中国、薄熙来事件が象徴する「縁故資本主義」で国内経済に赤信号 | 勝又壽良の経済時評

中国、薄熙来事件が象徴する「縁故資本主義」で国内経済に赤信号

縁故資本主義を地で行く
あくどかった薄煕来氏
共産党とは「相性抜群」

重慶市党委書記の薄熙来(ボー・シーライ)氏が3月15日に解任されて以来、その理由が徐々に明らかになってきた。総括すれば、先進民主主義諸国では起こりえ得ない事件である。有力都市のトップという「行政官」が、「司法」に介在して死刑まで執行させる。こういう無法ぶりに息を呑む思いである。GDP2位の国家において、これが現実に引き起こされたのだから、中国の潜在的な社会秩序は意外に脆いと言えよう。少し時間が経てば、中国はいずれ自壊に向かう経済であろう。これはほぼ間違いないと思われる。

私がここまで思い切った発言をするのは、薄熙来氏の事件が「縁故資本主義」(クローニー・キャピタリズム)を象徴しているからである。彼は、重慶市に赴任する以前に、大連市党委書記を勤めている。ここでも重慶市と同様の事件を引き起こしており、「縁故資本主義」を実践したのだ。さて、「縁故資本主義」とは何かだ。一般的には、官僚と企業が癒着して、経済支配権を握ることである。これは、1997年のアジア金融危機前のアジアにおいて典型的に現れたとされている。この程度の説明では納得されないだろうから、少し説明を加えておきたい。

縁故資本主義を地で行く
「縁故資本主義」とは、資源配分を市場原則に委ねずに、政治権力が特定の支配階層と癒着して経済活動を独占することである。その結果、経済的格差を固定化させ、拡大させる傾向が定着する。要するに、中国にそれが典型的に現れている。中央政府、地方政府を問わず、「社会主義」を口実に経済活動へ介入するのだ。例の地方政府による「領主経済」は、「縁故資本主義」の一形態と見られる。政治権力を握っている支配層が、莫大な利益を収めることが可能になるシステムである。中国においては、「権銭交易」と呼ばれる現象であり、官僚が自らの「権力」を使って「金銭」に交換することなのだ。

この「権銭交易」は、1978年の改革開放政策が始まってから顕著になった。当初は、統制経済から市場経済への「移行期」特有の現象かと思われてきた。だが、中国社会特有の「拝金主義」「守銭奴根性」が一斉に開花して、もはや手が付けられなくなっている。薄熙来事件はまさにこの延長線で起こったのである。

薄熙来氏が大連市とその後の遼寧省で行なった「悪行」は、陳言氏が『ダイヤモンド・オンライン』(4月16日付け)で、次のように伝えている。

①「薄熙来氏は、1982年に中国社会科学院大学院マスコミ研究科を出て、88年から大連市で宣伝部長になった。その後92年に市長代理を、93年から市長になった。中国国内で知られる民間企業として、大連では「大連実德社」が踊り出た。薄熙来氏が首長となった自治体は、例外なく経済成長が速くなる。大連市がそうだった。後に、重慶市も中国で7番目の「GDP1兆元」都市となった。彼の経済発展政策によって、大連時代に「大連実徳社」が飛躍し全中国に名声を馳せた」。

②「大連実德社董事(社)長の徐明氏は、1971年生まれで、94年から小さな建材会社を興し、事業を始める。2001年にはすでに3つの商業銀行、2つの保険会社、1つの基金を含む十数社の企業グループに成長して、事業の中身も建材、家電、サッカークラブ、金融に広がる。2011年に実徳グループは121億元(1573億円)を売り上げ、中国民営企業ベスト500社のうち第66位の地位を手に入れた」。

③「大連実徳の急成長は、当時の市長だった薄煕来氏と緊密な関係にあると言われている。薄煕来氏が大連市長やその後の遼寧省知事(1998~2004年)として、大連実徳を繰り返し視察して、『遼寧省企業の旗印』と絶賛していたことがわかっている。しかし、今年3月15日(薄煕来氏の解任)以来、大連実徳社の会長・社長がそろって行方不明(引用者注:当局に拘束されているもよう)になっている。すでに中国建設銀行は貸し剥がしに着手している。大連実徳社にとっては泣き面に蜂である。この貸し剥がしが、企業寿命を奪う最後の一撃になるかもしれない」。

④「薄煕来氏は、暴力団と結託した企業には容赦なかったという。彼は行く先々で、必ずといっていいほど民間企業と暴力団の癒着を発見し、それを一掃していく。その発端は2002年の劉湧事件だった。劉湧は、瀋陽などで暴力を用いて他人の財産を奪い、東北で巨万の財産をなした。薄煕来知事は在任期間中に劉を死刑にしている。劉湧の莫大な財産の行方についても、再び論議を呼んでいる」。

