果たしてケーススタディ②以降があるのか分かりませんが、なんとなくノリでタイトルを付けてみました。高橋洋一氏の話に関しては、金融政策と財政政策の問題と指摘したいことが多々あるのですが、まあそっちはかなり説明が長くなってしまいそうなのでまた別の機会に・・・。

 今回取り上げたい高橋氏の詭弁ですが、まず一つ目は『正義のミカタ』での中国経済に関する見解です。高橋洋一氏は中国経済に関して、今後危機的状況を迎え、なおかつ成長は伸び悩むことになるであろうと予測しているのですが、その論拠はなんと「経済学では、自由な経済活動が許された資本主義経済でなければ成長できない(もしくは成長が阻害される)という理論があるから」とこれだけです。

 もちろん、経済学にそのような理論があることは事実でしょうが、それだけを持って中国経済は今後伸び悩むという推論の根拠とするのはいかがなものでしょうか?例えば、すでに中国経済は改革が進んでいて、共産党の一党支配は継続しつつもかなりの程度資本主義国の制度に近づいていると主張する論者は数多く存在しますし、実際にバイドゥやアリババといった有力なベンチャー企業も出現しています。ですので、一昔前ならともかくとして、現在の中国に関して、どのような観点から「成長の条件を満たした資本主義国の基準から外れているのか?」という基準を明確にすべきでしょう。共産党一党支配が継続しているからといって、中国は資本主義のシステムを放棄していると主張するのはあまりにも短絡的かつ間違った見解であるように思います。

 さらに、仮に、では、中国が資本主義体制とは違ったシステムで経済運営を行っているとしても、そもそも「資本主義でなければ成長できない」という理論が経済学の中に存在することがただちに「資本主義国以外は経済成長できない」こととイコールなのか?という問題もあります。例えば、現実には中国は近年急成長を遂げGDP世界第二位の経済大国となりました。もし仮に。「資本主義でなければ成長できない」という理論が正しいとするならば、ではなぜ近年これほどまでに中国は経済成長できたのか?という問題についてしっかりと説明する必要があるでしょう。さらに、クルーグマン等の経済学者らは、資本移動の自由化等様々な改革が実行された80年代以降アメリカや先進各国の経済成長はそれ以前の時期と比較して鈍化ことを指摘しています。であれば、逆に、持続的で安定的な高い経済成長率を維持するには、国家による適切な管理や介入が必要であるとも考えられますし、現実にそのような経済理論も存在します。そうであるなら、仮に「資本主義でなければ成長できない」もしくは、成長しづらい、という理論があったにしても、やはりそれにも程度の問題が存在するわけです。

 まあ、一応タイトルを詭弁論理学講座としているので、あえて分類するとするなら、これは権威論証に分類されるべきでしょう。

権威論証 (ad verecundiam)
A「人間はBを敬うべきだ。哲学者のCもそう言っているだろう」
Aの発言は「専門家(または著名人)も私と同意見だ。故に私の意見は正しい」というタイプの推論。権威に訴える論証とも。『専門家』や『著名人』は『常に真理を述べる者』と論理的に同値でもなければ包含関係にもないので、権威ある者の引用は厳密な証明にならない。

Wikipedia『詭弁』 より)


 それから、もう一つ取り上げたかった詭弁は、集団的自衛権に関する議論です。チャンネル桜の経済討論において高橋氏は軍事の専門家の間では、「一国の政治的決定によって行使される個別的自衛権よりも多国間の枠組みの中で行使される集団的自衛権の方が多重的なチェックと歯止めがかかるため安全である」とし、個別的自衛権以上にNATOによる集団的自衛権の枠組みを重視するドイツを例に挙げて、安倍政権の進める集団的自衛権の関連法案の推進は批判されるようなものではないという主張を展開しました。

 一見、非常にもっともらしい説明で、「ああ、そうなのかな?」とも思いましたが、そこで松田学さんが一言、「いや、ドイツはNATOという多国間の枠組みの中で集団的自衛権の重視だが、日本の場合はアメリカとの2国間における集団的自衛権の問題なのでそもそも性質が違う」とのこと。これは、高橋氏が非常に良く使うパターンの詭弁であると個人的には思っているのですが、まあ、論点のすりかえというやつです。

論点のすりかえ (Ignoratio elenchi)

A「スピード違反の罰金を払えというが、世間を見てみろ。犯罪であふれ返っている。君たち警察官は私のような善良な納税者を悩ませるのではなく、犯罪者を追いかけているべきだろう。」
B「トマス・ジェファーソンは、奴隷制度は間違いであり廃止すべきだと主張した。しかしジェファーソン自身が奴隷を所有したことから明らかなように、奴隷制そのものは間違いではなかった。」

論じている内容とはちがう話題(主題)を提示することで論点をそらすもの。論理性が未熟なために陥る場合は誤謬であるが、意識的におこなう場合は詭弁となる。


 そもそもドイツが安全保障において集団的自衛権の枠組みを重視しているのは、ドイツ固有の事情が大きく作用していると思うので、ドイツの取っている姿勢が日本にとって(そして、当のドイツにとっても)最善であるか?という問題自体があるとは思うのですが、そのような問題を抜きにしても、そもそもNATOという多国間における安全保障の枠組みと、戦後先進国中最も多くの戦争を繰り返してきたアメリカとの二国間の安全保障の枠組みを似たようなものとして扱うのが適切であるとは到底思えません。

 また、高橋氏は都構想の議論においても、特別区と、通常の行政区とは全く違った性質のものであると述べながら、その後同じ討論中に特別区の設置には現在大阪市に20以上ある区を5つの特別区に統合してコストを削減する等の効果もあるといった発言をしており、これなども、全く性質の違うもの(特別区と行政区)をあたかも似たようなものであるかのように扱っている点で明らかに論理のすり替えであったように思えます。

 もちろん、詭弁である、あるいは詭弁的な議論をしているからといって、必ずしもその主張が間違っているということにはならないのですが、(ちなみに、先のWikipediaの記事の中には詭弁の一例として「B君の言っている事は詭弁だ(屁理屈だ・揚げ足取りだ)。だから間違っている。」という詭弁も紹介していますw)巧妙な詭弁や印象操作に惑わされないために、いくつかの代表的な詭弁のパターンを把握することで「○○だから××だ!!」というようなことを誰が主張した時に、果たして○○であることは、本当に××ということの論拠足りうるのだろうか?と冷静に検討することが可能になるかもしれません。




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