男とは哀しいもの

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北陸富山の百姓家の住人のボクは、今日も雪に閉ざされて、身動きが取れないでいる。それでも、口うるさいぬかみそ女房に言われた言葉が、喉に刺さった魚の小骨のように、気になって仕方がない。その言葉とはこうである、
「ほらリンゴをくれた友だちのヨシユキさんて、偉いのよ。お母さんの面倒を看ながら、ボランティアにも参加しているんですってよ。あなたも、家にばかり閉じこもっていないで、どこかへ出かけたら」と。

そうまで、言われちゃ、男が廃るというもの。ポンコツを駆って、街の匂いを嗅ごうとカフェに行こうとしたが、雪が、そうはさせじと動きを阻むのである。道路に出ようとするも、タイヤが雪の中に食い込んで空回りする。せっかくスタッドレスタイヤに交換しておいたのに、役に立たない。仕方がない、部屋に戻ってストーブをガンガン焚いて暖をとる。さいわい鬼嫁は、母親のケアに実家に行って留守である。鬼の居ぬ間の命の洗濯でもしよう。

 

こんな雪道は嫌いである

洗濯で思い出した、昔から女のさ・し・す・せ・そとは、裁縫・躾・炊事・洗濯・掃除と決まっていた。あれは、現代においても生きているだろうか。先日、娘の家に数日、厄介になったが、婿殿が干し物をしたり、いくつか家事を分担していた。ボクも連れ合いの代わりが務まるだろうか考えてみた。どうせ、ポッカリと空いた時間である。の裁縫?ツレがやっているの見たことがない。この間、作業着のズボンの裾上げを頼んだが、一向にやってくれない。仕方がないので、百均で求めた瞬間接着剤で、自分で繕った。のしつけ、家猫のミー子なんぞ甘やかし放題で、なっちゃいない。の炊事は、寒いから遠慮しておこう。の洗濯は、勝手に電気洗濯機がひとり文句も言わずにやっている。の掃除は、ボクは苦手である。少々汚れていても、部屋が汚いからといって死ぬわけではない
 

うちのヤツが、裁縫なんぞしているのを見たことはない

ヨメがボーイフレンドからもらったリンゴを食べよう。ボーイフレンドの名前は、ヨシユキとか言っていた。今日あたり、雪の中をリンゴのお返しにと、キウイを持って行ったのだろう。ロハでバケツいっぱいもらった訳ありリンゴは、どれ一つとして、まともなのがない。皮の表面に傷がついていたり、ツルの元が割れていたりする。台風の被害にでも遭ったのだろう。


ただ、ボーイフレンドの身贔屓さを差し引いても、歯ごたえがあって、蜜もある。愚妻の戦利品をぬくぬくした部屋で、頂戴するのはちょっと悪い気がしないでもない。

「ヨシユキさんが言ってたわよ、林檎って、傷がついていても人間の体と同じように、その傷を塞ごうと自己回復力を発揮するんだってよ。ヨシユキさんが、知り合いがリンゴ園をやってるんだって。ダンボール2箱もあるから、いくらでも持って行っていいと言ったわ。いい人よ~!」
 

もらった訳ありリンゴ

そこまで、「ヨシユキさん」、「ヨシユキさん」と、友達の名前が繰り返し出てくると、ちょっぴり寂しくなる。男というのは哀しいものである。別に、女房の稼ぎで、飯を食ってるわけではない。働かないで家にいると、なんだか悪いことをしてるような気がする。サイフが寂しいから、ワイフの留守の間に、芋の煮っころがしでも料理しておこうか。

定期健診の楽しみかた

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3ヶ月に一度定期検診に、K市民総合病院に通っている。血液・尿などの検体を採取し、血圧・心電図の測定もやってもらう。自慢じゃないが、サラリーマンの40過ぎだったろうか、主治医の先生に脅かされたことがある、
「あなたは、高血圧・糖尿病・高脂血症・肥満と死の四重奏です。このままでは、60歳まで生きられるかどうか疑問や。よほど生活習慣を改めないといけません」
あれから、確かに上の4人の兄たちのうち、残っていた2人も鬼籍に入った。おっつけボクも後を追うのかと思ったものだ。

 

