kashi-heigoの随筆風ブログ-故郷


 彼岸は、旧盆が終わって間がない、秋の稲刈りシーズンと重なるということもあって、僕の田舎では、この時期にお墓参りをするという習慣はない。菜園が、我が家のお墓の近くにあるので、連日お墓参りをしているようなものである。その周りには、先年、梅・姫リンゴ・ザクロ・みかん・イチジクを植えた。次に来年からは、盆花に苦労しないように、いろいろの種類の花を植えてみようと思う。今も、コスモス、彼岸花、むくげの花が咲いている。朝から、お墓の周りの草取りに余念がなかった。


kashi-heigoの随筆風ブログ-蒼い山


 そこへ、以前ブログに登場したことのある、僕がやや苦手とする米寿を過ぎた従姉妹がやってきた。
「おらアも、直に、墓に入るがやけど、お前はんが、都会から帰ってきて、えらい勝負しとる(助かっている)がやっそ。ところで、そこな(あなたの)墓、次に誰が、守るがかね。ちょっこし、心配しとるがア」
次の言葉が、クセモノなのである。
「あんぼ(長男)アメリカにおるがやろー。孫はんに、男の子おるがやってねエー。しゃー(そりゃ)ここっちゃ(こちらには)来んもんやろ」
 今、息子はシカゴにいる。彼女の次に用意されている言葉は、容易に想像がつく。<僕が死んだあと誰が、僕の家の墓すなわち本家の墓に入るのか>を心配しているのである。息子は、お墓の心配を少しは心配することがっても、孫とはもしかしたら、縁が切れるのではと、彼女は心を砕いているのである。



kashi-heigoの随筆風ブログ-花々  

 お骨を入れると言えば、ずいぶんと昔のことになるが、カミさんが、
「私、死んでも、あのお墓に入りたくないわ。知らない人ばかりだもの。死んだら、日本海に散骨してほしいの」と。
カチンときた僕は、こう言ってやった。
「そんなことしたら、手間暇かかる。どうせ水で流れて、海に行くから、トイレに流すよ」と。
 これが物議をかもして、二週間も冷戦状態が続いたことがった。最近のカミさんは、やがて僕と同じお墓に入ることに観念したのだろうか、お墓の掃除もし、家庭菜園の手伝いもするようになった。

 さきほどの従姉妹の言葉に戻ろう。
「しゃー、あんぼ(長男)、なーん(決して)、この墓に入らんわ。そんでも、娑婆っちゃ、分からんからいのー。いつ何どき、なにが起こるか分からんのが、娑婆ちゅうもんじゃ。・・・俺ア死んだら、線香の一本も立ててよ。お前さ、ここにおらすがやさかいのー」


 実に、哲学的と言うか、悟りきった宗教家のような言をいう。そう言って、手を後ろに結び、お墓を後にして去って行った。

  2011.10.11