近所にいる女友だちは、よくこのブログに登場して、ネタに困ったときは大いに助けてくれる。何しろ小学校・中学校と同じクラスで学んだ仲で、なんの遠慮もいらない。男ならば竹馬の友と言うけど、女の友達の場合は、お手玉の友とでもいうべきか。遠くて近きは男女の仲という。清少納言の枕草子の中にも出てくるくらい、言いえて妙なる古い昔からの言い回しである。あいつとは、遠慮がいらないだけで、艶っぽさとは縁遠いのだが・・。

 

先日も、家内が一泊旅行に行って留守で、ボクが一人で居ると、やってきていうのである、
「あんたぁ、奥さんのいないのをいいことに、悪いことをしたら承知せんよ。あっはは・・もうヨボヨボで、そんな元気ないけぇ?あ~い可笑しや」
可笑しくもなんともない、馬鹿なことを言う。どうも言葉にトゲがある。綺麗な花には、棘があると言う。薔薇の花は可憐で、紅いの口は綺麗であるも、あいつのハナクチは、人を口撃するだけにのみある。

 

 

冗談を言っているヒマがあったら、せめて料理の一品なりとも作って持ってきて欲しい。あれでも、農業高校に通っていたころは、可愛かった。娘十八、番茶も出花。嫁にもらってもいいと思ったこともないではない。これについては、『まぼろしの夫婦坂http://goo.gl/JRFxITに書いた。それはそうだろう、どんな粗末なお茶でも、一番茶は香りもよく出るし、美味しいもの。番茶とは、煎茶用の若い葉っぱを摘んだあとの堅い葉から作るお茶である。それでも、香りはいいという。

 

 

あれから半世紀以上も過ぎた。時間の経過というのは残酷なもの。いま庭にある薔薇の木を見ていて、そう思った。そろそろ冬に向かう時期、葉っぱは枯れて茶色くなって、棘だけがむき出しになっている。触ると痛いのなんのって血だらけになる。花の咲かないバラの枝に、触る男なんていやしない。あいつに言ってやった、
「うちのバラは咲くのは、春だけじゃないよ、四季咲きで喜ばせてくれる。でも、そろそろ冬がくるから、店じまいのようだ」と。


すると、あいつも反応した、
「あらっ、私と同じで、秋でも花を咲かせるっちゃ、返り咲きね。あんたこの前、言っておったよね~。『E子、いつも若々しいねぇ。まだまだ嫁にいける』って。嬉しかったよ。もう一度言ってよ、料理を鍋ごと持ってくるから」と。

 

 

あいつは、ウソを本気にして、まだ嫁に行けると思っている。あんまり嬉しそうな顔をしているので黙っていた。ご存じだろうか、返り咲きの本当の意味を。季節でもないのに、小春日和に誘われて、狂い咲きをすることを意味しているのである。

 

昨日までと、うってかわって、急に冷え込んできた。花の咲かないトゲある薔薇と、遊んでいるヒマなどはないのだ。遠くは花の馨り、近くはドブの臭い。遠くにあるから花のような香りがするも、近くで嗅ぐと、その匂いはドブの臭いがするとか・・クワバラ、クワバラ。