ときには隠居生活もいいものだと思う。妙なもので、田舎の百姓家なんて広いのだから、どこにでも居場所がありそうだけど、気の休まる場所をなかなか見つけられないでいる。せっかく改装した二階は、クーラーも効いて静かなのだけど落ち着かない。一昨日もコーヒーを片手に、パソコン持参で部屋に入れば、ツレがいう、
「もう油断も、なにもありゃしない。この部屋は使わないでよ。ワックスかけたばかりだし、子供や孫たちに使わせたいの。」

 

女三界に家なしと、昔からの言葉である。三界とは仏語で,欲界・色界・無色界のこと。女は三従といって、幼い時は親に従い、嫁に行っては夫に従い、老いては子に従わなければならないとされていた。男なれどボクには、二階にさえ身の置き所がないのである。
 

女三界に家なし


書斎という場所はあるにはある。くつろぐばかりでは、知的生活からほど遠くなる。バカバカしい話、近所のE子が、なにかと邪魔をしに来る。毎日ブログを欠かさず書くために、じっくり考える時間と場所が欲しい。気の利いた手紙を一本書くとか、友人にメールをするのには書斎はいいが・・。隠居爺ゆえ、いつでもたっぷり時間がありそうである。だけど、午睡を終えたあと、知的生活をするために、どこか別の場所で静謐な時間をもちたいと切に思うようになった。

 

高校二年の夏休みのことである。あまりに暑いので、家を抜け出して、大寺の境内にある公孫樹の大木の下で英語のリーダーを読んだ。飽きると今度は、寺の御堂を囲む周り廊下に寝転がって、数学の問題集をやったものである。東京からやってきた兄が言った、
「お前は、場所選びの天才だね、素晴らしいよ。近くに、こんな快適なところがあるなんて」と。

 

舟小屋


お気に入りの場所は、海辺の漁師舟小屋だったりもした。この小屋については、『真夏の少年と聖少女http://goo.gl/2IDOf0 にも書いたことがある。今でも覚えている椿事がある。あるとき、そこでE子に遭遇した。あいつは、海で泳いだあと、着替えをしようしていたらしい。タオルで包んだ肢体をワンピースと着替えようとしている最中だった。舟陰にボクのいることに気づいて、大慌てだった。
 「あ~い厭や。平ちゃん、私の裸を覗いたがやないがぁ。うちの母ちゃんが、お嫁に行くまで、将来を約束した人以外には、見せたらダメやと言っておらしたよ。あんた見たがぁやろう?どうしてくれるがぁ?」

 

 

コーヒーラウンジ

 

 


知的作業に一番合う場所の話だった。車で10分ほどのところに、コーヒーラウンジつきの大きな書店がある。コーヒーのおかわり自由で300円である。カウンターに1メートルおきに電源が用意されているから、パソコンも持っていける。ウエートレスのお姐さんは礼儀正しくて、気持ちがいい。なぜか落ち着けるのである。午睡から覚めたら、そこで2、3時間は過ごすのを日課としている。珠玉の時間を味わっている。


そんな時だった、ボクの背中を叩く人がいた、
「あんた、こ~い処へ、とんずらしておるぜぇ!二階を広げて、いい部屋できたがに、なんでここに?パソコンまで持ち込んで、何を格好をつけておるがぁ!」
あのE子である。こうなると、女三界に家なしなれど、ボクには居場所がどこにもない。