kashi-heigoの随筆風ブログ-さといも

 


  まだ少し時期が早いのだが、畑で里芋を掘り起こしていてみた。まだ20日ほど早いのかもしれない。小芋や孫芋が育っていないから、親芋もまだかじられるスネを残して精気すらある。今回は、この里芋、とりわけ、親芋に焦点を当てて見たいと思う。
 この親芋も、やがて小芋などが育ってくるとゴツゴツした感じになり、いくらか痩せくる。八頭という芋があるが、あの由来は、植え付けた親芋と小芋、孫芋の集団が一体となって、芋が八個集まったかのように見えるところからきている。今回は、八頭でなくあくまでも里芋からの発想である。


 まわりの小芋の成長が早いので、合体した形が独特のものになる。その合体から、小芋と孫芋を取り去ると、スネをかじられた親芋に、味わいのある風情がある。哀感すら漂わす。里芋も小芋や孫芋に人気が集まって、親芋などさっぱりで、店頭ではあまり見かけない。若いのは、柔らかいし味が好いに決まっているとして、見向きもされない。たしかにちょっと硬くて、取っつきにくい。子や孫にエキスを吸われて、不味そうだが、なかなか<味なもの>である。だいいち、大きくて量もあるしマッシュ向きで、皮むきも楽である。あの厳つさが、昔の親父という類型に似ていると思う。

 

kashi-heigoの随筆風ブログ-親芋2

 

 地震・雷・火事・親父と言えば、怖いもの表す常套句だが、なぜ昔の親父は、あんなにも厳しく、近寄り難かったのだろうと思う。母親と話をしている時ですら、喧嘩をしているようだった。僕の家だけかと思っていたら、たいていの家の父親は、難しい顔をして、険しかった。不機嫌で寡黙で近寄り難かった。長く続いた戦争が、そうさせたのだろうか。少し、その顔がほぐれて来たのは、戦争が終わって、10年 ぐらいしてからだったように思う。

 

 ときどきその父親と自分を重ね合わせて、比較することがある。我が家でもは、権威失墜どころか、存在自体が、影が薄いと思うのは、いくらか僻みが入っているのだろう。「今晩の料理当番は、アナタね。」などと、先回りして言われるから、カミさんに、恩を着せるいとますらない。僕だけかと思っていたら、先日ブログの、『カマキリの わが世と思ふ 時なれば』で紹介したように、友人宅でもそうであった。<奥方が、お風呂上がりに、TVを観ている主人をまたいで・・>という友人の嘆きが、分からないでもない。


 『男、ひとたび表に出れば、七人の敵がいる』と言った昔は、遠い過去のこと。気晴らしに夜の繁華街を徘徊し、ネオンに誘われて、クラブで遊ぶにしても、GPS機能付きの携帯電話で見張られていては、親芋にもなれない。「あなた、今どこー。写真で辺りを写して、見せてよ」ってなことになるから・・・。      2011.10.16