ベッキーとの不倫疑惑で世間を騒がせたゲス川谷は、公式ブログで「私事ではございますが、我々夫婦は話し合いの末に離婚しました」と発表した。
「これからもミュージシャンとして、1人の人間として、成長していけるように頑張ります」とつづった。
ちなみにベッキーは「週刊文春」に送った手紙で、川谷への気持ちは残っていない事を明言している。
そして、休業中のベッキーはTBS「中居正広の金曜日のスマイルたちへ」で芸能復帰する事が分かった。
復帰の大前提だった川谷元夫人への謝罪がこの日までに実現した事も判明し、今夏の本格復帰を見据え、慎重に段取りを踏んだ上で収録に臨んだと言う。
これにてゲス不倫騒動は終わりだ。
騒動発覚から4ヶ月、数多の批判や不毛なる議論を巻き起こしたこの騒動から目を逸らし、いよいよ我々は現実に目を向けなければならない。
ゲス不倫に「信じられない!」、「バカじゃないの?」、「気持ち悪い!」と共通意識を持ち、批判に次ぐ批判と言う共同戦線を張っていた我々も、日々の生活に戻るのだ。
そこは共通意識も、共に戦う敵も、浮かれたかの様な熱意も、何も無い、個人個人の孤独な社会だ。
会話をする相手などおらず、淡々と仕事をこなし、誰にも会わず、ビールとコンビニ弁当を買って、スマホゲームをやり、1日が終わる。
そう、我々には何も無いのだ。
だから、ネットやSNSと言った安全な立場で、他人を批判する事位しか出来ない。
今回の騒動でベッキーが失ったモノは大きいだろう。
しかし、元々何も無い我々に批判される筋合いでは無い。
ならば、我々も人に批判される様な“何か”を手に入れてみては如何だろうか?
まあ、そんな魅力も無ければ、人から愛される努力すらしないだろう。
失礼した。
だが、何も無い自分を、必要以上に恐れる事は無い。
マスコミにより、直ぐにベッキーの代理が抜擢されるだろう。
我々国民の不満や不安から目を逸す為の生贄が、今の日本には必要なのだ。
一時期話題となった国民幸福度だが、16年発表のランキングでは、日本28位である。
最早日本国民は、幸せでは無いのだ。
だから国策として、我々国民の目を政府から背けなければならない。
この図式に思い当たる節がある。
中国や韓国が日本を批判し、北朝鮮がアメリカを批判する事で、国民感情をなだめ、自国政府問題の本質から目を背けさせる手法と、何ら変わり無い。
だから、ゲス不倫が終了した今、日本国家首脳陣営は粛々と次なる国民感情の矛先を選定しているのだ。
…ん、誰かがやって来た様だな。
かとぅ