朝の吹雪の富山平野

しかし、あの後も何とか生きている。どこも悪くないから、痛くも痒くもない。ただ敵わないのが、毎日必ず飲めといわれている薬、なんと盃一杯ぐらいある。朝食と夕食の後に、忘れずに飲めと言うも、時々忘れてしまう。あるとき、主治医に訴えた、
「先生、ボクは薬を飲むのをよく忘れるんです。なんか、いい方法はありませんか?」
物分かりの好い先生は言った、
「そんなに、面倒なら朝起きたら一度に、全部飲んじまったらいい。飲まないよりマシだから」
おかげで、薬は忘れずに飲むようになった。まあ、そうは言っても、この寒い季節に薬を忘れるときがある。そうすると130の血圧が、190にハネ上がる。あれは、今年の2月だったろうか、薬を飲み忘れたばっかりに、鼻血ブーになって、入院する羽目に。薬だけは、飲まないといけないと学んだ。

 

採血は嫌いであるも、余り気のある血を抜けと・・

今朝、床から這い出て雪隠に行った。窓から外を眺めると雪が10センチほど積もっている。この雪の中ポンコツを駆って30キロほど離れた総合病院に行かなければならない。人間、歳を食って何がキライと言って、闘病生活でベッドに縛られるほど嫌なものはない。雪が降っても、槍がきても行かねばなるまい。予防をしなければならない。


生来の楽天家のボクは、なるべく嫌なことは思い出さず、楽しみを見出すようにしている。 まず採血の場に行くと、白いナース服をまとった吸血鬼のお姐さんが20人ほど並んで採血をしている。若いナースばかりではない、少し年を召したお婆ちゃんナースも。まあ得てしてベテランのナースは腕がいい。そこで、誰に当たるか丁半のサイコロを振る。ええい、ままよ。どうせなら白魚の手を持った若い美人のナースに採血をしてほしいものである。

ラッキーだった、いろいろを見比べても採血を担当してくれたのは超美人のナースだった、笑顔が抜群である、
「おはようございます。チクッと痛いですよ。ごめんなさいね。どこかしら、血管が見当たらないわ」

 

 

こんな美人のナースに当たることはないかも

もしかしたら、まだ独身かもしれない。初々しさすら感じる。
「ごめんなさい。痛かったでしょう、もう一度やり直すわ」
「心配しないでいいですよ。実験台だと思って、何度でも刺してください!」
そのうえに、安心させようとサービス精神で言った、
「いつも3回か4回は、刺されるんです。気にしないでいいです」
「樫さんて、面白い方ね~」
ところが、ボクのサービスの言葉とは、裏腹に美人ナースは自信をだんだんと失っている。
「ゴメンなさい、ベテランの方とチェンジします」
キャバレーのホステスは、指名であれば、すぐに交代しない。ナースも縛っておけはしない。最初から一発で決めて欲しかった。次に現れたベテランナースは、やや太っっちょである。むんずとボクの腕をとり、
「樫さん、ちょっと我慢をしてね。腕なんかより、手の甲に刺した方が確かで早いのよ。ごめんね」

そんな風にして検査は終わった。酒を浴びるほど飲んだにも関わらず、糖質オフをモットーに、ビール・日本酒を焼酎とウイスキーに換えたのが良かった。数値は、どれも合格点である。先生曰く、
「検査データを見る限り、問題は全くありません。年末や正月は、ごちそう食べ過ぎないようにね、良いお年を。ハイ!次の方どうぞ!」

俺って、おめでたい?

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静岡に住んでいる友人Uは、酒に酔って時々電話をかけてよこすのである。数日前だったろうか、
「樫さん、そちらは寒いらしいね。ブログでは様子は分かっているつもりだけど、生の声が聞きたくてね。雪が降っているの?飲みたいね、場所は新橋のガード下がいい。ホント、また会って飲みたいねぇ~」
「今、ボクは飲み始めたところよ。例によって、イカを買い求めて刺身にして、ミー子と寂しく晩酌しているところ」
Uは、無類の寂しがり屋である。奥方がそばにいても、こうして電話をしてくる。もうだいぶ以前のこと、伊豆の山の中腹にある彼の家に泊めてもらったことがある。別荘だった瀟洒な佇まいを買い受けて住んでいる。これについては、『
過ぎし時を惜しむまじhttp://goo.gl/dDSPw と題して書いた。もう5年も昔のことである。

