韓国、「対日意識激変」日本製ランドセル人気「共同購入」も | 勝又壽良の経済時評

韓国、「対日意識激変」日本製ランドセル人気「共同購入」も



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ランドセルは高所得の象徴
韓国の負けを認めたくない

昨年末、慰安婦問題をめぐる日韓政府の合意は、韓国の対日感情を大きく変えている。その表れの一つは、新学期に備えた小学生の通学カバンで日本製のランドセルが人気を集めているという。カバン店ではランドセルの売り切れが続出していると報じられるほどだ。韓国人家族の心情において、子どもに日本製ランドセル背負わせて通学させたい。そこまで変わってきたことは、これまでの反日一本槍の韓国情勢を振り返ると、狐につままれる気持ちになる。

昨年6月25日のブログで、「韓国、『メディア暴走』日本のランドセルは『軍国主義の残滓』」と題して批判を加えた。朝鮮日報記者が、日本のランドセルは軍国主義の名残である。こういう暴論に対する私の反論である。このブログが出た9ヶ月後、韓国内のランドセルへ対する「反感」が大きく変わっている。それにしても、日本製ランドセルを軍国主義と批判した朝鮮日報記者の狭量さに驚くが、こういう間違った記事を編集デスクが見逃すほど、韓国は反日で凝り固まっていたのだろう。それが今や、すっかり変わっている。変われば変わるものだ。

ランドセルは高所得の象徴
『朝鮮日報』(3月6日付)は、「6万円の日本製ランドセル、韓国で売り切れ続出」と報じた。

この記事では、韓国の家庭が「見栄」も手伝って、韓国製の通学カバンよりも高価な日本製のランドセルを購入するケースが増えていると指摘している。1クラスで2~3人の子どもが、日本製ランドセルを背負ってくるというのだ。昨年の朝鮮日報記事では、日本軍国主義の名残と見当外れの批判を加えていた。今では、ランドセルが「軍国主義」から「高級イメージ」に取って代わったのだ。移ろいやすい世とはいえ、1年も経たないうちにこれだけの変わり方をするのだ。

①「小学校入学シーズンを前に、保護者の間で一つ20万~100万ウォン(約1万8000~9万円)する『プレミアム通学カバン』が飛ぶように売れている。韓国製通学カバンだけでなく、高価な外国製通学カバンも一部で人気を集めている。代表的なのが日本の『ランドセル』だ。一つ30万~100万ウォン(約2万7000~9万円)する。子ども向けブランドショップの関係者は、『ランドセル10種類のうち6種類は売り切れ、あとの4種類も数個しか残っていない』と言った。保護者の中には、ランドセルを入手しようと海外共同購入まで試みている。今年1月に保護者を集めてランドセル共同購入イベントを行ったあるブロガーは、『予想販売数を約20個と見積もっていたが、40個以上売れた。購入の問い合わせが相次いでいるため、2回目の共同購入イベントを計画しているところだ』と語った」。

韓国製の通学カバンの値段は約1万8000円から。日本製ランドセルは約2万7000円からの品揃えである。ランドセルの方が、5割ほど割高になっている。日本からの直接購入で智恵を絞るグループも現れている。日本の円安によって、韓国国内で購入するより割安になるのだろう。

ここで、心配になるのは「反日ムード」である。日本製ランドセルを背負う子ども達がいじめられないのか。「親日排斥」という法律まで作って、徹底的に親日子孫の財産を没収して根絶やしにする韓国である。仇敵の日本がつくったランドセルを背負う子ども達。だが、「反日」を理由にいじめを受ける心配はないらしい。見栄も手伝って、「日本製ランドセル」を上流階級のシンボルにしている。こうなると、反日ムードの正体とは何だったのか。韓国の政府とメディアが、共同で煽り立てていた「怪物」なのだろう。

②「ソウル市瑞草区内の小学校に勤める女性教諭イさん(27)は、『1クラスに2~3人は日本製のランドセルを使っている。ただ、子どもには少し重いため、1カ月も使わないで軽い通学カバンに替えるケースもかなりある』と話す。このような現象は、『一人っ子家庭』が増え、保護者たちの間で『うちの子どもにだけはいい物を買い与えたい』という考え方が広まっているためだと指摘する声もある。しかし、子どもたちの間でどんな通学カバンを持っているかが家庭の経済事情を判断する材料となり、『格付け』の口実になることもある。ソウル市松坡区のパクさん(37)=女性=は、『最近は子どもたち同士で、暮らしているマンションの広さを聞き合うほど、親の経済力に敏感だと聞いた。うちの子どもがバカにされるのではないかと思って、仕方なく高価な日本製ランドセルを買い与えた』と言った」。

