歴史を直視せよ! | 朝倉新哉の研究室

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全ては日本を強くするために…

やあ、みなさん、私の研究室へようこそ。

韓国人は、日本人に対して、
「歴史を直視しろ」
などと言いますが、
お言葉どおり直視してみましょう。

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捏造された歴史ではなく自分の頭で歴史を調べてみようよ!
 在日韓国朝鮮人の皆さんは「在日1世の歴史」を知っていますか?


なでしこりんです。
アメリカの出方次第では
もうすぐ「イラクという国家が消滅する」可能性があります。
スンニ派を主体とする
「イラク・レバントのイスラム国家(ISIL)」が
バグダッドを攻略すれば、シーア派住民は虐殺を恐れて国外脱出し「難民化」するでしょう。
アメリカによって破壊され、アメリカに見捨てられるイラク。
もし神様がいるのならば、アメリカこそが罰せられるべきでしょうね。
さて今日は「AFP」の記事です。

避難民5000万人超す、第2次大戦後初めて 「世界難民の日」

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が
「世界難民の日(World Refugee Day)」の20日に発表した年次報告書によると、
2013年末時点で紛争や危機により家を追われた避難民の数は、
第2次世界大戦(World War II)以降初めて5000万人を超えた。
シリアが最も深刻という。
UNHCRによると、避難を強いられた人の数は
昨年より600万人増え、5120万人に達した。
報告書は難民、亡命希望者、国内避難民を対象としている。
避難民の増加の最大の要因は長期化するシリア内戦。
2011年3月の紛争開始以降、国外に脱出した難民の数は250万人に上り、
国内避難民は650万人に上った。
また中央アフリカと南スーダンの危機により新たな避難民の波が生じている。
(AFPhttp://www.afpbb.com/articles/-/3018329)

戦争が起こるたびに「難民」が発生します。
そりゃ当然ですよね。
みすみす殺されるよりは「命あってのものだね」ですから誰もが逃げます。
私が難民で思いつくのは「在日韓国朝鮮人」のことです。
在日韓国朝鮮人は、
「ウリたちは強制連行された来たニダ」と言っていますが、
あれは全部ウソです。
当時の状況を調べて客観的に判断すれば、
在日韓国朝鮮人はほぼ全員が「戦争難民」であることがわかります。
以下、資料です。
日本ではほとんど知られていない事件もあります。
これだけ虐殺がおこなわれたならば
「逃げ出したくなる気持ち」もわからないではありません。

日本人が知らない「韓国の血塗られた歴史」

済州島四・三事件
1948年4月3日に済州島で起こった島民の蜂起にともない、
韓国政府・韓国軍・韓国警察などが引き起こした島民の虐殺事件。
島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺され、済州島の村々の70%が焼き尽くされた。
韓国軍は島民の住む村を襲うと、
若者達を連れ出して殺害するとともに、
少女達を連れ出しては数週間に渡って輪姦、虐待を繰り返し惨殺した。

麗水・順天事件
1948年10月19日、
済州島四・三事件鎮圧のため出動命令が下った
国防警備隊第14連隊(約2,000名)が反乱を起こした。
韓国政府は直ちに鎮圧部隊を投入し、1週間後の10月27日には反乱は鎮圧された。
事件後、韓国政府の左翼勢力摘発は過酷を極め、
反乱部隊に加えて、反乱共謀者として非武装の民間人8000名を殺害した。

聞慶虐殺事件
1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で、
共産匪賊に協力したなどとして、
韓国陸軍第2師団第25連隊の第7中隊第2小隊第3小隊が
非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した。
事件は長らく共産匪賊による仕業とされていたが、
2007年6月26日に韓国政府の犯行であったことが明らかにされた。

朝鮮戦争
1950年6月25日 - 1953年7月27日-休戦)は、
成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で、
朝鮮半島の主権を巡り北朝鮮が、国境を越えて侵攻したことによって勃発した国際紛争。
戦闘に巻き込まれたり虐殺された民間人の死者だけで200万人を超えるという。

保導連盟事件
1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受け、
李承晩大統領の命令により、韓国軍や韓国警察が
共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織
「国民保導連盟」の加盟者や民間人など少なくとも20万人以上を大量虐殺した事件。

漢江人道橋爆破事件
1950年6月28日午前2時30分頃、
およそ4,000人の避難民が渡っていた漢江人道橋を、
避難民もろとも韓国軍が爆破し、約500~800名が死亡した。
この橋梁の爆破によって、
前線で北朝鮮軍と交戦中であった韓国軍主力の退路が断たれ、
背後を遮断されたことを知った各部隊は
雪崩を打ったように後退を開始し、戦線は瞬く間に崩壊することとなった。

