”生乳流通改革という「規制緩和」がもたらすもの” | 朝倉新哉の研究室

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生乳の流通改革。

何かと似ているような気がするなー、と思うんですよね。

大規模小売店舗法の規制緩和と似てるような気が。

 

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中小の個人商店にとって、

自分の店舗近くに大型店が出店することは、大変な脅威です。

大型店にお客を奪われ、

今まで営々として続けてき た商売が成り立たなくなる可能性があります。

「大規模小売店舗法」は、

地元の中小の小売店が

大型店が出店しても大型店と並存して商売を継続できるよう、

大 型店事業者と地元小売店事業者が

事前に出店予定の大型店について協議し、

大型店の店舗面積の調整や

出店後の相互の協力体制の構築を図る目的で制定されまし た。

実際に調整にあたるのは

商工会議所(商工会)に置かれる商業活動調整委員会で、

商業者・消費者・中立委員の3グループで構成され、

中立委員が中心となって調整を進めていました。

昭和50年(1975年)頃からは、

大型店進出が集中す るような地域では商業調整が厳しく行われ、

極端な場合は

出店調整にあたる商工会議所が出店の凍結を宣言する場合も出ていました。

日米貿易交渉における「大規模小売店舗法」撤廃圧力

流通の国際化とともに、主としてアメリカから

「大店法は海外資本による大規模小売店舗の出店を妨げる非関税障壁の一種である」

という批判と

市場開放を求める圧力が強まり、

平成以後は

こうした外圧に対応する形で大店法の規制緩和が進められることとなりました。

特に重要な分岐点となったのは、

平成2年(1990年頃)の日米貿易交渉におけるトイザらス進出をめぐる議論です。

その議論が沸騰したのは、

ちょうど前大統領ジョージ・W・ブッシュのお父さん、パパ・ブッシュ

大統領として初来日した頃です。

その 頃、日本の商品の競争力が世界市場を席巻し、

日本の輸出超過とアメリカの輸入超過が歴然としはじめ、

日米間の貿易不均衡が問題になっていました。

アメリカ は、アメリカ製品が日本で売れない、

又はアメリカ企業が日本に進出できない原因は、

日本固有の制度、法律、規制等が障壁となっているからだ

と主張していま した。

日米貿易交渉において、アメリカは

それら日本の不公正と思われる制度、法律、規制等を

緩和もしくは撤廃するよう求めていました。

そのひとつが、「大規模小売店舗法」です。

パパ・ブッシュがアメリカ大統領として初来日したとき、

忙しい公式行事の合間を縫って、

トイザらスの 日本進出第1号店のオープンセレモニーに出席し、テープカットを行いました。

これは、「日本市場を早く開放せよ」と

日本の喉元に匕首を突きつけるアメリカ 大統領のデモンストレーションでした。

アメリカ大統領にそういった役回りを演じさせるほど

アメリカの日本市場開放への圧力は大きかったのです。

平成10年(1998年)に、日本は

形だけアメリカの要求に沿う形で「大規模小売店舗法」を廃止しました。

その代りに「大規模小売店舗立地法」 という新しい法律をつくり、

別のやり口で大規模小売店舗の出店規制を行いました。

 

「大規模小売店舗立地法」施行の影響

 

この「大規模小売店舗立地法」という新しい出店規制が、

「大規模小売店舗法」 が目的としていた中小の小売店舗の保護の傘を奪いとりました。

大型店事業者は、

旧大店法時代に大型店出店の障壁となっていた

地元商業者の商売について気配 りすることなく、大型店を出店できるようになりました。

大規模小売店舗立地法の環境基準さえ充足すれば、

大型店事業者の意図するとおりに

いくらでも大きな 店舗をつくることができるようになりました。

この業界は、もともとその傾向が強かったのですが、

この法律の施行以後

「より規模の大きい店舗が小さい店舗に 必ず勝つ」

「大きいことはいいことだ」

という力の論理がまかり通るようになり、

優勝劣敗の傾向がますます強くなりました。

当然、この法律の施行以後、

郊外型ショッピングセンターの出店ラッシュとなりました。

各チェーンストアは、競って

旧大店法時代より数倍 規模の大きい巨大ショッピングセンターをつくるようになりました。

地方の駅前の零細な個人商店が連なる商店街は、

品揃えも少なく、モータリゼイションが始 まる前に街の形ができあがってしまったため、

満足な駐車場がありません。

近くに大型ショッピングセンターができあがると、

鉄道網が充実していなく自動車で 移動することが多くなった地方は、

大規模駐車場があって、品揃えも豊富な

ロードサイド型ショッピングセンターにお客を奪われてしまいました。

日本全国の駅 前商店街が、商売が成り立たないで店じまいをし、

シャッター通り」と化しました。

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http://www.yendo.co.jp/story_02.htmlから抜粋して引用。

 

生乳の流通改革を求めているのは、誰なのか?

またぞろ、グローバル資本ではないのか?

 

「指定団体」の独占はいかん

 

という、一見正論に見える錦の御旗を掲げれば、

反対はしにくいでしょう。

マスコミは、反対どころか、

「指定団体」の独占はけしからん、という論調で報じるのは、火を見るより明らかです。

その結果、国内の酪農家は壊滅してしまった…、

という結末が目に見えるようです。

 

いつまでこのパターンを繰り返すのか?

 

90年代から2000年代にかけて、

いろいろな規制緩和が行われましたが、

その中で、成功したもの、というか、

規制緩和以前より、良い状態になったものがあるのか、と言いたいです。

以前の記事でも扱ったタクシー規制の緩和は、

失敗であることが明らかとなり、

規制は元に戻されることになりました。

生乳の規制緩和も、その愚を繰り返すことになるのではないか?

規制緩和に失敗したら、元に戻せばいい?

いや、そうはいかないような気がするんですよね。

農水省の資料『牛乳・乳製品及び牛肉の貿易状況』によれば、

飲用の牛乳は、全量を国産で供給、

乳製品については、国産と輸入で概ね半分ずつ供給、

とあります。

「牛乳は国産だ」

というCMがありましたが、

飲用の牛乳は、全てが国産で、輸入はゼロなのです。

食料自給率が低いことが問題視されている一方で、

せっかく自給できているものを、

規制緩和によって、国内の酪農家を壊滅させ、

自給ができない状態にしてしまうのか?

規制緩和で、酪農家が壊滅してしまったら、

それを元に戻すのは、容易なことではありません。

 

規制緩和=善 ではないのです。

安倍総理は、いまだに、

規制を緩和すれば、市場が活性化して、経済が成長する、

という図式を信じているようです。

安倍総理だけではなく、マスコミもそういう図式で報道していますし、

一般の方も、なんとなく、この図式を信じているのではないでしょうか。

もう一度言います。

90年代から2000年代にかけて行われた

様々な規制緩和の中で、うまくいったものがあるのか?

規制緩和以前の状態より良くなったものがあるのか?

今後やるべき政策は、緩和された規制を元に戻すことではないのか?

(現にタクシー規制は、そのようにすると決められました)

 

規制緩和、改革という言葉は、胡散臭い

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