 

 

奥方は、お元気ですかの問いに、友は応えた、
「元気も元気、うちの家内ときたら、俺にホの字なのよ。この間も山を下りて、二人で街を歩いていたら、ほんの少しきれいなお姐さんが通りかかった、ちょっとだけ振り向いたのよ。そしたら、『あなた、どこ見てるの?』と言って、俺の腿をつねるのよ」
いやはや、参ってしまう。本当か嘘かは知らないけれど、女房がいかに自分に惚れてるかを言いたかったのだろう。微笑ましい夫婦愛である。<女房妬くほど亭主モテもせず>とあるではないか。

 

 

そんな話を聞いて、少し羨ましいと思った。我が家では、ボクがどこぞの女性に、心を動かすことなど絶対にないとツレは信じ込んでいる。なら、敵はどうかの話をしよう。
この間から、忘年会はボクには2つしかない。ところがツレには3つもある。そういう場に出て、帰ってくると、決まってテンションが上がる、
「あなたは知らないでしょ!わたしモテるんだからね。お酒をついで回ろうとすると、逆に男性陣がみんな私の所に、ビール瓶を持ってやって来るの。せっかくのビールを断って悪いでしょ、だから飲んじゃうの!」
「俺の話なんか、出なかったかい?例えば、ラジオに出演して面白い話をしたとかさ、そんな話は出なかったかい?」
「あなたって、本当におめでたいのね、誰がするもんですか!ウイッ・・」

 

 

どうやらボクは、すでに忘れられた人らしい。昨日のことである、知らない白髪の男が、玄関に現れて、言うのである、
H子さん、おいでになりますか」と。
ツレに用があるらしい。 後で聞いてみると、なんでも中学の頃の友人らしい。東京に奥さんと子供さん家族を置いて、母親の介護のために、N町に来て生活していると。前夜、忘年会の席で、約束した蜜入りのリンゴをバケツ一杯届けにきたのだ。


ツレがいうのである、
「飲んだ席での約束を果たしに見えたのね。偉いわぁ!わたし、お返しに、実家で採れたキウイフルーツを40個ほど、差し上げるわ。それに、大根とニンジンも・・」
この歳になって、男女の友情も違う方向に、発展するだろうか。まさか、そんなことツレに聞くわけにもいかない。ボクっておめでたいのだろうか。

夜を温めてくれる

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雪国に育ったのに、どうしてこんなに寒さに弱いのだろうか。歳のせいと思うと情けない。11月の半ばぐらいから、寒さとの闘いが始まった。寒いのは苦手で、何とかならないかと今も考えている。人間にとって、快適な温度は25℃前後らしい。20℃下回ると、肌寒く感じてくしゃみさえ出てくる。15℃を下回ると暖房に頼らざるをえない。人間、歳をとりたくないものである。

 

晴れた日の富山平野

寒いと言うと、同居の女、ツレが言う、
「カーディガンを羽織ればぁ!ひざ掛け持って来ようかぁ!わたし寒いと、肌着を3枚、足りなければ4枚も重ね着するのよ。あなたは、努力が足りないのよ!」
確かに、体感温度というのは、人によって違いがある。人間は3つの首、すなわち首、手首と足首を温めさえすれば、無理にストーブをガンガン焚かなくてもいい。わが百姓家の冬は寒くて堪らん。そんなとき、家猫ミー子の行動をじっと観察する、その日の暖の取り方を教えてくれる。こいつが炬燵から出てこない日は、ツレが言うように、ヒートテックの肌着を一枚余分に着た方がいい。

近所の小母さんE子も、どんどんに着込んで昼間から駄弁りにやってくる。彼女によれば、
「平ちゃん、あんた酒なんか飲まんでもやよ、暖かくしたかったら、梅干し・生姜・にんにくを食べたら良いかよ。みんなそうしておるよ。」

 

防寒具が効果あるのである、手袋もマスクも、靴下も

確かに、カーディガンを羽織れば、2度や3度は体感温度が上がる。あまりに寒い寒いというものだから、ブロ友の一人が、安い暖房として湯たんぽを活用せよとアドバイスをくれた。最近の湯たんぽは、プラスチック製である。そういえば、昔のは金属製のものだった。今も探せば、2つも3つも転がっていたような気がするも、もう錆びているだろう。あまりに寒いので、昨夜は押入れから、布団を多めに引っ張り出した。ツレは、野良猫に湯たんぽを入れてやっても、ボクにはサービスはしてくれない。


