さて、大分横道に逸れたので
テーマの本筋に戻りたいと思います
ツイッターであれ、ブログであれ、ネット上での発言は
katoulienuがしているのか?
katoulienuの中の人がしているのか?
katoulienuの中の人がkatoulienuに喋らせているのか?
厳密に分析したら、全て証明不可能となるでしょうし
リアルで実在しているkatoulineuに会って直接問い質しても
その言葉は嘘かホントかは聞いた側が自由に判断できます
つまり、実は人の発言は全て言葉自体それだけでは真偽定かではないのです・・・!?
だから人は物心つくかつかないかの赤ん坊のときから
「嘘はついちゃだめだよ」
「ウソってなぁに~?」
「・・・もうちょっと大きくなったらわかるからね(笑)」
と教育されるわけです
だから我々は、合法的に日本国内で生存している人は
全て(虚偽)の言動を一切しないで生活していると推定して生きています
普段は無自覚、無意識にそれが当たり前のことだと思っていますが
どこの国のどの民族どの宗教どの時代でも
原則、『嘘をつくこと』は悪いこととされています
あらゆる人間関係が成立しなくなってしまうからです
ですから、疑心暗鬼、人間不信、猜疑心、の心理状態におちいっている人
またはいわゆるオオカミ少年のように普段から意味もなく(虚偽)を言う人は
明確な社会の敵、社会破壊者なのです。
社会的人間関係を破壊します。木っ端微塵です。
嘘は真実ではないことを真実であると言うこと
であり
または真実9割、嘘1割という言動もあり得ます
また希少な例ですが
邪悪な心の持ち主でなければ、当然相手に言うであろうことをその相手には言わず
仲間内でコソコソヒソヒソその相手に聞こえるように話す、という複雑な言動もあります
厳密に正確に言えば、これは嘘ではなく
真実9割を言い、残り1割の真実を『言わない』だけ(この場合はそれが誰に向けての言葉なのか?を隠す)
というものであり
もしこれが、相手に何か欲しいものを尋ね、それがその相手の次の誕生日のプレゼント候補であることを言わない(一部隠す)、ということであれば、相手に対し『予期しない嬉しい驚き』を与えたいという善意に基づくものと言えます。
また今回とりあげた一連のツイート群のA,B,C,Dの方のようにちょっとマナー違反をアイコンタクトで教えてくれるような感じのツイートもそうです。まだB,C,の方には直接の確認はとっていませんが、常日頃の店内の様子を見ていればおそらく善意に基づくものと私には思えます。
逆に、その相手の言動が今まさに、あるいは将来において本人、周囲の人に本来の意図とは違う危害を及ぼしかねない可能性がある、と認識していながら、
その相手に直ちに言わず、人を介して間接的にも問い質さない(一部隠す)ということであれば、その危害について予期している以上、
実際に危害が起こっても何ら心理的負担を感じ得ない(後悔、自責の念)と確信している(どーでもいいや)か、
或いは恐るべきことではあるが、後悔しないどころかそういった何らかの予期できる危害が現実に起きることを期待している(!)と推察され、私にはそれ以外の仮定ができないのです。
前者であれば非情、冷淡、冷酷、な心の持ち主であり(刑法上は未必の故意 )、
後者であればなおいっそう悪く、残虐、非道、邪悪な心の持ち主であることが明らかであります。
しかしこれは虚言ではないのでなんと表現すべきか・・・?
ここで私は
邪念、妄言を併せた邪言という新語を提示したいと思います。
邪悪な信念による妄執的な言動ということです。
災いに向かって歩んでいるかも知れない人を止めずに、ただ見ているのみ、しかし若干聞こえる程度にヒソヒソ話すという言動、そういった言動をする人を指します。(邪言、邪人)
身近な例で言えば
行列からはぐれた迷いアリが、フラフラとアリ地獄に近づいているのを観察している幼児か
私の思考遊戯の素材となった一連のツイート群を生み出した人々(A,B,C,D各氏は含まれず)であります。
結論として
嘘を言うことはもちろん悪いことであり
本来なら当然言うべきことを言わない、一部隠すこともまた同様に悪いこと
であるということです
あ、すげー当たり前のこと言ってる・・・orz
つづく~次回予告