中国、現代の「三国志」胡錦涛「魏」が江沢民一派を排除する! | 勝又壽良の経済時評

中国、現代の「三国志」胡錦涛「魏」が江沢民一派を排除する!

薄熙来を庇護した江沢民
歴史は繰り返す血の略奪
10年後江沢民派消える

今年の秋をめざし目下、北京で「熱い戦い」が繰り広げられている。共産党中央委員会政治局常務委員、いわゆる「チャイナ・ナイン」(遠藤誉氏命名)の椅子をめぐる「闘い」は熾烈を極めているからだ。政治局常務委員の枠は9人だが、習近平と李己強の二人を除く全員が定年を迎える。新たに残り7つの椅子が、新常務委員に振り分けられる。その椅子取りが注目されている。

中国政治に見る複雑怪奇さの極点は、党の最高人事決定がダーク・ボックスになっていることだ。人事の正式発表1時間前まで、誰も予測不可能とされている。それだけ、ぎりぎりまで暗闘が繰り広げられている証拠である。中国ウオッチャーが、人事予測をするとすべて間違う。そう言われるのも、ダーク・ボックスゆえのことなのだ。そのダーク・ボックスを絵解きする原点は「三国志」にある。複雑な権力と人間模様の織りなす闘争劇は、「三国志」を指南書にして初めて理解できるであろう。

人事闘争劇の前哨戦になったのが、重慶市党委書記である薄熙来の解任である。片腕であった王立軍が、米国領事館に逃げ込んだ事件で党中央の取り調べを受け、その過程で薄熙来の責任問題が浮上した、と報道されている。この問題は、単なる権力争いの一分派という視点で見ていると、ことの本質を見間違える。「三国志」において、「魏の曹操」、「蜀の劉備」、「呉の孫権」の三人が天下統一をめぐって争っていた時代に戻って眺めると、話が分りやすいのである。

薄熙来を庇護した江沢民
この「三国志」になぞらえると、「魏の曹操」は胡錦涛、「蜀の劉備」は江沢民、「呉の孫権」は薄熙来である。薄熙来を孫権に擬することには反対論もあろう。だが、伝えられるところでは彼が、「毛沢東主義回帰」を打ち出しており、機会を見て政治の実権を握ろうという「野心」もあったとされている。また、江沢民を劉備に擬することにも反対はあろう。「三国志」では劉備が最大の人気を得ているからだ。江沢民は、強力な上海派閥をつくって経済と政治の実権を握り「懐」も相当に暖めてきたと言われる。彼が、劉備のような大衆的な人気に欠けるのは確かだ。子細に見ると胡錦涛、江沢民、薄熙来の三人は、それぞれキャラクターに一長一短はあるが、話の筋として理解していただきたい。

「三国志」では、「魏の曹操」に対抗して「蜀の劉備」と「呉の孫権」が、連合したり敵対したりという具合でつかず離れずの関係にあった。実は、江沢民も薄熙来と深い関係にあったのである。それは、薄熙来の父親である薄一波(元国務院副総理)と持ちつ持たれつの関係にあった、と指摘されている。江沢民が国家主席に就任するきっかけは、鄧小平の下で働いていた薄一波が推薦したとされている。趙紫陽が天安門事件で失脚したあと、薄一波が自分を疎外している北京閥でなく、上海閥から後任を選びその際、息子の薄熙来の将来を売り込んでおきたい。そうした思惑の線上で浮かび上がったのが江沢民だった、というのだ。詳細は、遠藤誉氏の『チャイナ・ナイン』(朝日新聞出版 2012年)に詳しく取り上げられている。

江沢民は国家主席に就任したが、薄一波は改革派でなく保守派に顔を連ねていた。鄧小平の「社会主義市場経済」論には不賛成であり、江沢民を保守派に取り込んでいた。これに怒ったのが鄧小平であり、江沢民を更迭する意志を固めた。これを知ったのが北京市党委書記の陳希同である。彼は、趙紫陽失脚の後釜は自分であると考えていたが、江沢民に油揚げをさらわれた悔しさもあって、江沢民の「秘密」である「日本軍の手先」であったという証拠を、鄧小平に提出したのである。江沢民の「秘密」とは、すでに私のブログで取り上げたが、次のような内容である。「日中戦争時に『実父とともに日本に協力した裏切り者だった』などと主張する論文を発表した歴史研究家の呂加平氏ら3人に対して、北京市第一中級人民法院(裁判所)が2011年5月13日、国家政権転覆煽動罪で懲役10年などの判決を言いわたしたことが分かった」(『サーチナー』2月9日付け)のである。