韓国も格差の拡大する社会になっている。父親の勤める会社が財閥系か中小企業かによって、所得に大きな差が出ている。韓国の財閥の大卒初任給は、日本のそれを4割も上回っているほどだ。『韓国経済新聞』(2月3日付)は、次のように伝えている。

「韓国経営者総協会が、韓国の大卒新入社員の賃金が日本よりはるかに高いという分析結果を出した。韓国大企業(300人以上)の正規職大卒初任給は3万7756ドルと、日本大企業(1000人以上)の常用職大卒初任給2万7105ドルより39%も多いという。日本の1人あたりのGDPは韓国の1.29倍だ。国民所得が少ない国が賃金はむしろ高いため、深刻な不均衡となるしかない」。

前記のような賃金格差を考えれば、韓国家庭では日本製ランドセルを背負わせることが、無言のうちに「我が家は上流階級」というシグナルを発することになろう。1クラスで2~3人が日本製ランドセルを持っているとなれば、この子どもをいじめたりすると、自らの家庭が「格下」であることを認めるようなもの。そこは、「メンツ」の社会である。日本製ランドセルに目くじら立てるようなことをしない。それが、韓国流「メンツ」維持法かも知れない。

だが、やっぱり日本に対して何か言っておきたい。そういう記者もいるのだ。

韓国の負けを認めたくない
『朝鮮日報』(3月6日付)は、コラム「韓国のランドセルブームと『克日』」を掲載した。筆者は、同紙文化部の金美理(キム・ミリ)記者である。

この記事は、典型的な韓国人の日本への恨みが込められている。日本による韓国侵略の歴史では、豊臣秀吉まで遡るのが普通である。ここで、ランドセルをめぐって、伊藤博文まで遡り、日本の朝鮮併合に道を開いた元凶として糾弾している。だが、博文が大正天皇の子ども時代に献上した「平和的品物」とは言っていないのだ。ともかく、憎い伊藤博文か関わったランドセルだから「問題」であるという論法を展開している。

この論法で行けば、韓国が独立後に日本から製鉄技術を始め、あらゆる工業技術を導入した。いずれも、明治以降の殖産興業政策の先兵になったものばかりだ。朝鮮を併合した日本の経済力を支えた技術が、韓国経済を支えたのでもある。この記者の論法で行けば、憎い日本の技術を導入したことは、韓国経済を汚したことになるはずだ。こういう、歪んだ論法は、何の意味も持たないのだ。

日本は原子爆弾の被害を受けた国である。だからといって、原爆の平和利用である原子力発電所を受け入れなかったわけでない。これと同じ理屈であろう。原爆はつくらないが原発は利用するのだ。韓国人は、こういった論理の切り分け方が分からない感情過多症である。物事の価値判断が、感情8割、理性2割と言われる民族的な特性を持っていると言うほかない。ランドセルは、純粋にその機能面を評価すべきである。伊藤博文と大正天皇は無関係である。もしも、日本の子どもがランドセルを背負って、軍事教練をやっているならば、批判されても仕方はないであろう。現実は、違うのだ。

③韓国では最近、日本の小学生が使うランドセルが人気だ。インターネット上では、韓国で100万ウォン(約9万円)もする高額なランドセルを日本からの直接購入により半額で手に入れたといった書き込みも目につく。ところで、この小ぶりな皮のカバンには、韓国人にとってはのどに刺さった骨のような『歴史』が潜んでいる」。

日本のランドセルをめぐる歴史が、以下のパラグラフで語られている。言外に、韓国にとって哀しい歴史を持つランドセルなど使うな、という叫び声が聞こえてくる。

④「ランドセルの歴史は、次のようなものだ。1887年、大正天皇(在位1912~26年)が(少年時代)学習院に入学する際、首相だった伊藤博文がお祝いに献上した箱型の通学カバンが、現在のランドセルの原形になった。伊藤博文とは誰か。朝鮮侵略の先頭に立ち、朝鮮第26代国王・高宗を強制的に退位させた元凶、安重根(アン・ジュングン)義士が狙撃した人物である。これは韓国の小学生でも知っている。硬い皮のカバンには、このように韓国人なら決して忘れることのできない日本の侵略的な帝国主義の歴史が染み込んでいる」。

