中国、「監視カメラ」下の庶民生活「国防費」上回る「治安費用」 | 勝又壽良の経済時評

中国、「監視カメラ」下の庶民生活「国防費」上回る「治安費用」

中国の庶民生活は24時間、監視カメラに囲まれていることが分った、裁判所の証拠として提出されたのが、監視カメラによる一連の映像証拠である。飲み屋に入るところから、個室での飲酒、自動車に乗って事故を起こすまでが、すべて記録されていたからだ。ここまで監視されている事実に、内外で驚きの声が上がっている。

韓国紙『朝鮮日報』(5月19日付、中国紙『京華時報』5月18日付を転載)は、事件の顛末を次のように報道している。

「北京市中心部の長安街で起きた飲酒運転事故の運転手の裁判で、検察は被告の有罪を立証するため、監視カメラの録画映像を証拠として示した。検察が示した映像には、運転手が酒類を提供する店に入る場面、密室で酒を飲む場面、店から出て車に乗る場面、加害車両が信号待ちの被害車両に衝突する場面などが余すところなく映っている。中国当局のプライバシー監視がどれだけ広範囲に行われているかを示すものだ」、としている。さらに、「中国当局は電話の盗聴も日常的に行っており、個人のインターネット使用もハッキングを通じ、幅広く監視しているという。さまざまな建物の出入り口や駐車場には監視員がいる。大都市の場合、監視カメラは屋外だけでなく、室内でも至る所に設置されている。中国当局は社会安定という名分で、急速に発展する情報通信技術を使い、個人生活を細かく監視している」。

先進国でも日本を含めて、街頭での監視カメラが作動している。プライバシー侵害への懸念はあるものの、これによって犯人検挙までの時間が短縮されている。現実に、犯罪抑止効果を持っていることも確かだ。だが、前述のように、中国では入店するところから個室での飲酒、店を出て車に乗り事故を起こすまですべて録画されていたとは、スパイ映画もどきの話である。これが日常、中国の主要都市では繰り広げられていると思えば、庶民は檻の中で生活しているも同然であろう。

国家がここまで目を光らしている目的は、反政府運動の抑制にある。中国では集団抗議事件が年間6万~10万件も起きているといわれる。治安機関に社会の安定や秩序維持への役割を求めているが、本来ならば、社会の不満を事前に政治が解決しておかなければならないはずだ。具体的には、所得再分配政策によって貧富格差の縮小を図らなければならない。公務員の汚職を撲滅すると同時に、司法の独立を実現して政治から離れた公平な裁判の実現を見なければならない。以上の事柄は、近代国家として最低限の義務である。それを何一つ実現せず、公務員の恣意性が裁判同様の権力を持つ「家産官僚制」が、堂々とまかり通っていること自体、奇っ怪な国家運営である。常識を持った国民であれば、抗議の声を一つも上げたくなるのはごく自然な流れである。それを「国家反逆罪」として取り締まっているが、これこそ「専制主義」そのものである。GDP世界2位の国家が、これを行なっているのである。もはや言葉を失う事態だ。

中国は「警察国家」と呼ぶに相応しいが、それだけ国家予算を食い込んでいる。米ラジオ局『ボイス・オブ・アメリカ・中国語サイト』(5月13日)は、「中国、治安コストに巨額の出費=国防支出を上回る」を掲載した。

「中国政府公表の予算によると、2011年の治安維持関連支出は6244億元(約7兆7400億円)。全財政支出の6.23%を占める。前年比13.8%という高い伸びを示し、初めて国防費(6011億元=約7兆4600億円)を抜いた。雑誌『財経』は治安維持関連支出の詳細を分析している。それによると、警察関連コストが裁判所支出を大きく上回り、全体の50%以上と大半を占めた。特に中央政府支出分に関しては武装警察関連費用が80%弱と大半を占めている。中央政府の支出は1025億元(約1兆2700億円)。地方政府の支出が5220億元(約6兆2700億円)と圧倒的に多い」というのだ。 人民大学共産党史学部の張同新(ジャン・トンシン)教授は、「莫大な治安維持コストはそれだけの値打ちがある。国家の安定した成長と人民の利益擁護のためには、高額な代価も必要だ」としている。

張同新教授は、「莫大な治安維持コストはそれだけの値打ちがある」と発言するが、いささか常識を外れた意見である。世界には通用しない自己弁護なのだ。中国政治が民主主義国と同じく選挙によって行なわれていれば、国民の不満を解決しない限り、選挙で敗れて政権の座を失うというリスクを背負う。選挙を行なわない独裁政治の「コスト」が、国防費を上回る治安維持コストとなって跳ね返っていると見るべきである。独裁政治はいくら治安維持コストをかけても、守るに値する政治システムなのか。それは、この政治システムから利益を得ている「既得権益者」のみであろう。

この治安維持コストは、今後ますます膨らんで行く運命にある。国民の雪だるま式に増える不満を抑えるには、中国中でさらに網の目のような監視体制を作りあげざるを得ないはずだ。その矛盾に気づかずにいるとは、もはや言うべき言葉もないほどである。専制国家の典型例は秦である。始皇帝が死亡してから3年後の紀元前207年、秦は農民蜂起と劉邦軍の前に滅亡した。毛沢東は始皇帝を最も敬愛しており、自らを始皇帝に擬していたほどである。歴史は繰り返すと言われるが、歴史から教訓を得ないとすれば、それは奢りという以外に表現はないのだ。

ここで、例によって『人民網』(『チャイナネット』4月11日付けの転載)のご登場といこう。政府系メディアがこの問題について、どう弁解しているかを見るためだ。「近年、経済力の強大化に伴い、中国国民の公共安全需要はますます拡大しており、公共安全支出も緩やかな上昇を見せている。財政部が発表した中央及び地方の予算実行状況報告によれば、中国の公共安全支出は、2008年が4059.76億元、09年が4744.09億元、10年では5486.06億元となっており、それぞれ前年度より16.4%、16.8%、15.6%ずつ上昇している。その同期財政収入増加率はそれぞれ19.5%、11.7%、21.3%となっている。これは、中国の公共安全支出と財政収入の増加がバランスよく発展しており、『深刻な社会的不安定』の局面を迎えているわけではないことを物語っている」。

私は経済記者をした経験があるので、すぐに数字をチェックする癖がついている。『人民網』の記事で財政部が発表した中央及び地方の予算実行状況報告によると、2010年の公共安全支出は5486.06億元である。冒頭記事では「2011年予算の治安維持関連支出は6244億元で前年比13.8%増」である。2010年の予算実行状況報告をベースに2011年予算の増加率を計算すると、どんぴしゃり計算が合うのだ。『人民網』は、治安維持費が国防費を上回っているという報道は「ねつ造」と切り捨てている。だが、「ねつ造」は『人民網』である。詳細な数字を出して自らのウソを暴露しているのは、報道機関として「自殺行為」である。しかも、政府系メディアがウソ記事を流しているのは、慨嘆に堪(た)えないところだ。

(2011年6月24日)


インドの飛翔vs中国の屈折/勝又 壽良

¥2,415
Amazon.co.jp

日本株大復活/勝又 壽良

¥1,890
Amazon.co.jp

企業文化力と経営新時代/勝又 壽良

¥2,310
Amazon.co.jp