韓国、永遠に対日摩擦は解決しない「偏狭な民族主義が命取り」 | 勝又壽良の経済時評

韓国、永遠に対日摩擦は解決しない「偏狭な民族主義が命取り」

『習近平大研究』勝又壽良著

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露骨な民族主義
史実を曲げ政争

韓国は、左右両派の思想的な対立がきわめて激しい国である。朝鮮戦争をめぐっても、史実に反することを信じている者がいるほどだ。左派では今なお、韓国が先に開戦したと思いこんでいる。歴史教科書でも鋭い対立を繰り返している。冷静に、「史実」に基づく議論が成り立たない国民なのだ。自説を主張しはじめたら、絶対に相手の議論を聞こうとしない。この左右両派が一致するのは、「反日問題」であるから驚く。国論統一テーマが「反日」である。日本は、不幸な隣国を持ったと言うほかない。

韓国では、政党、主義主張、地域などで感情的に鋭い対立を見せる。これの国際版が「対日」であると思えばわかりやすい。最近でも、ソチ・オリンピックの放送で韓国アナウンサーが、日本選手が転倒したことを嘲笑して、物議を醸し出した。日本のアナウンサーでは考えられない失態である。この事実から、まず「韓国人とは何者か」を知る糸口にしたい。

露骨な民族主義
韓国紙『東亜日報』(2月9日付け)は、次のように伝えた。

① 「ソチ五輪のフィギュアスケート団体戦を放送した韓国テレビ局KBSのアナウンサーが、女子ショートプログラム(SP)に出場した浅田真央選手の転倒をあざ笑った。このアナウンサーとゲストコメンテーターは、浅田の演技前までは冷静さを保っていた。演技が始まると、アナウンサーは生放送だということを忘れたかのように、『浅田真央の演技が始まります。おそらく失敗するでしょう』などと言い放った」。

② 「視聴者をさらに驚かせたのは、ゲストコメンテーターもこれに同調し、『今の浅田真央はキム・ヨナのライバルではない。キム・ヨナのジャンプの高さ、スピード、表現力は、浅田と比べ物にならない。例えるなら、成熟した魅力を持つ女性と小娘の力比べのようなものだ』と述べた。生放送で公然と自国選手のライバルを嘲笑し、皮肉を述べたアナウンサーの毒舌ぶりに、視聴者からは疑問の声も上がった。しかし、キム・ヨナのライバルが緊張のあまりミスをしたことに喜びを隠せない様子だった。ネットユーザーは、『このような状態では(浅田は)何もできないだろう』『キム・ヨナのライバルはいなくなった!』などのコメントを残した」。

私はこの記事を読んだ後、日本のアナウンサーが日本選手と外国人選手を差別するか。注意しながら聞いていた。皆無である。それが、真剣に競技している選手に対する「エチケット」であるからだ。もちろん、日本選手が勝った瞬間、アナウンサーも喜びを爆発させる。だが、敗れた選手への思いやり。技術面での優れている点は、公平に評価しているのだ。聞いている側もすがすがしい思いがする。韓国人も自国選手への思い入れがあって当然である。それ故に、相手国選手を嘲笑することは礼儀に反する。しかも、公平さが要求される「アナウンサー」がこの始末である。韓国社会では、自らの利益に反する立場の者に対して、容赦ない対決姿勢を見せる構造が存在する。だから、韓国国内で政党、主義主張、地域が異なれば、感情的に鋭い対立を見せても不思議でないのだ。

こうした「偏見」が生み出される原因はどこにあるのか。私は、儒教社会が根本にあると見る。儒教は古い仕来り、目上の者を尊重するという「宗族社会」の習わしを現在に引き継いでいる。きわめて保守的な社会構造である。「宗族社会」ゆえに、自らの宗族について絶対的な優位性を信じることが、組織を維持する原理になっているはずだ。「無謬性」が組織原理である。韓国では、政党、主義主張、地域が一つの「宗族社会」の組織原理によって編成されている。だから、互いに妥協なき争いを繰り広げているのだ。

