中国、大震災1年「日本の感謝外交」なぜか「朝貢外交」と錯覚す | 勝又壽良の経済時評

中国、大震災1年「日本の感謝外交」なぜか「朝貢外交」と錯覚す

外交で経済力の差を強調
GDPで上回り自信つく
謙虚さ欠いた中国の今後

中国は本当に不思議な国である。日本政府が昨年3月11日の東日本大震災から1年、国際社会から手厚い支援を受けたことに感謝を表明した。もちろん中国に対しても、野田首相の名で「中国を含む国際社会」へという書き出しになっている。このことが、ことのほか中国には「ご機嫌」のようである。日本が誠心誠意、「頭を下げた」という捉え方なのだ。怒られるよりも機嫌の良い方が好ましい。だが、その受け取り方は清国時代の「朝貢外交」と同じ感覚である。日本が中国の臣下になったような受け取りかただ。

世に、「外交辞令」という言葉がある。相手に好感を持たせる、外交上・社交場の応対語である。朝起きたら「お早うございます」という挨拶同様の位置である。ところが、中国人は額面通り受け取っているのだ。日本が頭を下げてきた、という認識である。驚くほかない。近代国家体制における国家関係は、「対等」であるという認識に欠けるのである。キッシンジャー博士の大著『外交』において、中国では国家関係が「対等」であるとの認識がない、と指摘している。彼らの頭の中は、清国時代の「朝貢外交」という相手国を見下す意識しかないのだ。日本に対しても同じ認識で見ていることは間違いない。

外交で経済力の差を強調
『人民網』(3月16日付け)では、「震災後の日本の『対中感謝外交』をどう受け止めるべきか」が掲載された。筆者は趙新利・チャハル学会研究員である

①「今年はちょうど中日国交正常化40周年にあたる。経済規模で中国が日本を追い抜いてから初の、盛大な国交正常化記念行事が行われる。中日のパワーバランスの変化を前に、両国の民衆はまだ心の調整が済んでいない。国交正常化40周年記念が、その重要な契機となることは間違いない。国交正常化から40年、中日関係は各段階で異なる特徴を呈してきた。今後10年またはそれ以上の期間、中日関係はどのように発展するのだろうか」。

①で明らかなことは、「中日のパワーバランスの変化を前に、両国の民衆はまだ心の調整が済んでいない」を強調したかったのであろう。「中日のパワーバランスの変化」とは、中国がGDPで日本を抜いて世界2位になった点を指している。つまり、中国の経済力が日本よりも上になったのだから、今後の日中関係は中国主導で進めて良い、と言外に示唆している。だからこそ、「両国の民衆はまだ心の調整が済んでいない」と言っているのだ。

驚くべきことは、外交関係の主導権がGDPの多寡によって決まる。こう見ていることである。何とも、清国時代の「朝貢外交」そのものである。私が常々言っているように、中国社会は前近代の「環節型社会」である。GDPの上下で、外交主導権の位置が代わるなどと大真面目に発言していること自体が、それを証明しているからだ。こういったことを発言して、波紋を呼ぶという意識は持たなかったのか。これがまた、驚きでもある。

『共同通信』(3月10日付け)は、藤崎一郎駐米日本大使の米国向けの感謝メッセージを伝えている。

②「東日本大震災から1年がたつのに合わせ、藤崎一郎駐米大使は、米国に謝意を示す広告を9日付け米紙ワシントン・ポストに掲載した。『トモダチ作戦』で日本での復興支援に当たる米兵や、ランドセルを背負う女の子の写真と共に、日本語で『ありがとう』と記し、英語で『まだ課題はあるが、日本は復興の道を進んでいる。あなた方の助けがなければなし得なかった。支援は決して忘れない』『ことしは日本から(米国に)桜が贈られて100年。日米の友情をあらためて確認しよう』とのメッセージを載せた」。

②の米国側の反応は聞いていないが、少なくともこれで日本が米国の「衛星国」になったという話は出てこないのだ。それどころか3月9日、「クリントン米国務長官は日本に向け『復興に取り組みつつ、国際社会への貢献も続けているのを目の当たりにし、本当に勇気づけられている』とのビデオメッセージを寄せた」(『共同通信』3月10日付け)。これが、「外交辞令」という見本である。日本が中国に送ったメッセージもこの類であって、別段、大きな意味など持ちはしないのだ。それを大げさに、中国が勝ち誇ったごとき反応することは異常としか言いようがない。

