kashi-heigoの随筆風ブログ-りん&カレン


先日「人間到る処青山あり」を書いたところ、毎回楽しみにしていると息子からコメントが書きこんであった。「僕は少なくとも、お父さんと同じお墓に入りますよ。ご心配なく」と。言質を取るつもりはないが、日頃、会話はなくとも、親の心は読めるらしい。彼は、今アメリカのシカゴに家族5人で暮らしている。話をしようと思えば、ツールがいっぱいあって世の中は便利である。ネットのTV電話で、いつでもコミュニケーションが可能なのだが、孫たちの温もりを肌で直接感じられないのは、いささか物足りない。そのうち、3Dで感触も伝わるツールも出て来るやもしれぬ。

 幼いころ、祖母が「あいよー、可愛いやのー」と言って、よく僕を抱きしめてくれた。他にも孫がいっぱいいるのに、扱いが格別だった。僕は跡取りだからである。今はどの子も同じであろうが。『嫁』という字は女編に家で構成されている。昔の嫁は、跡を絶やさないために、男子を成すため、家を護るためにあった。今は通じない・・・。
 「生後一年くらいは、赤ん坊の胸に耳をあて鼓動を聞いてから安心して、毎夜寝床に入ったもんじゃ」とよく父から聞かされた。僕に女の子が出来ても、さほど喜ばなかった父も、男の子が出来ると跡継ぎの誕生と大喜びだった。歴史は、繰り返すのだろうか。息子が結婚して、長子に男の子が生まれた。僕はさっそく、田舎に帰って、親戚と近所にお赤飯を配ったものだ。その長男も、今は、もう35歳である。

kashi-heigoの随筆風ブログ-凛太郎


 さて、息子夫婦の長子が、男の子と分かった時、<金太郎>という名前をつけると譲らない。彼の言い分によると<金太郎>は、誰がみても、日本男児の呼び名である。親しみやすくて、引けをとらない立派な名前であると。僕は、黙して家族の論議にあえて加わらなかった。これが、いくらか物議をかもした。妻や娘たちの反論は、『サラリーマン金太郎』から、とってつけた<金太郎>は、格好が悪いとか、中にはやがて、誤解やイジメの対象にならないとも限らないという。僕は、必ずしも反対でなかったのだが、誰も反対の真の理由を言わない。奥ゆかしいのである。だから、最後に言ってやった。「キンタの次に何か別の字を入れて想像をたくましくして、厭なのだろう」と。

 結局、<金太郎>の命名だけは免れた、この孫、今シカゴにいる。とても、歌舞伎に興味があって、踊りが大好きだと言う。僕は、「軟弱にだけは育てるな、空手、柔道をやらせろ」とさかんに言っている。せめて、足柄山の熊と闘う意地を持ってほしい。すると爺の念力が通じるものなのか、近くに空手教室がオープンして、孫を通わせているとメールが届いた。孫は、踊りが好きなだけあって、型が決まっていて、形がいい。すると、孫娘もやりだしたと言う。これが、またお転婆でなかなかのものらしい。


 今宵は、大泉逸郎 「」でも聴きながら、焼酎の水割りをやろう。「♫なんでこんなに可愛いのかよ. 孫という名の宝もの・・」。


kashi-heigoの随筆風ブログ-空手
2011.10.20