中国、中小企業へ「死の宣告」金融制度未熟で高利貸しの「天下」 | 勝又壽良の経済時評

中国、中小企業へ「死の宣告」金融制度未熟で高利貸しの「天下」

相反する二つの景況感
根深い統計操作の疑惑
中小・零細企業を放置

中国で羽振りが良いのは一握りである。政治権力に結びついている既得権益集団は、国から種々の恩典を受けられる。だが、それと無縁な中小・零細企業は、何らのメリットも受けられないで放置されているからだ。もともと中国は、近代国家としての体裁を整えておらず、既得権益集団がその政治的力を発揮して、我田引水で利益を分け合ってきた国家である。今その弊害が誰の目にもはっきりと現れている。それが高利貸しの跋扈(ばっこ)という、考えがたい事態の進展である。

相反する二つの景況感
国有企業と民営の零細企業は、先行きへの景況感(PMI)で対照的な動きを示している。『ブルーンバーグ』(4月2日付け)は、次のように報じた。

①「中国国家統計局と、英金融大手HSBC(香港上海銀行)が、それぞれ4月1日に発表した3月の製造業購買担当者指数(PMI)では強弱が分かれた。中国国家統計局と中国物流購買連合会が発表した3月のPMIは53.1と、2月の51.0から上昇し、1年ぶりの高水準。これに対し、英HSBCとマークイット・エコノミクスが公表した3月のPMI改定値は48.3と、2月の49.6から低下し、4カ月ぶりの低水準となった。3月22日に発表された速報値は48.1。両指数は50が製造業活動の拡大・縮小の境目を示す重要な指標である」。

②「中国国務院発展研究センターの張立群研究員は、前記の政府のPMIを根拠に、『経済成長が明白な回復状態にあることを示している。成長は市場の需要に基づき鈍化する可能性が残っている』との見方を示した。HSBCのエコノミスト屈宏斌氏(香港在勤)は、HSBCのPMIを基に、「成長リスクは下振れ方向である」と指摘した」。

政府発表のPMIとHSBC発表のPMIが、このようにまったく違う結果が出てきた背景は何であるのか。HSBCの調査はより広範な中小企業を対象としているので、中小企業経営の苦しさが透けてみえるのだ。つまり、中小企業の景況感は一段と冷え込んでいることになる。

『日本経済新聞 電子版』(4月4日付け)で、日本経済研究センター主任研究員の前田昌孝氏は、次のように分析している。

③「国家統計局版のPMIは旧国営企業を中心に比較的、政府から距離が近い大企業の景況感を反映している。HSBC版のPMIは銀行の取引先を中心にした調査だから、政府とは距離がある沿海部の民間の中小企業も調査対象に入っている。政府の政策意思が反映しやすい企業群が強気で、末端の民間は弱気だといわれればそれまでだが、もしHSBC版のほうが中国経済の実態に近ければ、日本経済も世界経済も再び試練の局面を迎える恐れがある」。

根深い統計操作の疑惑
以上の、①、②、③を通読して分ることは、中国経済が決して楽観できない状況下にあることを示している。国家統計局のPMIは景気の好不況の分岐点50を1年ぶりに上回る高い水準になっている。ところが、HSBCのPMIは4ヶ月ぶりの低水準に落ち込んでいる。しかし、客観的に見ると国家統計局のPMIには、何か胡散臭さが感じられるのである。国有企業中心の景況感が好転している理由には、具体的に何があるだろうか。現実には一つもあるわけでない。輸出が不調、公共投資も抑制、個人消費も横ばいというなかで、国有企業中心の景況感だけが明るいとは信じがたいのだ。

私がこういった「情報操作」を疑うのには根拠がある。それは、2006年のGDP成長率を当初11.8%と発表していたが、2008年のリーマンショック後に、13,8%へと一挙に2%ポイントも上方修正したからだ。私が咄嗟に感じたのは、リーマンショックで成長率が下がるのを見越して、過去の数字に「ゲタ」をはかせ日本とのGDPの差を縮めておこうという戦略と見たからである。もともと中国政府の発表する統計数字への信憑性は、きわめて低いのである。四半期末のGDP速報値は、わずか2週間後に発表されること自体が不思議なのだ。精緻なデータ収集と分析の実績がなく、国家統計局長自身の発言がそれを裏付けている。

私は、客観的に見ればHSBCのPMIに軍配を上げたい。それが、中国経済の置かれた状況を素直に示しているからだ。そこで問題になるのは、中小企業に関わる金融制度が事実上、存在しないという呆れた状態に置かれていることだ。これら民営企業がGDPの6割、雇用の8割を担い、中国経済を支えている。それにもかかわらず、民営企業の資金需要を制度として賄う態勢になっていないのである。国有銀行は国有企業の「金庫」であって、貸出の8割が国有企業とされている。しかも国有銀行と国有企業は、幹部の8割が「太子党」という気脈が通じ合う間柄にある。国有企業への融資には地方政府が暗黙の保証を国有銀行に与えるという、至れり尽くせりの関係なのだ。