GDPで上回り自信つく
①の論文だけが特異なものではない。『環球時報』(3月12日付け)が、「中国はようやく日本と同じ目線で見る自信がついた」という記事を掲載した。

③「昨日は東日本大震災から1周年。日本の復興は順調とはいえず、国民の不満も募っているが、日本社会の我慢強さは素晴らしい。これこそが、どんな打撃にも負けない国だと思わせる。震災後の一連の措置に点数をつけるのは難しいが、今の日本は我々が知っている1970~80年代当時とは明らかに違う。その原因の一部は我々自身の変化にもある。中国はまだ全体的に遅れている部分も多いが、経済規模ではすでに日本を追い抜いている」。

④「我々は『正常な』心理状態を取り戻して日本を見るべきだ。すなわち、大国として、隣人として、そして核心の問題のみに絞って議論する態度をとるべきである。原則さえ堅持していれば、あとは何か対立が生じてもこの原則と道理に沿って処理すればよい。だが、その際にはむやみに腹を立てたりするべきではない」。

⑤「今は中国の方が(経済的に)強くなった。我々は今こそ、大国と呼ばれるに相応しい態度とはこういうものだと日本に見せつけるべきだろう。これはもはや大国の宿命なのだ。日本という存在は我々が精神的に大人になるために存在するとでも思えばよい。そんな風にしても、我々が損をすることには決してならない」。

ひと頃の「感情的な」もの言いから見れば、大変に理性的になったことは事実だ。それは日本にとってもありがたいことで、ようやく日本と冷静に話し合いができる基盤ができてきた。それが、GDPで日本を追い抜いた副産物とすれば、結構なことだと言うべきであろう。ただ正直に申せば、GDPで日本を追い抜いたことが、これほど中国人に優越感をもたらしているとは、想像を超えたことである。

例えば、日本がヨーロッパ各国をGDPで追い抜いたからといって、中国人のような「優越感」をもつことはなかった。私の感想を言えば、ヨーロッパ文化の高さには依然として、尊敬の眼差しを持ち続けている。そんなこともあって、私はヨーロッパ旅行によって得ることがきわめて多いのだ。最近はアジアにも足を運ぶが、かえって自分がスポイルされる恐れを感じるほど。GDPと文化は別物である。中国人の「守銭奴」精神が、その認識を阻害しているのだ。

さらに、中国が日中外交をリードすべしという、強烈な論文を紹介したい。『人民網』(3月1日付け)が、次のように報じた。筆者は、庚欣・日本JCC新日本研究所副所長である。呆れて途中、読み飛ばされても、私の解説で真実を「究明」するのでご心配なく。

⑥「中日関係の主導権は比較的明確なはずだ。甲午海戦(黄海海戦)から第二次世界大戦終結まで、中日関係は基本的に日本が主導した。戦後中国は次第に主導権を獲得していった。特に1950、60年代になると、中国は世界の強暴な勢力を恐れず、米軍に痛撃を与え、米ソ両覇権に拮抗して、日本を心から敬服させた。しかも中国は人道的観点から日本に寛大な許しを与え、平和主義へと改造し、日本をいたく感動させた。同時に中国の独立独歩の政治発展路線とその成果も、日本を深く震撼させた。これらによって、中日関係に対する中国の主導的地位が固められた。これは近代以降初の真の対中友好ブームももたらした」。

⑦「中国は百年の錬磨を経て、すでに東アジア地域と中日関係の方向性を主導する大国としての資質と能力を備えるにいたった。これは中国が東アジア唯一の国連安保理常任理事国であるというだけではなく、中国の歴史的能動性、地政的包括性、総合国力、および中日関係の淵源によって決定づけられることだ。今日の選択は「中国はこの主導権をしっかりと掌握し、中日関係さらには東アジア情勢を平和的発展の思想に沿って着実に前進させるのか?それとも他国に主導権を譲るのか?」にある。