中国でも同じである。宗族間の争いは「械闘」(かいとう)という暴力問題に発展する。最近でも械闘が持ち上がって話題になった。「1月31日、広西チワン族自治区玉林市博白県鳳山鎮書房地村で、2000人が入り乱される械闘(宗族など二つの勢力が武器を持って戦うこと) があった。旧正月のこの日、廖氏一族は新年恒例の獅子舞行列を行った。村の家々を回り新年の挨拶をした後、行列は街へと向かったという。その行列に対して、同村に住む劉氏一族が罵声を浴びせかけ、乱闘に。銃撃、砲撃が飛び交う大規模な械闘へと発展し、廖氏一族の山が3つ焼き払われた。玉林市から武装警察が派遣され、ようやく事態が沈静化したという」(『レコード・チャイナ』2月11日付け)。嘘のような本当の話が、中国には存在するのだ。

韓国社会が、「宗族原理」によって編成されていることは、紛れもない事実である。そうでなければ、今なお国内で非妥協的な無益な争いが、繰り広げられているはずはない。韓国の歴史教科書を巡る対立もその象徴である。60年間にわたって、左右両派の歴史教科書の争いが続いている。歴史教科書に対する左右両派の主張は、「認識」論争であって「史実」に基づかないのだ。

その延長線上に、「反日」問題が浮かび上がってくる。日本植民地下で、史実に基づく「功罪」を冷静に論じる基盤はゼロである。「日本が憎い」と言うなかで、慰安婦も歴史認識も取り上られていることは明らかである。韓国人を知る手がかりとして、韓国の歴史教科書論争は興味深い。

韓国紙『中央日報』(2013年10月21日付け)は、次のように伝えている。

③ 「2004年、韓国では教科書をめぐる歴史戦争があった。金星出版社が出した『韓国近現代史教科書』を右派の保守陣営が左偏向と攻撃した。南北が対立する状況のなか、論争は激しかった。2013年にまた教科書戦争があった。今回は保守性向の教学社の教科書が新しく出版され、攻守が入れ替わった。歴史教科書をめぐる対立が繰り返されている。(日本植民地からの)解放後に深刻だった左右理念対立のコピー版だ。大韓民国政府が誕生して以来60余年間続いてきた論争だ」。

大韓民国(韓国)政府が誕生(1948年8月15日)以来、歴史教科書をめぐる左右両派の争いが続いている。史実は一つしか存在しないが、歴史評価(歴史認識)は時代とともに変化する。だが、歴史教科書は「史実」だけを教えるべきであって、「評価」(認識)には触れてはなるまい。これが歴史教育の原点であろう。現実は、「史実」を飛び越えて「評価」を教える。政治的な偏向という批判が起こるのだ。

④ 「解放後から72年まで検認定だった国史は、朴正煕(パク・ジョンヒ)政権の維新体制(72年10月)登場とともに国策の科目となった。国家が公認した歴史の記憶だけが教科書に記録された。共産党は『角が生えた怪物』として描写された。社会主義関連書籍はすべて禁書だった。その後、ソ連で56年に起こったスターリン批判運動で廃棄されたソ連の本が、80年代に韓国教材として使われた。蒙昧なレベルの反共教育が招いた副作用だった」。

「国家が公認した歴史の記憶(注:史実)だけが教科書に記録された」とは、まさに「史実」をないがしろにして、ときの政府に好都合な「評価」を教えたことである。これは歴史教科書として、もっとも避けなければならない点である。その反動として、1980年代には「スターリン批判運動で廃棄されたソ連の本」が、こともあろうに韓国の歴史教科書に使われるという、想像もつかない事態を招いた。共産主義礼賛である。

こうなると、歴史教科書を舞台とした左右両派の「政争」と言うほかない。不幸なのは国民である。この後遺症は現在に及んでいる。北朝鮮政治を正統派政治と誤解する層が生まれたのである。韓国軍には今も、北朝鮮シンパがかなりいるという。その背後には、この歴史教科書の存在が上げられる。

⑤ 「この渦中で、現代史は歴史学界の死角地帯となった。解放直後、左右対立、南北分断、軍事政権の登場などは(現代史が政治的に)敏感な部分になった。70年代の歴史学者は現代史を研究も教育もしなかった。『少なくとも100年が過ぎてこそ評価が可能だ』として避けた。学界が放置した現代史研究は左派陣営の専有物となった。李成茂(イ・ソンム)元国史編纂委員長は、『韓国近現代史はほとんど左派に占領された。後に講義、論文などが左偏向でなければ通用しなくなった』と話した」。