⑤「劉を死刑にして後、東北では2003年にもう一人の民営企業家が槍玉に挙げられた。個人資産3000億元(3兆9000億円)を有するといわれた仰融氏である。自動車工場の設立などをめぐって、仰氏は遼寧省と険悪な関係となり、遼寧省に告訴された。幸いその時仰融氏は北京におり、また会社は1992年に米国株式市場で『華晨汽車』という銘柄で上場していた。そのため当局も簡単に死刑にすることはできず、仰氏もいち早くアメリカへ亡命した。だが、仰氏の遼寧省での投資は完全に失敗に終わった。巨額の投資が、最終的に誰の手に流れていったのかについては、現在報道されていない」。

あくどかった薄煕来氏
一読して、薄煕来氏があくどい手口を使ったことが分る。①、②、③では大連実徳が急成長していくプロセスが、彼の庇護の下に進められた。④では、「暴力団との関係」を理由にして裁判にかけて死刑に処し、残された巨額の財産が「行方不明」になっている。⑤では、危うく経営者は難を逃れ米国へ亡命した。これまた、巨額の財産が「行方不明」になっている。この巨額な財産の一部が薄煕来夫妻の懐に入ったと『朝日新聞 電子版』(4月21日付け)が伝えている。「不正に得たとみられる60億ドル(約4800億円)を海外送金していたことが、党当局の調べでわかった」。

重慶事件については、4月4日のブログで紹介している。これとダブらない範囲で再度、取り上げておきたい。英紙『フィナンシャル・タイムズ』(3月4日付け)は、次のように報じている。

⑥「専門家は、(薄煕来氏が)重慶モデルの大規模な社会保障プログラムの莫大な費用を賄うには、新たな資金源が必要であった。(そこで暴力団摘発=打黒を名目にして没収した)『違法な』資産をこれに充てるのが適切な解決策だと考えられたと見られる。童教授は報告書の中で、『(打黒の)主な目的は、民間企業や起業家を弱体化、排除することで、国有企業を強化し地方財政を潤すことだった』と述べている。また、『重慶の打黒運動の特筆すべき結果は、資産や権力、家族を失った民間実業家の多さだ』という」。

⑥では、薄煕来氏が恐るべき陰謀を働いたことになる。「重慶モデルの大規模な社会保障プログラムの莫大な費用を賄う」べく、暴力団摘発=打黒を名目にして事件をでっち上げたというのである。これは、実際に被害を受けた私営企業経営者のインタビューで明らかにされている。ここで、重大な視点を指摘したい。大規模な社会保障プログラムの費用は本来、正当な歳入によって賄われるべきものである。だが、中国の地方財政ではその資金が捻出できない仕組みになっている。土地売却益で主要歳出を賄う前近代的財政であるからだ。固定資産税も相続税も存在しないという、GDP2位の国家財政制度の悲哀である。

しかも、「民間企業や起業家を弱体化して排除することで、国有企業を強化し地方財政を潤すことだった」。これは、前記の事実と合わせ二重の犯罪というべきであろう。「国進民退」というごとく、国有企業を支援して民営企業を弱体化させる「企み」が、地方財政を潤す手段に使われたのである。ここまで書いてきて、私は絶望感に打ちのめされた思いである。「縁故資本主義」そのものが、中国で「堂々」と演じられていたのである。これは、独り薄煕来氏だけの特異な事件とは言い難い。自動車産業では民営企業のBYD(比亜迪)が国有企業から経営的に圧迫されている事実が証明している。BYDはせっかく中国で最初の電気自動車を開発したが、国有企業すなわち政府から種々の妨害を受け、米国での工場建設を余儀なくされたほどである。

「縁故資本主義」は、こうして政府官僚と国有企業が結託して既得権益を守ろうという、きわめて悪質なビジネス形態である。ここから脱出できない中国が、さらに経済的に発展できるとはとうてい信じがたいのである。『ロイター』(2011年5月26日付け)は、次のように「中国経済の未来 縁故資本主義からの脱却が鍵に」(筆者はヒューゴ・ディクソン氏)を掲載した。

⑦「中国では『階層』システムが浸透している。最上層にいるのは党有力者の子どもで、コネを売り物に億万長者になる。その後に続くのは官僚で、税金のほかしばしば賄賂を資金源に、優雅な生活を楽しんでいる。汚職や腐敗防止に取り組む国際非政府組織(NGO)トランスペアレンシー・インターナショナルによる2010年の『世界汚職指数』では、中国は178ヶ国中78位タイとなっている。また一方では、国営企業は市場の独占や寡占による利益を享受し、配当金は最小限に抑えている。つまり、経済活動で実った果実は、その大部分が上位階層に属する人間の手に渡っている」。