こうしたなかで、中小企業などの民営企業に門戸を開く、まともな金融機関が存在しないとは、一体どういうことなのか。日本の場合、明治中期までに農業と商工業相手の専門金融機関である、農業協同組合信用部や市街地信用組合を設立して、制度として中小零細企業への資金調達の道を開いていた。それでも高利貸しは存在し、第二次世界大戦終了後まで生き続けたのだ。中国の場合、中小零細企業の専門金融機関が存在しないとは、まさに絶句するのである。これこそ、中国社会の底辺が放置されてきた何よりの証拠である。中国経済は上辺だけは着飾っていても、足元を見ると素足か草履履きというのが実態なのだ。

中国経済紙『21世紀経済報道』(2011年10月19日付け)は、次のように報じた。

④「中国人民銀行(中央銀行)の元副行長・呉暁霊氏が『浙江省温州市などで起きている高利貸しの問題は、金融引き締めによる資金不足が原因しているのではなく、中国の金融構造に根ざしている』と発言した。呉氏は『大改革を実施しなければ、必要な人が必要な融資を受ける金融制度にならない』と改革の必要性を訴えた。中小企業が集積する温州市では、民間の高利貸しが発展。これが国有企業に偏る国有商業銀行からの融資を代替してきた。ただ、足元では高利貸しから調達した資金を返済できず夜逃げする経営者が続出して社会問題になっていた」。

中国では民間ベースで資金を貸借は認められている。貸出金利が中国人民銀行(中央銀行)の基準金利の4倍以内(現状で年20%超)などの制限はつくが、民間資金を中小企業の融資に回す小額ローン会社も各地にある。ただ、不良債権化を恐れる地方政府はこうした民間金融の育成に消極的とされている。人民銀は500万元(6500万円)の資本金があれば、小額ローン会社を設立できるようにしている。現実は、地方政府がその10倍以上の資本金を義務付けている例が多い。この少額ローン会社は高利貸しの跋扈を防ぐ目的で設立された事情がある。だが、前述のように地方政府が、これの設立に消極的であるから、元の木阿弥で高利貸しが天下御免で動き回っている。その高利貸しの金利は、極端なもので「年利100%」という暴力的なレートが取りざたされている。1年借りれば元利金が2倍になるというあきれ果てた暴力金融である。

中小・零細企業を放置
今ようやく、中国政府が重い腰を上げ始めた。『人民網』(3月30日付け)は、次のように伝えている。

⑤「3月28日に開催された国務院常務会議で『浙江省温州市金融総合改革テスト区全体プラン』の実施が批准され、温州市金融総合改革テスト区を設立することが決定した。あるアナリストの見方によると、同テスト区の設立や関連する金融改革措置の実施は、中国が金融改革を一層推し進め、多元的な金融システムを構築するなどのさまざまな政策的シグナルを外界に向けて発信するものだという」。

⑥「今回の会議での指摘によると、民間の資金調達を規範化し、規範化された民間の資金調達の管理規定を制定し、民間の資金調達の登録管理制度を構築し、民間の資金調達のモニタリングシステムを構築し、これを充実されることが必要だという」。

温州市とは昨年、高利貸しが夜逃げしたり自殺したりして、一躍有名になった都市である。ここをテストの舞台にして、中小零細の民営企業の金融専門機関をつくろうという計画である。だが、具体案がまだあるわけでない。⑥で指摘するように、「民間の資金調達を規範化し、規範化された民間の資金調達の管理規定を制定し、民間の資金調達の登録管理制度を構築し、民間の資金調達のモニタリングシステムを構築」という具合に、日本ではすでに100年以上も前に実現させた当たり前の制度を、これからようやく検討するというのである。

私が繰り返し、中国経済のみならず社会までもが、前近代的な構造下にあると言い続けてきた実例がこれなのだ。中国の実態を良く理解せず、経済成長率だけを眺めている人たちにとっては、中国は確かに魅力的な存在であろう。中国は、そうした外部の皮相的な評価を真に受けているのが、何とも哀れに思えるのである。自国を客観的に分析する能力を身に付けなければ、破滅的な結末になる公算がきわめて強いのである。

経済は、国家運営の骨格を形作るものだ。その中国経済の基盤である中小・零細企業を支える「金融インフラ」が、高利貸しに支配されているのである。利潤の過半は高利貸しに吸い取られてきただろうから、先行投資などするゆとりがあるわけではない。いわば、その日暮らしで過ごしてきた中小・零細企業に満足すべき金融の「乳母」が与えられなかったのである。かつて、私の大学時代の恩師である金融論の樋口午郎教授が、講義で言われたことが耳から離れない。「金融とは企業にとって乳母のような存在である。企業が成長するには乳母が不可欠である」と。樋口教授はオーソドックスな金融論であった。今にして思えば、恩師の言われたことが50年余の歳月を経て、いかに正しかったかが中国経済において立証されたからである。改めて、良き師を持つことは生涯の宝であると痛感するのだ。

それに引き比べて、中国には一人の「樋口午郎」も存在しなかったのであろう。国有企業と国有銀行だけに目が行き、中小・零細企業を育てるということに目が届かなかったのだ。それは中国政治の最大の弱点を現している。つまり、中国政治は、既得権益集団の「綱引き」で政策が決定しているからである。中小・零細企業は、その政策決定の「綱引き」の場に参加すら認められなかった。そのツケが、高利貸しの跋扈という前近代的な「吸血集団」を放し飼いにしてしまったのである。もはや「下り坂」経済の中国にとって、このミスは挽回しがたい傷を残すに違いない。

(2012年4月13日)


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