったとすれば、そういう人々は間違いなく、
 「ざまぁみろ!!」
と、徒党をくんで、さながら「いじめ」のように叫ぶバッシングを始めたに違いありません。その時、彼らに、
 「敗者をこき下ろすなんて許せない!」
なんて反論をしたところで、彼らはその言葉に耳を貸すとは思えません。


 この点に関しては全く同感ですね。現在、藤井聡さんは今回の都構想に関して、地方行政のあり方の問題から、橋下氏による全体主義的な政治手法まで徹底的な事後的検証が不可欠だと述べていますが、もし仮に、今回の都構想の住民投票の結果が逆であったら、このような事後的検証や総括は全て、「負け犬の遠吠え」としてこき下ろされるか、せいぜい良くても「終わったことにいつまでもこだわってグチグチ言う非生産的な負け惜しみ」としてスルーされるのがオチだったハズです。

 さらに、多くの日本人は、橋下の「否決されたということは僕が間違っていたということでしょうね」という言葉に象徴されるように、「多数派こそが正しく、少数派は間違っている」というそれこそ間違った信念を漠然と抱いています(ちなみに、最近ハマっている詭弁論的には、「多数論証」(「Xは多数派である。多数派は正しい。故にXは正しい」というタイプの推論)という詭弁に分類されますw)。そのような状況で、都構想の住民投票の賛成多数になっていれば、たとえば藤井聡さんのような反対派の人間は、「大阪市を良い方向に導く正しい改革に頑迷に反対した悪しき抵抗勢力、机上の空論しか理解できないバカで頭でっかちで典型的な既得権的大学教授だ!!」というレッテル貼りがされたことはほぼ確実でしょう(というか正確には、都構想の投票前からそのようなレッテル貼りがされていたワケで、その信念がより強化されたであろうということですが)。

 その際に、「敗者をこき下ろすなんて許せない!」などと都構想の賛成派が考える可能性はほぼゼロですし、反対派の人間がそのようなことを言ったところで、「負け犬が何か言っているよw」と言って馬鹿にされるのがオチです。

 まあ、そんなワケで、おそらく今回の都構想が可決されていれば、大阪市民の多くは喜んで自分たちの地域を衰退・没落させる間違った改革を嬉々として推し進めていた可能性が高いワケです(例えば、今回の都構想で反対多数となったことで賛成派の勢いや発言力が大幅に低下したように、仮に賛成多数となっていれば、反対派の発言力は大幅に低下したであろうと推測できます、そうなれば、それまで反対であった人間も反対派の勢いと発言力の低下と共に賛成へと考えを変化させる可能性は十分に考えられますので、この推論は一定の妥当性を持っていると思います)。

「資本家は自分の首を絞める縄をも売る」などという言葉がありますが、この際に資本家には縄を打って(少なくとも短期的には)その対価を得るというメリットがあるのですが、改革に賛同する人間の多くは(それに伴う利権にありつく一部の人間を除いて)何も得しないワケです。まあ、嬉々として「美味しい!!美味しい!!」と言いながら毒を飲むようなもので、愚かだとしか言いようがありません。

 まあ、なんというか、こういった世論の状況や予測される変化を踏まえるなら、改めて、本当に今回の住民投票は紙一重のところで決定的な損害を免れたのだなぁと思います。



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