ならば、自分で工夫するしかない。まさか、死んだ野良クマのお下がりを使うわけにはいくまい。すでに空いた甲類の焼酎の2.7 L のボトル4本に、お湯を入れバスタオルに包もう。火傷をしてはいけないから、タオルケットでも包んで布団の中に入れて抱きしめて寝てみた。 温いのである。
 

安い甲類焼酎の空瓶の活用(瓶にお湯を入れる

同衾(どうきん)という言葉がある。二人以上が一つの寝具で寝ることである。つまり焼酎ボトルを彼女に見立てて、寝てみよう。仰向けで寝るときは、ボトルAを抱いて寝る、横になるときは、ボトルBをと言った具合である。奥方が焼餅を妬かないかって、ボクより早くに高鼾だったから、知らない。

 

昨夜は、冷えたが快適だった。ストーブ焚いて、酸欠の心配も不要だった。そんなに、たくさんのお湯を薬缶で沸かすのは、勿体ない?いや、お風呂の蛇口をひねって出てくるお湯を用いる。もう少し、熱いのが欲しければ、ガスコンロで100℃の熱湯を注ぎ足せばいい。

生きるのはつらい

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寒いせいか、夜床に就くもなかなか眠れない。眠れないと日中の生活の質の低下を招く。昨日も、雨の中を街外れのカフェに行ったのだけれど、睡眠不足が祟って、うとうととしてしまいブログの原稿にまで手が回らなかった。なぜ寒いと不眠症になるのか、ボクの場合は少し変わっている。その話から始めよう。

 

 

眠れないとダイニングで、ウイスキーをほんの少しだけ飲もうとグラスに注ぐ。こいつは、一口では済まないもの。口に含んで、唾液と空気を混ぜて、身体の温もりで香りを開かせる。香りが抜けたら、喉の奥に飲み込む。アルコールはちょっと高めで、45度ほどある。刺激が何ともいえない。こんな強いものをバカスカ飲んではたまらない。だからと言って、そのまま床に戻るわけにもいかない。ほんの少し焼酎の炭酸割りをやる。これも捨てがたい味がする。家人に気づかれないように、やっている。男はつらいもの、それなのに、
「あなた、どうしたの?いい加減にしなさいよ!」と。

 

話が脱線してしまった。仏間にベッドを持ち込んで寝ている。ストーブで室温が上昇すると、きまって毛布や布団を蹴飛ばしてしまう。寒さに耐え切れず、目が覚める。いつのまにかストーブも消えている。午前3時とは、深夜なのか未明と言うべきかは知らない。

 

 

仏間というのは、百姓家で一番良い部屋である。一家の主が使わないで誰が用いるのか。ただ、ボクよりエラい人がいるような気がする、それはご先祖様である。
目が覚める直前に見た夢の中に、親父が現れて、言うのである、
「平吾、この間言っておったなぁ、『死んだら何もない、闇の世よ』と。罰あたりなことを言う、なんなら一度こっちに来てみるか?本当に、闇かどうか見せてやるよ」
「父ちゃん、御免!そんなところに、まだ行きたくないがや。オレ娑婆に未練があるから・・・」

 

なぜそんな夢を見たか。数日来、集落で同世代の仲間3人が相次いで亡くなった。その上にテレビの夜の晩い番組で、作家で脚本家の倉本聰が、こんな話をしていた。にわかに信じられないのだが、人間というのは、死ぬのは楽であるも、生きるのはとても難しいと前置きして話していた。
 


 

ある男が死の床にあって、大勢の家族に見守られていた。心臓は止まり、呼吸も止まっていた。ただ、妙なもので聴覚だけは生きている。多くの家族の中に、母親の声がなかった。男は霊安室に運ばれて、扉が閉まろうとしたとき、老いた母親が自分の名前を呼んだと、
タカシ死なないでよ、お母ちゃんを残して逝かないでおくれ!タカシ!」と、
懇願する悲痛の叫び声がした。