この秘密文書が鄧小平から薄一波に突きつけられた。さらに薄一波は、なんと江沢民にそれを見せてしまったというのだ。江沢民は自分の更迭問題を知り、さらに「出自」の秘密が暴露されたことに驚いて、否応なく「社会主義市場経済」を受け入れた。だが、自分の秘密を知っている陳希同を逆恨みして、北京閥一掃に乗り出したのである。鄧小平死後、陳希同を逮捕して獄窓に繋いでしまったのだ。こういう過程を経て、薄一波と江沢民の関係は一段と深まり、息子の薄熙来を将来は中央政府の重要ポストへ就けるという密約が成立した、とされている。

薄熙来は父親の差し金によって、時の国家主席と太いパイプで繋がれた。彼は政治的野心を満たすために大胆な行動にでたが、いまそのいくつから明るみになっている。後世の人間は「三国志」を講談本(『三国志演義』)で面白おかしく理解している。だが、それを地で行くような事件が、薄熙来の行動によって現実のものとして浮かび上がってきたのだ。

歴史は繰り返す血の略奪
香港誌『新維』(2012年4月号)は、次のように報じた。

①「中国重慶市の共産党委員会書記を解任された薄熙来氏と妻に、殺人事件に関わった疑いがある。真偽は不明。薄氏は党中央規律検査委員会に拘束されたとの情報があるが、同誌は妻も拘束されているとしている。関与が疑われているのは、2009年に若い兵士が射殺された事件である。同誌は、暴力団一掃運動を展開するきっかけをつくるため、夫妻が何者かに実行させた疑いがある」。

英『BBC放送 中国語版ウェブサイト』(3月25日付け)は、次のように伝えた。

②「解任された薄熙来前重慶市党委書記の息子の『英国人執事』が死亡した原因について、英外務省が中国側に調査を求めていることが分かった。ロイター通信の報道によると、昨年11月に重慶で英国人男性が『アルコールの過剰摂取』で死亡したが、この男性は実は薄氏の息子、薄瓜瓜氏の英国人執事だったと中国誌・財経の著名な記者がミニブログで明かしている。楊氏によると、この死亡事件を処理したのは、在成都米国領事館への亡命未遂事件を起こした王立軍・前重慶市副市長。当時、詳しい死因を調べることなく、ただちに荼毘に付されたという」

①や②は、ミステリアスな事件になってきたが、むろんことの真偽は不明である。だが、次の事件は現実に起こり被害者がそれを訴えている。

英紙『フィナンシャル・タイムズ』(3月4日付け)は、次のように伝えている。

③「彼(注:被害者)は重慶市の元不動産開発王で、同市で近年行われた組織犯罪の一斉検挙運動「打黒(ダーヘイ)」により逮捕、拷問され、資産を押収された人物である。(薄熙来は)かつての革命歌を歌って共産主義を称える『唱紅』運動や、公共サービスを向上させる一方、『組織犯罪』を徹底して取り締まる打黒運動といった人気取り的な統治モデルは、大きな成功を収めたと広く評価され、年末の薄氏の常務委員会入りは確実視されていた。 だが、大衆の支持を集めた『暴力団撲滅運動』では、実は裕福なエリート層が主たる標的となった。警察と軍隊が、薄氏と王氏の命令に従い、数万人の裕福な実業家を『組織犯罪』に関わったとして拘束、自白を強要して、十数人以上に『主犯格』として長期の懲役刑や死刑を言い渡した」。