このパラグラフは、ぜひ記憶に止めておいて欲しいのだ。これが、韓国人の日本非難の「原型」である。ランドセルが伊藤博文でなく、他の人物によって大正天皇に献上されたならば、ランドセルに難癖を付けなかったであろう。ここでは、後で触れるが「日本軍国主義」という過激な形容詞は使っていない。多分、抑制したのだろう。ランドセルと軍国主義を結びつけることは、余りにも飛躍しすぎている。ジャーナリズムとして失格であるからだ。昨年6月よりも、少し冷静になってきたのだろう。

⑤「製品としてだけ見るとランドセルはとても魅力的だ。ちょっとやそっとの衝撃では損傷しなさそうな頑丈な印象があり、しかも品質に定評のある日本製だ。130年前のデザインの原形を保ちつつ、重さや材質だけを少し変えて伝統を固守している、代表的な『タイムレス・デザイン』(時代を超えて愛されるデザイン)だ。韓国にこんな学生カバンがあるだろうか。ランドセルに宿る帝国主義の歴史を取り上げたのは、『だからこのかばんを使うのをやめよう』と主張するためではない。私たちが達成すべき『克日(日本を克服する)』課題の中には、日本製品に堂々と品質で勝つことも含まれていると信じているためだ」。

韓国人は、「克日」という言葉を好む。日本への劣等感の裏返しである。こういうライバル心むき出しの言葉は、標語のように表面に出すのでなく、心底深く期すものだろう。だから、日本人はこの言葉を聞く度に、冷ややかな気持ちになる。薄笑いを浮かべるのだ。決して、韓国にとってプラスになる話しではない。ひと頃、流行った台詞でないが本来、「男は黙って勝負する」のが本筋である。

次に昨年、問題になった朝鮮日報記事を取り上げたい。

『朝鮮日報』(2015年6月14日付け)は、コラム「韓国に今なお存在する日本軍国主義の名残」を掲載した。筆者は、同紙の成好哲(ソン・ホチョル)産業第2部記者だ。

日本のランドセルが、軍国主義を象徴するという、滅茶苦茶な議論をしている。私の昨年6月25日付ブログで反論したが、以下にその一部を再録したい。

⑥「日本の初代首相を務めた伊藤博文は1887年、当時小学生だった皇太子にかばんを一つ贈った。帝国主義日本陸軍の歩兵が背負っていたかばんを模した、ランドセルだった。この皇太子は、およそ20年後、大正天皇(在位1912~26)になった。ランドセルの由来は、日本軍国主義の精神を小学生に教えるところから来ているわけだ。2015年の今も、日本の小学生はランドセルを背負って学校に通っている。ランドセルを背負った日本の子どもたちを見るたび、軍国主義が重なって見えてどうにも困る」。

上記の記事に対して、私は次のコメントを付けておいた。

ランドセルが、日本軍国主義の名残とまで言われては驚くほかない。ここまでくると、「牽強付会」と言う以外にない。ランドセルの歴史は、江戸幕府が洋式軍隊制度を導入する際、将兵の携行物を収納するための装備品として、オランダからもたらされた背嚢(はいのう)のオランダ語の「ランセル」が「ランドセル」になったとされる。確かに、伊藤博文が大正天皇の皇太子時代に贈ったという記録はある。だが、軍国主義を吹き込むためにランドセルを使ったわけではない。子どもが背負って通学する上で、手足は自由に動かせる。転んでも怪我をしにくい。そういう「機能」面で優れているのだ。

このコラムを書いた記者は20~30代であろうか。「軍国主義」という定義を知らないで使っている恐れが強い。軍国主義とは、国の政治・経済・法律・教育などの政策が戦争のために準備し、対外進出で国威を高めようと考える立場である。現在の日本は軍国主義であろうか。徴兵制もなければ、防衛費はGDPの1%見当である。この日本を「軍国主義」呼ばわりするのは滑稽である。こういう記事を書くのは記者として失格だ。よくぞ、この記事をデスクは無修正で通したものである。朝鮮日報編集局全体が、用語使用で厳密でないに違いない。朝鮮日報は、アジテーターの集団である。そんな誤解を与えるのだ。

(2016年3月17日)