そんなに母親が願うのなら、親不孝をしてはいけない。呼吸が止まってからは、なんの苦しさもなかった。闇の世ではなく、お花畑の中に抱かれていた。すがすがしい気分だった。ところが、現世に戻ろうとすると息苦しくて、そのまま死んだほうが、なんぼかマシである。母を悲しませてはいけないと無理をして生き返ったという。生きるのは、なんと難しいことか、悶えに悶えたと。

 


 

話をする倉本聰がとても、嘘八百を言っているとは思えない。そんなことを考えて、ますます眠れなくなった。もう一度ダイニングに戻って、飲み直したかった。生きるとはつらいものである。

俺のカフェよ

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都会なら、どこにでもあるかもという勉強カフェについて、書いてみたい。このあいだ、テレビで勉強カフェを紹介していた。街中にある旧邸を改造してカフェにしていた。

 

ボクだって隠れ家というか、男の空間を町外れの大型書店のラウンジコーナーに持っている。一杯324円のレギュラーコーヒーを頼むだけで、椅子に腰掛けて時間を過ごすことができる。そのカフェは、オープンラウンジになっていて、週末にはピアノやお琴演奏もある。ご婦人方がお茶をしにきたり、ちょっとした打ち合わせに利用する人も多い。ざっと7,80人は収容できるだろう。気にいっているのは、10席ほどのカウンターのコーナー。Wi-Fi が自由に使えるから、パソコンを持ち込む人も。学期末に高校生が、大勢やってくると、空席がないほど満杯になる。

 

都会には、洒落た書斎カフェがあると聞く

どうせ書籍を読むなら、静かな図書館の読書室が良いと思うのだが、町外れのカフェが好いらしい。本のページをめくる音さえ、気にしなければならない読書室より、ここが気楽である。バックには音楽も流れるし、話声さえ聞こえるのだけれど、誰も気にしない。勉強しようと書斎に入るより、家族がワイワイガヤガヤやっている居間の方が、かえって宿題だったら捗るのに似ている。そういえば、明日は早く起きようと、布団に入ってもなかなか寝つけないときがある。ところが、電車に乗ると周囲の雑音なんか、まったく気にせず、大口を開けて居眠りができたものである。
 

ド田舎のカウンター席。コーヒー1杯324円(WI-FIも可

男の隠れ家、否、空間と位置づけて、ボクは週に3回はきている。近所の女友達が言うのである、
「有閑マダムでもやって来るんけぇ?モテもせんのによ。奥さんに、コーヒーぐらい入れてもらって、百姓家の居間のソファで、くつろいだら只やにか。なんでまた、銭を払ってそんな店に行くがぁ?環境を、ちょっこし変えたいのけぇ? 」


 何よりも、書店だから、新刊の書籍も山のようにある。なんと読み放題である。客へのサービスなのか、テーブルに椅子まで用意されている。そうは言っても週刊誌や漫画本を座って読むことは許されない。お金を払って読むほどではないが、読んでみたい本はあるもの。2冊ぐらいは、流し読みをする。善良なボクは、ちょっと悪いと思って、1冊は買うことにしている

 

街はずれの書店のラウンジがカフェに

この間から、散々ツレに文句を言われている、
「あなた、夏は暑いし冬は寒いと言うから、書斎を二重アルミサッシにしたのよ。今までの机では長く座っていると腰が痛くなるというから、大工さんに無理を言って、高いカウンター席にして、椅子まで特注したのよ。書斎なんか、ちっとも使わないじゃない。ダイニングで本やパソコンを広げて、どうなっているの?お願いだから、トイレだけは占領しないでね!」


そうなのである。書斎よりも、ダイニングルームが好きだし、もう少し集中して、本を読んだり、ものを書くときは、このカフェだと捗るのである。いくら、男の隠れる空間といっても、トイレは、勘弁してほしい。

カレンダーに思いを・・

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年の暮れだと感じるのは、カレンダーが届けられる頃だろうか。都会でサラリーマンをしてた頃、家では、せいぜい新聞配達屋さんからのをあてにしていた。会社では業者からの仰山のカレンダーが集まってきた。人気のあるのは、クジ運の強いのが持ち帰った。どうしても欲しいのは、書店で求めたものである。

今も、自動車修理屋・板金屋・水道屋・畳屋・電気店から届けられている。JAや新聞屋さんからは、まだである。銀行や保険屋さんは、ビジネスにならないと持ち込もうともしない。病院や葬儀屋は、こちらから願い下げである。