謙虚さ欠いた中国の今後
私の解説・反論を加えたい。アジ演説を聴いているような錯覚さえ感じるが、要するに、「中国は偉大なる国家だ」とオウム返しに言っているに過ぎないのだ。それは逆に、今なお日本への劣等感から解放されていない事実を、問わず語りに語っているのでもある。

⑥では、「1950、60年代になると、中国は世界の強暴な勢力を恐れず、米軍に痛撃を与え、米ソ両覇権に拮抗した」という。何の根拠もなくここまで言い切れるとは、もはや「歴史科学」の範疇を超えている。中国がソ連の厳しい軍事圧力に抵抗できたのは、米中国交回復によって可能になった。これが現実である。この米中復交を足がかりに日中復交へと進み、これまたソ連の軍事圧力を軽減させたのである。日本には再軍備強化を唆し、日本の対ソ連防衛強化によって、ソ連軍の配置を中ソ国境線から引きはがさせたのだ。

「日本を心から敬服させた。しかも中国は人道的観点から日本に寛大な許しを与え、平和主義へと改造し、日本をいたく感動させた」。これは全くのデタラメである。蒋介石こそ日本との宥和を重視しており、寛大な措置を下していた。今でも語り種になっているように、日本への引き揚げ船では、丁重に扱ってくれたのである。日本が平和主義に転じたのは、別段、中国共産党の指示に従ったわけでもなく、日本人自らが選び取った道である。中国共産党が政権を握ったのは、1949年10月である。その段階では、すでに戦後日本の再建方針は確定し再建は始まっていたのだ。中国共産党のお世話にはまったくなっていないのである。

⑦では、「中国が東アジア唯一の国連安保理常任理事国であるというだけではなく、中国の歴史的能動性、地政的包括性、総合国力、および中日関係の淵源によって決定づけられること」も間違っている。中国が国連の安保理常任理事国になれたのは、米国のルーズベルト大統領のお陰である。この間の事情は、キッシンジャー博士の大著『外交』の詳細に説明されている。ル-ズベルトは、なぜか中国に同情的であった。第二次世界大戦の処理をめぐる米英ソの三カ国首脳会議で、ルーズベルトは「世界の警察官」として中国を推していた。これに対してソ連が否定的な扱いをした。また、フランスについてはソ連が推して、米国が否定するというチグハグさがあったが、最終的に妥協した。こうして、「米英ソ仏中」という五ヶ国が、「世界の警察官」に選ばれたのである。ルーズベルトの同情がなかったならば、中国は国連安保理常任理事国になれなかった。それが真相である。

⑥と⑦では、真実からほど遠いことが記載され、今後の日中外交は中国がリードすべしという誤った結論を導いている。そうではなく、日中が「対等」な意識で臨まなければならないのである。それが、近代国家の外交関係のあるべき姿のはずである。中国は、GDP世界2位というタイトルが転がり込んで、有頂天になっているにすぎないのである。大国にはそれに伴う責任も発生する。それを忘れて、威張り散らすという今の外交スタイルは、すでに南シナ海で破綻しているのだ。ここで今なお中国が、日本のODAで無償の経済援助を受けている現実を指摘しておこう。

『人民網』(3月16日付け)は、次のように報じている。

⑧「2011年度の日本国『草の根・人間の安全保障無償資金協力』黒竜江省プロジェクト締結式典が3月15日、哈爾浜(ハルビン)市で行われた。斉斉哈爾(チチハル)市龍江県中日共同医療環境改善プロジェクトと哈爾濱(ハルビン)市方正県中日共同公共衛生プロジェクトが対象で、無償総援助額は約20万3千ドル『草の根・人間の安全保障無償資金協力』プロジェクトは、日本政府が発展途上国の多様な基本的需要を満たすことを目的として進める支援計画。1993年に黒竜江で実施されて以来、黒竜江は計70の無償支援プロジェクトを受けた。主に教育・民生・環境・医療衛生などに及び、無償総援助額は約529万6千ドル」。

中国では、日本のODA無償援助を受けている現実を、どのように理解しているのだろうか。他国から援助を受ける身でありながら、援助供与国の日本を罵倒・威嚇することが人倫に反する道であるはず。仮にも「道徳の国」を標榜する中国では、こうした行為が人の道に反することは自明であろう。国家も個人も同じであり、何ごとも謙虚になるべきだ。

(2012年4月6日)


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