現代史研究が政争の具となった結果、1970年代は現代史を研究することも教育することもなくなった。歴史学界が放棄した現代史研究は、左派陣営の独壇場になったというのだ。現代史研究は歴史学者として不可欠な作業である。過去の歴史(史実)との対話(評価)に基づきながら、現代に生起している現象をどのように認識するのか。歴史学者として自らの存在をかけて行うべき作業である。それを怠ったのは、歴史学の自殺行為である。現在の「反日」は、こうした左派陣営による歴史認識が支配している結果であろう。

私が、中韓の問題を毎日取り上げ論評しているのは、中韓に関わる「現代史研究」の一環とも言える。現在、起こっている中韓問題の根源は、どこにあるのか。史実と認識の架橋を通じて、方向性を見いだそうという作業である。口幅ったい言い方で恐縮だが私は、早くから中国による海軍大増強の危険性をこのブログ指摘してきた。それは、第一次・第二次の世界大戦の史実から得られた結果である。改めて、現代史研究の重要性を強調しておきたいのだ。

「大陸国家」のドイツが、海軍の大増強を行って「海洋国家」へ衣替えした。こうしてドイツは、2回の世界大戦が引き起こしたのだ。この「史実」を現代に援用(「評価」)すると、「大陸国家」の中国が「海洋国家」へ背伸びすべく、海軍の大増強を図る危険性を認識しなければならない。私の中国警戒論は、「現代史研究」から導かれる示唆である。イデオロギーに依拠する抽象論ではない、純粋な歴史的な見方である。

⑥ 「歴史学界で左派の掌握力は相当なものだ。閉鎖的な反共教育の後遺症でもあった。すでに世界の知性界では時代が過ぎたと判明した左派理論が、1980年代の韓国で遅れて力を得た。北朝鮮に追従するNL(民族解放)、主思派(主体思想派)が大学運動圏の覇権を握るほどだった。主要大学・学会など歴史学界全般に左派の影響力が及んだ」。

韓国の現代史研究が左派の独壇場になったのは、長年にわたった軍事独裁政権の左派弾圧の反動であろう。恐ろしいことは、言論弾圧には必ず反作用が生まれる点である。「主要大学・学会など歴史学界全般に左派の影響力が及んだ」とは、驚くべき偏向である。保守派=右派は、軍事独裁政権のシンパと見なされていたに違いない。こうした歴史認識の揺り戻しが、史実を飛び越えてしまったのである。朝鮮戦争によって、韓国は人的・物的に及ぶ多大な損害を被った。北朝鮮と中国が被害を及ぼした元凶である。この「史実」がないがしろにされている。韓国が現在、「反日・親中」に転じた背景は、史実の無視にある。不思議と言えば、これ以上不思議なこともない。

繰り返すと、韓国は中国と一緒になって「反日運動」に勢を出している。朝鮮戦争の史実を思い出すならば、あり得ない「中韓連合」である。日本の植民地政策を批判するあまりの「暴走」と映る。韓国にバランスのとれた現代史研究が存在すれば、こうした「中韓連合」のような事態は生まれなかったであろう。史実を客観的に評価しない。あるいは、史実を冷静に分析できる能力を欠いている結果、「糞も味噌も一緒」になった歴史認識の「カオス」が韓国を支配している。改めて、歴史の史実と認識の重要性を強調せざるを得ない。

⑦ 「歴史学界の左派偏向の流れは2004年、金星出版社『韓国近現代史教科書』をめぐる論争につながった。この時から右派の反撃が本格化した。右派の反撃は、冷戦解体後に旧共産圏の秘密文書が公開されながら始まった。現代史を改めて解釈した右派は、左派偏向の視点で批判された大韓民国建国、韓国戦争(1950-53)と李承晩(イ・スンマン)・朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領などを再評価した。2006年に出版された『解放前後史の再認識』は右派による左派反撃を象徴している。2013年には保守性向の教科書が登場した」。

史実を曲げ政争
「史実」を曲げた「歴史認識」が、政争の具になるから国民は混乱する。冷静に議論すべきテーマのはずだが、韓国社会は「宗族社会」のDNAを引きずっており、感情的な対立へと発展する。まさに「面子」が絡んでくるから、史実を棚上げして「勝った・負けた」レベルの争いになる。これは、中国もそうだが、韓国社会は合理的な価値判断をしない儒教社会特有のビヘイビアを見せている。儒教社会のもたらした拭いがたい後遺症である。