こうしたカレンダーも、いろいろと重宝する。病院から飲めと言われた薬の貼りつけ、スケジュールの書きこみ農事カレンダーと。田舎のカレンダーとバカにしてはいけない。装丁は立派だし、これでも買えば千5百円は優にする。貧乏人のボクはもったいないと、ダイニング・リビング・書斎・洗面所と貼りまくる。ただ、残念なのは艶っぽい写真のカレンダーが見当たらないことである。

 

可哀想に広告の店の名や電話番号の部分は切り取られる

有名大学に数多く進学する受験校として名高かった。その高校の1年のころの話である。保険の小母さんから、美人女優の載っているカレンダーを貰った。田舎の母が言う、
「あ~い綺麗なカレンダーやねぇ。平吾、これを学校に持って行って飾ったら、殺風景な教室もきっと映えるわ」
今でも覚えている、たしか水野久美・有馬稲子・白川由美などの女優が、競って撮った水着姿の写真が載っていた。洟垂れの晩生(おくて)だから、艶かしいという言葉さえ知らなかった。くわえて、尋常小学校を3年しか出ていない明治生まれの母も、勉強の邪魔になるとは、つゆ知らなかったのだろう。

 

学校に行くと、クラスメートが異口同音に言った、
「樫よ、なんて好いモン、持ってきたがぁ!」と、
舐め回すように眺めていた。やがて担当のK先生が、教室に入って来るなり言った、
「誰かなぁ、こんなカレンダーを学校に持ってきたのは・・。先生がしばらく預かっておこう。要らなければ、ぼくが貰うよ。さあ忘れて、忘れて、勉強だ、勉強!

 

艶かしい水着姿(あの久美チャンも今や80歳である)

サラリーマンを辞めて10年も経つと、あり余る時間をしっかりと管理しないといけない。 時間も巨大な桶の水の量と似ている。水は水道の蛇口をひねれば出るも、時間はいずれ払底する。今改めてカレンダーを広げてみている。1年は365日で、月数もしっかり12ヶ月はある。
スマホ・パソコン・腕時計とあるから、カレンダーも多くは不要。こんな田舎にいても、スケジュールをグーグル カレンダーで管理している。スマホとパソコンは同期している。どこにいても時と場所を選ばない。

 

 

じゃ、そんなに多くのカレンダーは要るのか?夏のバーベキューの焚きつけ紙に使うのか?勿体ないのでは?もちろん用いてはいるが、古くなったカレンダーも用途が多い。夏や冬休みにやってくる孫たちの画用紙・お絵かき帳・工作紙、ブックカバー、型紙にと。他にもある、インスタントのゴミ箱、野菜を広げるシート、メモカードetcと。


実は本当に欲しいのは、日めくりカレンダーである。なんだか徒らに過ぎて行く日が惜しいからである。一枚ずつめくったりすれば、反省も生じて、新たな一日をきっと大事に過ごすだろう。いずれにしろ、ボクの残り時間は、今まで生きてきた2割はあるだろうか。半分は、おろか4分の1も残っていないことだけは確かである。

冬の田舎日記

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寒いと思ったら、初雪だった。百姓家ゆえ、ひとつひとつの部屋は広いせいで空気が冷たい。ストーブを炊いて寝ているのだが、寝相が悪いことも手伝って、いつのまにかストーブの火も消えていた。こんなに寒いんじゃ、物置からシュラフでも出して使おうかと思った。ただ、夜中に雪隠が、ボクを呼んだときに備えて、チャックの具合もチェックしておかねばならない。今回は、本格的な冬のとば口にいる日常を題材にした。

 

 

中学の友人Kは 婿養子である。子供たちも、みな独立して、年老いた姑さんと奥方と3人暮らしである。ある時、夫婦喧嘩をしたと彼は言う、
「平吾、ムコっちゃ、おぞいもんや。この間なんか、女房がデカい顔して、文句を言うから、むかっ腹立ったよ。 だから頭に来て、家を出て車に乗ったまで良かったっちゃ、一人でホテルに泊まるわけにもいかん。車で寝ようと思ったけど、寒いがよ。トランクに寝袋があることを思い出して、包まって寝たよ。温かったぜ、キミにも買ったらどう?」

 

おぞいとは、富山弁でみすぼらしい劣っている情けないの意味である。彼が言う寝袋とは、アウトドア用のもの。なんでも、着脱が楽で極寒対応だから、羽布団みたいだったと。ホロファイバーとかがたっぷり入っていて、1万円ポッキリだと言う。なぜ、ボクが買う必要がある?