④「『重慶での尋問は封建時代でさえ使われなかった方法が用いられた。被告に有利な証人を秘密裏に拘束したり、尋問されていることを口外した家族を拘束したりしていた』。華東政法大学の童之偉教授は、中央政府に先日提出した重慶の犯罪撲滅運動に関する報告書の中でこう述べている。多くの政治関係者やアナリストによれば、薄氏の主たる目的は前任の重慶党委書記で常務委員の座をともに争うライバル、汪洋氏の評判を落とすことだったという。標的となった重慶の実業家や役人の多くは汪氏の下で頭角を現した者たちだった。典型例が汪氏時代の公安副局長で、この人物は2010年7月に処刑された」。

③では、「大衆の支持を集めた『暴力団撲滅運動』では、実は裕福なエリート層が主たる標的となった。警察と軍隊が、薄氏と王氏の命令に従い、数万人の裕福な実業家を『組織犯罪』に関わったとして拘束、自白を強要した」。この目的は財産没収であった。その財産を元にして社会福祉や住宅建設を行ない、大衆の人気を得ようというポピュリズムにあった。実は、これと同じ手法が「三国志」には出てくるから驚くのである。それは、189年に後漢の霊帝が没すると、権力をめぐる争いで朝廷は大混乱に陥った。このとき、霊帝の跡を継いだ少帝などを保護した董卓(とうたく)が、その後は権力を恣にしたのだ。「軍資金や糧食が不足すると、財産家を狙い一族を皆殺しにして巨万の富を蓄えた」というのである。これと全く同じ行為が1800年後、薄熙来によって演じられたことに中国社会の歴史的な異様性を感じるのである。しかも、重慶市は北京・上海・天津と並んで中央政府の直轄市である。そこで、こうした「流血事件」が引き起こされていたのは、胡錦涛政権の管理責任は免れないのである。

④では、明らかに政敵を追い落とすべく仕組まれた事件であることだ。不思議なのは、薄熙来がこうした人倫に反する事件を引き起こしても、何のお咎めも受けずに政治局常務委員へ昇格できると考えたことである。これは、江沢民が背後にいて庇ってくれるであろうと、甘く見ていた結果か。あるいは、胡錦涛では手出しができないと見ての暴挙かもしれない。いずれにしても、普通の感覚ではないことだけは確かだ。胡錦涛を軽く見た背景には、父親の薄一波が、そういった類のことを息子に吹き込んでいたのであろう。

胡錦涛は、共青団(中国共産主義青年団)時代から趙紫陽を深く尊敬してきた。ところが、薄一波は趙紫陽を快く思わず、かつ胡錦涛が普通家庭出身ということで、共青団では彼を排撃して地方勤務をさせてきた。だが、胡錦涛はたまたま鄧小平の子弟と党中央校で親密な関係にあり、薄一波から地方へ出されても、すぐに北京に戻ってくるということを繰り返していた。ここら辺りは「三国志」を彷彿とさせる人間模様である。

こうして胡錦涛が若い頃、薄一波から疎まれ続けてきたこと。その「宿敵」の息子が薄熙来であること。しかも、江沢民は胡錦涛政治を妨害してきた。政治局常務委員に次々と江沢民派を送り込んでくる。この江沢民が、薄熙来の後ろ盾になっているのだ。これだけ「悪条件」が重なれば、薄熙来が重慶市党委書記に就任以後、胡錦涛の一度も重慶市に足を運ばなかった理由も分る気がする。人間そこまで寛容にはなれないのだろう。

ここで、重要な点を指摘したい。江沢民がなぜ政治局常務委員に自派の息のかかった人物を送り込んできたのか。それは、共産党幹部の汚職・賄賂事件の捜査開始を最初に決定するのが政治局常務委員会であるからだ。ここでは、多数決で決める慣例になっている。江沢民派が多数を占めれば、捜査対象から外されるという「恩典」を受けられるのだ。江沢民が率いる上海閥は、誰でも「叩けば埃が出る」集団とされている。上海閥はいわゆる「既得権益集団」であるのだ。これまでの汚職事件は、ほとんど上海閥絡みである。

