中国、不安な時代迎えて「日本軍国主義」叩きで国民の目を逸らす | 勝又壽良の経済時評

中国、不安な時代迎えて「日本軍国主義」叩きで国民の目を逸らす

人民日報の「日本叩き」
不安な時代迎えた中国
米と連携は日本の選択

日本は大変扱いにくい隣国を持ったものだと思う。中国は絶えず自国の平和主義を主張しているが、それと同時に、日本を「軍国主義」呼ばわりしているのだ。自国の立場が不安になると必ず持ち出すのが「日本軍国主義」批判である。今さら、中国の平和主義を額面通り受け取る国があるだろうか。実質上、20年以上も続いている軍事費の「二ケタ」増をやりながら、「他国の軍事的な脅威にはならない」などと発言して煙幕を張っている。子供だましにも等しい言動である。外交感覚はゼロなのだ。

ここでアジアの地図を思い起こしていただきたい。中国は地政学的にきわめて不利な位置にあるのだ。太平洋に出よとしても日本列島が壁になっている。南シナ海の近接にはオーストラリアが控えているし、さらに南に下ればインドがでんと構える。いずれも民主主義諸国だ。こうした自由主義国家群のほかに、ASEAN(東南アジア諸国連合)が中国と対峙している。専制主義の中国にとっては、ぐるりと周辺を取りかこまれた形だ。これが中国の地政学的な現実である。この不利な状況を突破すべく、中国は軍拡を20年以上も続けているのだろうが、これは逆効果を招いている。これまで周辺国は中国の「平和主義」を信じてきたが、実態は違うことに気づき始めたのである。「眠っていた子」を起こしてしまったのだ。

人民日報の「日本叩き」
そこで登場するのが、例によって「日本批判」である。『人民網』(3月23日付け)は、「新米国防戦略は日本の思うつぼ」と題して、次のように伝えている。

①「日本政府は2010年12月17日の安全保障会議および内閣会議で、『防衛計画の大綱』、『中期防衛力整備計画』を承認した。新たな『防衛計画の大綱』は、初めて中国の軍事動向を『地域 ・国際社会の懸念事項』とし、日本がこれまでの『基礎防衛』から『機動性防衛』に転換することを明確にし、テロリストおよび北朝鮮のミサイル等の各種事態に対応するとした。新たな大綱は、対応能力を強化し、沖縄県西南諸島の島々に対する侵犯に備えることを決定した。新たな大綱の大きな変化は、防衛戦略の重点を日本の北東に位置する旧ソ連から、南西に位置する中国に移行したことで、西南諸島の防衛能力の強化を提案した」。

②「オバマ大統領は今年1月5日、新たな国防戦略を発表し、その戦略重点をアジア太平洋地域に移行し、同地域における米軍の戦力を強化すると表明した。情報によると、同戦略の構想は、『米国が経済および安保分野でのアジア太平洋シフトを本格化させたことを受け、21の国と地域を含むAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の機能をフレキシブルに活用し、経済および安保の2点から地域全体の関係を強化する』というもので、9月にウラジオストクで開催されるAPECサミットで、国際社会からの支持を呼びかける見通しだ」。

③「野田首相の提案した『太平洋憲章』新外交戦略の主要目的は下記の通りだ。日本は同盟国と称する米国と地域を共同で主導するとされているが、実際にはアジアの主導権を握る狙いだ。米国が新たなアジア戦略を発表したことを受け、日本は米国の勢力を利用してアジアにおける地位を高め、米国と共同でアジアを主導する目論見だ。これは戦後の日本が長年に渡り渇望してきたことでもある」。

④「日本は中国に矛先を向け、米国と中国を囲い込む構えを見せている。日本は発展を続ける中国に対し、さまざまな手段によりその勢いを抑えようとしている。米国の新たなアジア戦略は、中国を囲い込むことを目的とし、中国を主な相手として指名している。これは日本側の考えと完全に一致する。これにより中国を抑制し、ロシアを牽制することができるからだ」。

⑤「日本は米国とアジアを共同で主導することにより、政治大国・軍事大国となる野望を実現する。日本は過去20年間で、戦後の平和憲法の原則に反し、海外派兵や軍事行動に参加し、武器輸出制限を緩和化し、憲法改正により専守防衛を放棄しようとしている。日本が米国と共同でアジアを主導すれば、軍事力を拡大し海外に拡張するだろう」。

