親戚に結婚式があって、久しぶりに正装で出かけることになった。このごろ滅多に式服を着ることもない。早起きをして斎戒沐浴でもないが、シャワーを浴び、剃り残しがないように髭に丁寧にカミソリをあてた。クリーニングに出してあった白いネクタイもした。結婚式は儀式である。敬意を表して少し緊張をするぐらいが義務だろうと思う。しみじみ自分の顔を鏡に映してみた。髪も年相応に白くなり、年輪も刻んでいるようにも思える。正装をした自分をつくずく眺めると、今まで知らなかった自分に気づくことがあるものだ。はるか年上の従兄弟やあるいはもうとうに鬼籍に入た叔父などにも、顔の輪郭、目のあたりなどが似ていて、はっとする。


kashi-heigoの随筆風ブログ-鏡


 祝儀袋に筆で自分の名前を書き、ついでに別の用紙に祝いの言葉など並べて見た。それがいけなかった。その字の書き順が間違っていると家内が指摘をする。今頃、書き順なんかどうでもいいことだが、どうもこの歳になって、家内にそう言われると不明を恥じるというより、相手に変な優越感を与えたような気になって愉快ではない。
 「『右』と『左』では、ノを先に書くのは、どちらか」などと、得意満面でやられる始末。これは、小学生の頃の親の教育の問題では、ないかと思う。箸や鉛筆の持ち方はちゃんとしているが、文字の書き順までは、手が回らなかったに違いない。そういえば、ボクは、成績がアヒルの行列、中でも国語の成績がアヒルより下のランクだった。



kashi-heigoの随筆風ブログ-御祝い


 ワープロやパソコンが出てきて、書き順どころか、字すら書けなくなってきている。自分で書いて、じーっと字を眺めていると、字そのものが合っていても、なんか間違っているような気がしてくる。横棒が一本足りないのではとか、点があったかなかったとか、実にややこしい。人前でボードに字を書くときなど、楷書で書くと自信がないから、字を崩して、いい加減に書く。正しく草書でなんて格好つけると、書き順が問題になるから、デタラメな字になる。加えて、字は体を表すなんて言われるとますますもって困りもので、金釘流だとか、ミミズが地を這ってなどと言われかねない。


 日本語だけではない。英語だってそうである。中学の頃、筆記体など教わったが、世の中に出るとこれが無用になった。パソコンがその元凶である。まあ、パソコンを責めても、栓なきこと。欲をいえば、<人前で筆をとって、好きな句をさらさらと書き、さらに、絵筆で絵なども添えて・・・>とならないものか。今日も結婚式に招かれて、色紙に金釘流でお祝いの言葉など書くことになるのだろうか。ちょっと憂鬱になってきた。

. 2011.10.18