 

 

まあ、そんなわけで、朝トイレの窓から外を見ると、雪だった。朝になって気がついたのだけれど、今日は町のご婦人方と月一回の読書会の日。課題図書は、綿矢りさの『手のひらの京』なる作品である。京都に暮らす三姉妹が描かれていて、まあ、現代版の『細雪』といったところ。久しぶりに京都弁の、東京とは違う京都の空気感が楽める。田舎生活をしていると文学とほど遠い知()的生活ばかり。刺激を求めて、読書会を大切にしている。

 


いわば、ボクの貢物であるパウンドケーキ

メンバーは、ボクより年配の女性が多い、一回り年上のご婦人が座長を務めている。ただ、話が文学論だけでなく、脱線しっぱなしで日常生活や身内の話になったりする。唯一、男はボクだけである。町立図書館の一室を借りて、会場にしている。決まって、誰かが、お茶を魔法瓶に入れて用意してくる。それぞれが、なにかしらお茶菓子を持ってくる。ボクに期待されているのは、パウンドケーキ。ツレに言って作らせている、
メンバーの一人が言う、
「樫さん、いつも悪いね~ん。持ち帰って、主人と二人でお宅のケーキを食べるのが、何よりも楽しみながよ。ありがとうね!」と。

 

獲得してきた、みんなからのお茶菓子

芥川賞作家の綿矢ありさの文学作品を読んで、メンバーは感想を述べなければならない。田舎でも知識人だろうか。95歳の義母は、だいぶ耄碌(もうろく)しているが、以前は町の連合婦人会長をしていた有名人(?)。まあ、娘婿として顔をつぶすわけにいかないと、ツレに恩を着せて、ケーキなども作らせて、持参している。


人口2万5千人の田舎町の多士済々。義母と同じ教員、図書館の司書、役場の職員である。
読書会を終わって外に出ると、雪は止み、太陽が顔を覗かせていた。幸いなことに、まだ正午前である。筋トレをやろうと町の総合体育館に行くことにした。これで、ボクもなかなか忙しいのである。

 

いつも行く運動公園も雪だった

男のお洒落

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このあいだ、集落の仲間の一人が亡くなって、お通夜の席に臨んだ。どうせ座るのなら、年老いた白髪の爺や婆より、麗人と思しき人の隣がいいと思った。お通夜の場ゆえ、あまりキョロキョロもできない。本当に、隣が誰か知らなかった。ちょっとすらりとした女性だったので、迷わず座った。すると程なくして、ボクの膝をつねるのである。見知らぬどころか、誰あろう女友だちのE子だった。

喪服は女性を綺麗にするという、たしかに本当だった。香水の匂いも鼻をつくのではなく、ほのかなで高級な香りがした。時計を昔に戻したような気分と言えば大げさだろうか。もちろん、そんなことはE子に口が裂けても言えない。膝をつねった婦人は、小声で言った、
「いつもの平ちゃんと別人や。引き締まって、な~んデブにっちゃ見えん。髪も決まっておる」と。

 

女友だちは、こんなには若くはない。喪服は女性を奇麗にすることは確か

大の男が、伊達こいてはいけない。つまり、お洒落なんかに、気を遣っては世も末だと教えられた。化粧とお洒落は、親戚である。化粧とは、読んで字のごとく、狐か狸が化けると同義である。化粧をメイクと言うではないか。メイクは、自然からほど遠い、嘘を作ることである。ボクも人間が、古くできているから、長いことそんなふうに思っていた。


このところ栄養が、髪の毛にまで届かないのか、鏡に映すと雪が頭に降っているように見える。冬になって、白い雪に覆われるうちはいいが、地べたが見えてはよくない。それと同じで、ちょっとばかり気になって、白髪染めをこっそり買い求め、試してみた。ところが、毛染め薬剤は、どうも肌に合わないらしい。自然児のゆえか、薬剤を用いると、染めたとたんに痒くなって、皮膚湿疹に見舞われてしまう。その後も、利尻昆布だの植物性の毛染めも試したが、ダメだった。
 