⑥「日本の目論見は単なる独りよがりであり、米国の承認を得られるとは限らない。戦後の日米同盟関係は、事実上不平等である。米国はその(軍事)指導権を他国と共有したことがなく、敗戦国の日本に対しては尚更である。米国は日本を利用すると同時に、抑制しようとしている。同時にアジア各国は日本に対して警戒心を持っている」。

不安な時代迎えた中国
以上を読み通してみて言外に滲むのは、中国が将来に対して不安を覚え始めたことである。第一は、自国の経済成長の低下問題。第二は、米国による「中国包囲網」の完成にある。その不安のぶつける相手がいないから、日本批判という形をとっているのであろう。ついこの間まで、10%経済成長を背景にして、日本を格下に見る風潮が強かった。そのピークは10年9月の「尖閣諸島事件」だ。有頂天になって日本批判を繰り返し、レアアースは一時輸出禁止、中国にいた邦人4名を不法拘留とやりたい放題だった。もはやその勢いも消え去った。足元を見つめたら、前記二つの問題が引き起こされていることに気づかされたのだ。急に、不安感がこみ上げてきたのだ。

①では、「新たな大綱(注:防衛大綱)は、対応能力を強化し、沖縄県西南諸島の島々に対する侵犯に備えることを決定した。新たな大綱の大きな変化は、防衛戦略の重点を日本の北東に位置する旧ソ連から、南西に位置する中国に移行したことで、西南諸島の防衛能力の強化を提案した」。この原因は、中国がつくったのである。「尖閣諸島事件」が引き起こされたからだ。中国漁船に非があるにもかかわらず、中国が逆に高姿勢に出てきた現実を踏まえれば、日本が防衛の力点を西南諸島に置くのは当然であろう。ましてや、これは国内問題である。中国が干渉すべき問題ではない。

②では、「オバマ大統領は今年1月5日、新たな国防戦略を発表し、その戦略重点をアジア太平洋地域に移行し、同地域における米軍の戦力を強化する」としている。これが、中国にとって予想外の事態が出現を意味している。だから、中国は口を極めて米国批判をしてきたのだ。曰く、米国はアジアから利益を得たいので「回帰」してきたと。現実は、中国のアジア太平洋地域における「軍事覇権」阻止が目的である。南シナ海や東シナ海での勝手な軍事的振る舞いを容認しない、という意思表示なのだ。

中国の最大の誤算は、海洋国家の米国に対して海軍力を拡張していることである。このブログでもすでに取り上げたが、第一次世界大戦前に英国がドイツに対して強硬姿勢をとったのは、英国の海軍力に対して陸軍国のドイツが真っ正面から挑んできたことにある。中国は、こうした歴史的事実をわきまえていない。陸軍国の中国が、太平洋で「第一列島線」とか「第二列島線」など、「中国の領海」扱いにして我がもの顔で振る舞っている。これでは、米国との間で軍事摩擦を生んで当然なのだ。ここでも、貧弱な中国の外交感覚が顔を覗かせている。率直に言えば、中国は米国と対等に渡り合える「実力」(経済力・文化力・科学力など)を全く持ち合わせず、ただ傲慢さだけが目立っている。

③では、「野田首相の『太平洋憲章』新外交戦略の目的は、日本が米国の勢力を利用してアジアにおける地位を高め、米国と共同でアジアを主導する目論見だ。これは戦後の日本が長年に渡り渇望してきたことでもある」と断罪する。だが仮に、日本がどんなにアジアでのリーダーシップ確立を狙ったとしても、他のアジア諸国の支持がなければ不可能である。中国も同じ条件である。要するに、日本も中国もその価値観が他国から支持されるかどうにかかっているのだ。なにも日本を批判せず、中国もまた他国から支持されるような国家運営をすれば良いのであって、日本批判は当たらないのだ。

④では、「日本は中国に矛先を向け、米国と(共に)中国を囲い込む構えを見せている。日本は発展を続ける中国に対し、さまざまな手段によりその勢いを抑えようとしている」と日本批判だ。日本が発展する中国を抑え込むことができるだろうか。先ず、経済面では不可能である。それぞれの国には「潜在的経済成長力」があるから、日本がそれを邪魔することはできない。ただ、中国経済はこれまでと違って、成長率は確実に低下する局面だ。内政面ではお気の毒なほど、ほとんど手が付けられていない。軍拡などやっているゆとりはないはずである。そのしわ寄せが内政面での混乱にでているのだ。