⑧「縁故資本主義と中国共産党の一党支配をともに取り壊すことである。まず考えられないことだと認めざるを得ないが、もしこの選択肢が斬新的な手法で実現できた場合、中国はより欧米の民主主義に近い体制に平和的に移行できるだろう。しかし、経済成長が強まるにつれ、一部の特権階級は現状の維持にますます強い関心を示すようになった。現在の指導部に既得権益と向き合うだけの覚悟があるかは疑問だ」。

⑨「現在、中国の舵取りを担う胡錦濤国家主席と温家宝首相は、自らの信念に基づいて行動する政治家(コンビクション・ポリティシャン)ではなく、既存の総意や多数意見を代表する政治家(コンセンサス・ポリティシャン)とみられている。2012年秋の党大会では指導部の世代交代が行われると見込まれているが、その有力候補とされる習近平国家副主席と李克強副首相も、まだ手の内を見せてはいないが、既存の政治エリートとしてコンセンサス・ポリティシャンである公算が大きい」。

⑩「与えられた任務が輸出と投資に支えられた古い経済モデルの継続であるならば、コンセンサス・ポリティシャンはおあつらえ向きだ。だが高まり続ける社会政治的な問題に対処しながら、これまでとは違う方向に国内経済を力強く導くには、適任であるようには見えない」。

実に、適切な指摘である。中国の政策決定過程が「合意主義」(満場一致)という致命的な欠陥を持っており、しかもこの間に「関係網」という「コネ」が介入するから、ぐちゃぐちゃな政策がとられるのである。この点で中国には、「縁故資本主義」が大手を振って入り込む基盤が歴史的に用意されているのだ。ここに「市場経済」が導入されたのだから、政治的な腐敗はもはや不可避なのである。

⑦については、改めて説明するまでもない。私がこれまで繰り返し、主張してきたことばかりである。「国営企業は市場の独占や寡占による利益を享受し、配当金は最小限に抑えている。つまり、経済活動で実った果実は、その大部分が上位階層に属する人間の手に渡っている」。これが、「縁故資本主義」の実態である。

共産党とは相性抜群
⑧では、縁故資本主義と中国共産党の一党支配をともに取り壊すことが不可能だとしている。私も同感である。せっかくの甘い汁を他人に吸わせてたまるか。既得権益集団に守られる「縁故資本主義」は、経済成長が続けば続くほど頑迷固陋になって、一切の政治改革をも拒否するであろう。かくて、中国の将来は閉ざされるのだ。

⑨では、現政権が「自らの信念に基づいて行動する政治家(コンビクション・ポリティシャン)でなく、既存の総意や多数意見を代表する政治家(コンセンサス・ポリティシャン)」と喝破している。薄熙来事件を契機に、中国はますます「コンセンサス・ポリティシャン」に固まって行くだろう、というのが世界中の見方になっている。彼が解任されたのは、ポピュリズム「大衆迎合」であることが理由に挙げられている。最近の報道では彼は、最高幹部である中央政治局常務委員の汚職を調べていたという。それをネタにして2年後、予定されている習近平国家主席に取って代わろうとしていた、とされている。ことの真偽は不明だが、当たらずとも遠からずであろう。「汚職天国」の中国だから、中央政治局常務委員が全員、無傷であり得ない。それが常識というものだ。薄熙来事件は世界的に注目されているだけに、中国政治はますます「コンセンサス・ポリティシャン」となって、「一枚岩」を演出することになろう。実はそれが、中国の寿命を縮めることになるのだ。

⑩では、「輸出と投資に支えられた古い経済モデルの継続であるならば、コンセンサス・ポリティシャンはおあつらえ向き」としている。内需転換を声高に言ってはいるが、経済成長率低下に慌てており、やっぱり成長率を「投資」でかさ上げすることになるだろう。「縁故資本主義」では、これが最もぴったりする政策である。「個人消費」重視は掛け声だけであり、そもそも「縁故資本主義」の精神とは相容れないものである。この欲深い「縁故資本主義」の主役達は、最後まで共産主義と運命をともにすることを厭わない。そういう集団であるのだ。

(2012年4月25日)


インドの飛翔vs中国の屈折/勝又 壽良

¥2,415
Amazon.co.jp

日本株大復活/勝又 壽良

¥1,890
Amazon.co.jp

企業文化力と経営新時代/勝又 壽良

¥2,310
Amazon.co.jp