江沢民は昨年一時、死亡説が流れるほどであり、健康問題に懸念を残している。もはや、かつての勢いは感じられなくなっている。その証拠に、江沢民の長男である江綿恒について、「中国政府の人事社会保障省は2011年11月18日、中国科学院副院長に再任しないとの決定を発表した」(『共同通信』2011年11月19日付け)。1999年以来、中国科学院副院長であったが、その任は解かれたのである。江綿恒は、種々の噂が付きまとっている人物である。

10年後江沢民派消える
こう見てくると、政治の主導権は江沢民から当然、胡錦涛の手に移っていることは疑いない。この脈絡のなかで、薄熙来の失脚を読み直すと今後の中国政治は、胡錦涛の描いた路線で進むであろうという示唆が得られるのである。もちろん胡錦涛は来年、政権を離れるものの、今年の政治局常務委員に胡錦涛路線に忠実な人材を送り込んでおくだろう。仮に、江沢民が最後の力を振り絞って、自派の人物を推薦し胡錦涛がそれを受け入れるにしても、遠藤誉氏の分析によれば、「10年後には江沢民派は一人もいなくなってしまう」というのだ。すでにこれを読んでいるのか、人民解放軍は江沢民への忠誠から胡錦涛への忠誠に切り替えている。『産経新聞』(3月22日付け)は次のように報じている。

①「薄煕来・共産党政治局員の重慶市党委書記解任を機に、中国では胡錦濤国家主席を中心とする共産主義青年団(共青団)派が秋の第18回党大会に向けた政治の主導権を握りつつある。その最大要因は江沢民前主席に忠誠を誓ってきた郭伯雄・党中央軍事委副主席ら軍首脳が、今年に入り相次ぎ胡主席支持へと乗り換え始めたことにある。江氏の健康の衰えや、胡主席が抜擢してきた軍の次世代幹部が台頭し始めたことなどで、軍首脳も保身のために転身を余儀なくされたようだ」。

②「胡錦濤氏は2002年に党総書記、翌春、国家主席、04年、党中央軍事委主席に就任した。しかし軍事委の制服組首脳、郭伯雄、徐才厚の両軍事委副主席や梁光烈国防相、陳炳徳総参謀長ら首脳は江沢民前主席が抜擢。胡主席の意向は軍に浸透しなかった。ところが今年に入り、これら軍首脳が相次ぎ胡主席への忠誠を表明。軍の各種催しを通じ『党中央軍事委と胡主席の権威を旗幟(きし)鮮明かつ断固擁護し、すべての指示に従う』大々的な教育、宣伝を始めた」。

人民解放軍は共産党の軍隊だから、「胡錦涛主席への忠誠を誓う」という形になるのだ。本来なら、国家の軍隊であるはずだから忠誠を誓うべき先は、個人でなく国家である。こうして人民解放軍が胡錦涛主席寄りになると、次期国家主席候補の習近平はどういう立場になるのか。保守派や軍部の支持を受けていると言われているが、胡錦涛の影響力が強くなれば、その分、習近平の影響力は殺がれることになろう。これまで、江沢民によって胡錦涛の陰が薄かったように、習近平も同じ役回りをさせられるのか。

すでに指摘したように、江沢民派は10年後に1人もいなくなってしまうとすれば、習近平も江沢民派に支援されるという期待は持てなくなろう。その場合、政治局常務委員は共青団一色になる可能性が強い。共青団は学生時代に積極的に共産党活動に加わり、正義感が強いとされている。その点では、上海閥とは違って金銭には淡泊なのだろう。ただ、学生時代は純粋でも社会に出れば、必ずしもそうとはいえなくなる。汚職を平気でやる同輩を眺めていれば、「朱に染まる」という事態もあり得るからだ。

「共青団」というテクノクラート(専門家集団)の支配する「チャイナ・ナイン」(政治局常務委員会)が構成されれば、中国の政治・経済に変化が起こることはあり得る。現在よりも合理的な行動をとる可能性が出てくるからである。だが、その期待も10年後に実現では遅すぎるのである。現在が最も重大な時期であるが、依然として「三国志」と同じ権力争いを続けて行くのであろう。私企業経営者を共産党に入党させた失敗はまことに大きい。これが、中国の発展を根本から阻害している元凶である。江沢民の罪は深いのだ。

(2012年4月4日)


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