 

懇意にしている理髪店の店主が言う、
「無理に白髪染めなんか使わんと、植物性のやつを塗ったら良いんや。白髪の爺さんであることを隠してはいけない。染めるのではなく、黒く塗るのよ。眉だって大丈夫や。ただ、無精ひげまでは、ムリというもの。試してみたらいいわ。きっと女子にモテるよ」と。


これがなかなかいいのである、ぴったしカンカンだった。お通夜に、ちょっとおめかしして出たら、近所のE子が惚れ直したと言うではないか。
「もしよろしかったら、帰りお茶でも飲もうか」と、
言おうと思ったが、お通夜では、不謹慎というもの、止めておいた。

 

 

過日、上京して息子の家に行って洗面所を覗くと、色々な男性化粧品が並んでいた。香水だって何種類もあった。ボディローション、整髪料、クレンジング、洗顔料、乳液、クリーム、etc
学生時代に、一回り上の兄に、整髪剤を貸してよと言った。どんな返事が返って来たか
「平吾、整髪剤なんか要らない。人前に出るんだから、髭だけは剃って行けよ。髪は、唾を手のひらにつけて、手でなでろ!学生はそれで良いんだ」と。
兄は色々な整髪剤を揃えていたくせにである。

タイマーの活用を考えた

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男のボクがおさんどんの助っ人に、横浜の娘の家に駆り出された話は前にも書いた。その続編である。今、田舎の寒い百姓家の台所に立って、料理をしている。ツレに頼めばいいのだが、換気を気にして台所の窓を閉めるのを嫌がる。窓を開けておくと、北風がビュービューと吹いて寒くてしょうがない。

「寒いよ」というと、「1枚でも2枚でも余分に、何か羽織ればぁ!」と。


百姓家だけれど、いまどき竈(かまど)に薪を焚いたりはしないが、LPガス・電気魚焼き器・卓上ガスコンロが活躍している。横浜の娘の所の台所と比較すると、だいぶ文明から遅れている。娘の家には食器洗い機もあったし、魔法のホームベーカリーも。それはパン・餅・うどんも作れるスグレモノ。キッチンである台所とダイニングの食事室が一体化してた。都会では当たり前なのだろう。

 

 

今年95歳になる義母は、今もガスレンジや電子レンジを怖くてまったく使わない。相変わらず電気炊飯器と電気ケトルが活躍している。ツレは電気炊飯器で、煮魚や煮しめまでも保温している。義母は、ガスレンジを下手な使い方をしないから、却っていいのである。

何故って、ボクらは鍋をコンロにかけたことを忘れてテレビに夢中になることが再三再四だから。この頃のガス検知器は優れもので、鍋の中身が完全に炭化しないうちに、ガスを止めてくれる。ボケても、身の安全において心配ない。
正直をいえば、お互い禁句にしている文句がある、
「そろそろ、あんたも来るものが来たんじゃないかぁ?」

 

 

オール電化など望むべくもないが、せめて生活を工夫しようと、街の電気ショップに行って、タイマーを数個求めた。台所、風呂場、リビングに置いてある。 風呂場も、熱いお湯が湯舟いっぱいに溢れて、気がつかないでいるときがある。そこへ行くと娘の所は、別に人工知能が導入されているわけではない、女の声で教えてくれる、
「お風呂の温度43度に設定しました」

「まもなく、お風呂が沸きます」

「お風呂が沸きました」と。
 

ミー子は飼い主に似てよく居眠りが得意である

台所と風呂は分かるが、なぜ、リビングにまでタイマーが要るのかって?
「これから、長い冬の期間サ、テレビをつけストーブをつけライトを煌々とつけておいては勿体ない!キミは、必ず居眠りをするのは分かっているのよ。制限時間90分にしておけよ!」
その言葉を用意して、タイマーをリビングにも置けと言っったら、反撃されてしまった、

「何よ、うるさいわね。自分はどうなのよ?」と。


タイマーも、ブザーやベルの音では味気がない、
「奥様も、お疲れなんですねぇ。気持ちよく居眠りのところ失礼します。お休みになるなら、ベッドの方が宜しいかと存じます」と、
タイマーと音声を組み合わせて、知らせることができないものか。さすれば、電気代の節約になるとボクは考えるのである。