米と連携は日本の選択
中国による軍事面での脅威は、日本としても防がざるを得ない。日本一国で13億人の国家を相手にできない。だから、米国初めとする自由主義諸国と共同で、安全保障政策を立てざるを得ないのだ。日本が、こうした安全保障政策を打ち出すことに対して、中国は不満だろうか。ならば、中国が軍拡政策を放棄することであり、政治体制を民主主義に変えれば、問題は解決するのだ。共産主義は捨てない、軍拡路線も捨てない。日本は集団安全保障を捨てろ、これでは話が進まないのである。

⑤では、「日本は過去20年間で、戦後の平和憲法の原則に反し、海外派兵や軍事行動に参加し、武器輸出制限を緩和化し、憲法改正により専守防衛を放棄しようとしている」と事実に反することを言っている。日本は国連の要請で「海外派兵」したことはあるが、「軍事行動」に加わったことはない。「武器輸出制限」は憲法上の問題でなく、内閣の自主決定で輸出制限をしてきたにすぎない。それを一部緩和しても、中国から批判される筋合いはない。中国こそ発展途上国へ武器輸出をして稼いでいる国である。自国のことを棚上げして日本批判するのはアンフェーなのだ。その矛盾に気づいていないのが中国である。

「憲法改正により専守防衛を放棄しようとしている」というのも言いがかりである。憲法改正は日本の国内問題である。中国が干渉すべきことではない。ならば問うが、1979年に中国のベトナム出兵は何であったのか。国際法上では、あれを他国への侵略行為というのである。日本は戦後一度も戦闘行為をしていない国家である。中国のように朝鮮やベトナムにおいて血で「手」を汚していない国家である。天安門事件のように、自国民を戦車で轢き殺すという「惨劇」も経験していない国家である。戦後の日本は、中国から批判されることは何一つ行なっていない。むしろ批判されるべきは中国である。

「日本が米国と共同でアジアを主導すれば、軍事力を拡大し海外に拡張するだろう」というのも首を傾げざるを得ない。こうした「不安心理」の底にあるのは、言いしれぬ中国の将来に対する不安が言わせているものだ。中国経済が「中所得国のワナ」を脱出する可能性は、中国の社会構造からいっても不可能に近いと見る。それよりも身近に迫った不動産バブルの崩壊、生産年齢人口比率の低下。さらに国内では際限ない政治的腐敗に伴う社会不安。どれ一つとっても難問ばかりである。中国の将来に絶望感が漂うのは当然であろう。だからといって、日本を言われなき批判のやり玉に挙げるのは、不公正である。問題は日本にあるのでなく、中国自体が抱えているのである。それこそ、中国国内で解決すべき問題なのだ。

⑥では、「アジア各国は日本に対して警戒心を持っている」というのも言いがかりである。話は逆であって、警戒されているのは中国である。ASEANが日本への接近をしてきた背景には、中国の「支配」を恐れている結果なのだ。仮に中国がASEANから支持されているならば、日本へ「支援」を求めてくるわけがない。ここでも問題は、中国自体にある。

中国は、個人も国家も一様に責任がすべて相手にある、という立場だ。自分が正しくて相手が間違えている。そう信じて疑わないのである。社会構造からいえば、先進国よりも200年は遅れた国家である。近代化意識が希薄である。しかも、かつての「中華帝国」の末裔だけに、自国中心の「普遍帝国」意識は、微動だにしないのだ。この「自己過信」国家とどのように付き合って行くべきか。中国に反省を求めても所詮無理である。できるだけ害が日本へ及ばないようにする。それが賢明であろう。

率直にいえば、日本は自由主義国家との繋がりを深くすることだ。万一の侵略発生に備えて、自由主義諸国の支援が受けられるようにしておく。そういった集団安保体制をしっかりつくっておくことに尽きよう。日本の人口は、これから減少していく。そうしたなかで、他国からの侵略が日本にとって最大の難問になる。もはや、日本が他国を侵略するなどということよりも、侵略される懸念を真剣に考えなければならない段階なのだ。『人民網』が言っていることは全くの空論であって、中国「弱さの証明」でもある。

(2012年4月12日)


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