今はのぞみで岡山を出て広島に着く頃です。
ようやく、落ち着いた感じですが、こののぞみもかなり混み合っています。かろうじて座れましたが、デッキや出入り口には人がいます。

北陸本線のサンダーバードでは、座れずに、また指定席も一杯で、たまたま陣取った場所がトイレの前だったので、なぜかトイレの番と自動ドアの開閉説明員みたいになっていました。この模様はツィッターで暇つぶしにつぶやきまくりましたが…

昨日は風雪のため、九時間かけて帰省しましたが、帰って良かったです。
新大阪で買った神戸ロールと小倉で買ったお土産を食べながら、甥や姪と兄夫妻と楽しみました。

実家の兄は基本的に優しいので、分家の年貢を猶予していたのですが、ここに来て、借りている土地は、母から譲り受けたと言っているようで、兄の話を聞いていると、母から彼たちが聞いたとする昨年の月には母は既に寝たきりになっていて、話せなくなっているし、おまけに母から譲り受けたとする月もその次もその次の月も年貢を払っているようで、明らかに矛盾している。
私は、もし土地を譲り受けたのなら移転登記されているのだろうと聞いたら、それはしていないらしいし、ならば、こんなに重要なことなら契約書なり覚え書きなり念書なりを彼たちはとっているだろうから、それを出してもらってから、訴えようと、私が言いました。
兄は渋りましたが、弁護士を立ててやればいいと。
この分家は、今までも問題を起こしているし、婿養子が脳溢血で倒れてから、半ば虐待みたいなことしている家で、個人的には許せないでいるから、この際きちんとすべきと伝えたところ、ようやく納得してくれた。
恐らく、明日か明後日には、相談をし、法的手段に入るだろう。

母のこういう状況を悪用するやつは、たとえ親戚であっても許さないし、良い弁護士や専門家がいないなら、私の全人脈を使ってでも、必ず裁判でも何でも勝ってやると言ったので、小さい村の、それも身内の揉め事で恥をさらすのは…と言ったが、さすがに兄もきちんとしようと思ったようです。

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話変わって、母の話です。
昨日は夜遅くなったと言うこともあり、病院には今日行きました。
兄は、顔色が悪いなどと言っていましたので、心配していましたが、むしろ以前よりしっかりしているようでした。
ただ、余命に関しては、以前ブログに書いた通りみたいです。

母が入院していた病院で看護士をしている兄嫁から、詳しく聞いたのですが、母の癌は骨髄に転移しているようで、だから手術も出来ないし、血液もなかなか自力では作れないし…医者は脳にも転移の可能性があるから、この先はかなり難しいとの事でした。

病院を出て福井駅まで兄夫妻たちに送ってもらった車中で、母がせめて話すことが出来れば…となりましたが、その後の沈黙が全てしょう。
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病院で私は母に、

「食事はしたんか?病院でご飯出てちゃんと食べたんか?あぁ、口動かんで、ご飯は食べられんか…」

と言ったら笑ってくれました。

結局は癌が彼女の致命傷だったんだ。
それが、わかっただけでも良かった。
これか、痛みを増してくるやも知れない。
彼女が口がきけない以上、痛みやつらみや希望を悟ってやらねばならないだろうからね。
うちの親父で癌が脳に転移したのを体験しているから、まだ母が「しっかり」している間に出来うる限りをしたいと思います。