⑧ 「ユン・ピョンジュン韓神大教授(哲学)は、『歴史教科書論争が過度に政治化されている。現実政治勢力とつながっているからだ。その大半は非専門家だ。それでも権力獲得と執権のために『歴史教科書論争』を動員している。まず歴史学界内部の1次的な討論と談論の場が持続的に用意されなければいけない。そこで論争する必要がある。そこでろ過し、折衷点を探していかなければいけない』と強調した」。

韓国の歴史教科書論争に参加している大半が、歴史学の非専門家であるという。これこそ、教科書が政争の具にされている証拠だ。日本の「耶馬台国論争」では、古代史のロマンも手伝って非専門家が大いに自説を戦わせている。古代史への興味を共有する点では、別に批判されることもない。だが、現代史となると訳が違ってくる。素人が史実に基づかず、勝手に憶測して政争に利用する。「我田引水」になることは、歴史教育の現場に混乱を持ち込むだけだ。

『朝鮮日報』(1月8日付け)は、次のように伝えた。

⑨ 「全羅北道全州市の象山高校が1月7日、保守系の大学教授らが執筆した教学社の韓国史教科書の採択を撤回した。同校側は、『教学社の教科書採択を決定した後、学校のウェブサイトや電話を通じ、学校に対し悪口を浴びせたり、校長への個人攻撃が相次いだりしている』とし、外部からの圧力に耐えられなかったことをほのめかした。今年3月から新しい韓国史教科書を使用する全国約2300の高校のうち、教学社の教科書を採択した学校は探すのが困難なほどだ。これまで象山高校のほか、約20の高校が教学社の教科書を採択しながら、論議を呼んだ末、採択を撤回している」。

⑩ 「教学社の教科書に『親日派』『独裁を美化』というレッテルを貼るため、ありもしない事実をでっち上げ、人々を扇動したのだ。教学社の教科書が教育部(省に相当)の検定をパスすると、今度はポスターを貼ったり、デモや署名運動を行ったりし、採択を妨害する工作に乗り出した。教学社の教科書を採択した学校が『親日・売国学校』呼ばわりされながら、採択の方針を維持するのは容易ではないだろう。教育基本法は、『教育は政治的、党派的、あるいは個人的な偏見を伝播するために利用されてはならない』と定めている」。

保守系の学者が執筆した高校用の歴史教科書は、政府の検定もパスしたにも関わらず、採用した高校には凄まじい非難攻撃を加えている。理由は、「親日派」「独裁を美化」などである。この教科書では日本統治時代を客観的に既述しており、良い点と悪い点を公平に指摘した。悪い点だけならばいいが、良い点の指摘はとんでもない。まさに、史実を踏みにじった一方的な内容しか認めない。現代の「圧政」そのものである。軍事独裁政権時代が、日本植民地時代と二重写しになっているに違いない。軍事政権への反発が、日本への反発に繋がっているのだ。軍事政権は過酷な弾圧をしたが、経済的発展の基礎もつくっている。この「両面」を分けた評価が、韓国社会では不可能である。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という単純な宗族社会である。

この理屈を日本に当てはめれば、原爆を投下した米国に対し、日本は憎み続けなければならない。だが、戦後の日本は原爆投下と民主主義国の米国を分けて考えている。韓国人からすれば、不可解な行動に見えるに違いない。この日韓の差が、「史実と認識」のギャップとなって跳ね返っている。韓国は、未来を見ないで過去の史実のマイナス面だけにこだわっている。日本は、未来を見据えて過去の史実のプラス面を評価する。この差が、日韓の将来への展望で大きく差を広げるはずだ。

日韓の違いは、韓国社会の「宗族制」と日本社会の「近代合理性」の違いと言ってもよい。このギャップは、永遠に埋められないであろう。韓国が儒教国家に変わったのは、14世紀以降の李王朝である。それまでは仏教国であった。儒教に宗旨替えした結果が、現在の韓国である。中国同様の思考パターンになったのだ。史実の歪曲と、それに基づく認識のみを強調する面で、中韓は完全に一致している。韓国が、永遠に日本を理解できず憎しみ続けるならば、中国もまた同じ行動をとるであろう。これが、儒教的な思考方法の欠陥である。

(2014年2月28日)


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