大田刑務所虐殺事件 
朝鮮戦争勃発直後の1950年7月初め、
韓国の軍と警察が、大田刑務所の収監者約1800名を銃殺していたことが、
このほど資料的に裏付けられた。
このことは、2000年1月5日、韓国マスコミが、
機密指定解除されたアメリカ国立公文書館の文書から
「処刑」が確認されたと報道したことにより明らかになった。

信川虐殺事件
1950年、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)黄海南道信川郡において、
国連軍占領下で住民の4分の1にあたる3万5383人が虐殺されたとされる事件。

国民防衛軍事件
中国義勇軍の参戦による戦局の悪化を打開するべく
韓国政府は国民防衛軍を組織した。
1951年初頭、韓国は北朝鮮・中国両軍の攻勢を受け、
前線からの後退を決定し、およそ50万の将兵が大邱や釜山へと撤退することとなった。
この撤退の際に、
国民防衛軍司令部の幹部達が
国民防衛軍に供給された軍事物資や兵糧米などを不正に処分・着服。
その結果、
極寒の中を徒歩で撤退する将兵達に対する補給物資が不足し、
9万名余りの韓国軍兵士が餓死・凍死する「死の行進」となった。

江華良民虐殺事件
1951年1月6日から1月9日にかけて、韓国軍、韓国警察、民兵は
北朝鮮統治時代に北朝鮮に協力したなどとして
島民212人から1,300人を虐殺した。
この事件前の1950年には、保導連盟事件で、すでに140人の島民が虐殺されていた。

山清・咸陽良民虐殺事件
1951年2月8日、韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊は
居昌郡に隣接する山清郡今西面、咸陽郡柳林面の一帯にある
12の村々の住民705人を集め、パルチザン殲滅と称して殺害した。

居昌良民虐殺事件
1951年2月9日から2月11日にかけ、
2月8日に山清・咸陽良民虐殺事件を引き起こした
韓国陸軍第11師団第9連隊第3大隊が
共産匪賊のパルチザンを殲滅するためと称し、無実の市民を719名を虐殺した。
犠牲者の内訳は、
3歳以下100人、4~11歳未満191人、11歳~15歳未満68人、
15歳~60歳未満294人、60歳以上66人であった。

これをご覧になられた皆様なら、
在日韓国朝鮮人が「ウリたちは強制連行された来たニダ」とウソをつき、
そのくせ韓国や朝鮮に「帰国したがらない理由」がご理解いただけたでしょう。
おそらく、在日1世にとっては「朝鮮半島は悪夢」でしかないはずです。
だからといって、在日1世が日本に密入国し、
「特別永住資格の不正取得」をごまかすために「強制連行のうそ」を撒き散らし、
本来、在日を助けた日本国民を敵視する
反日教育をおこなっていることに納得できない方も多いでしょう。
でもそれが「朝鮮人」なんです。
彼らは日本人ではないんです。
日本人の思考方法で朝鮮人を理解するのは無駄であり無理なんです。
朝鮮語にはそもそも「感謝」という言葉すら存在していません。
日本人が「感謝→カムサ」という概念を教えただけで、
朝鮮人には感謝という概念は身についていません。
私たちはそういう民族を日本に同居させていることを今一度考えるべきですね。

6月20日は「難民の日」でした。 
在日韓国朝鮮人のみなさんは故国を思うと同時に、
在日1世を助けたにもかかわらず悪く言われ続けている
日本と日本人のことも考えてみてください。 
在日韓国朝鮮人が今あるのは誰のお陰なのかを・・・・。By なでしこりん
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http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-11881457292.htmlから抜粋して引用。


>在日韓国朝鮮人はほぼ全員が「戦争難民」

>これだけ虐殺がおこなわれたならば
>「逃げ出したくなる気持ち」もわからないではありません。

ちょっと心配ですね。
日本人は心がやさしいですから、
戦争難民である在日はかわいそう、とか、
逃げ出したくなるのは当然、日本は彼らを保護すべき、
などと思う人も少なからずいるのではないでしょうか。
しかし、引用記事にある事件は、結局のところ、”内輪もめ”です。
済州島四・三事件、麗水・順天事件、聞慶虐殺事件以外は、
朝鮮戦争にからむ事件です。
大元となった朝鮮戦争も、朝鮮民族同士の”内輪もめ”です。

済州島四・三事件は、
1945年9月に、朝鮮建国準備委員会の支部が済州島に作られたことが発端でした。
この委員会は、朝鮮人民共和国の樹立を宣言していました。
”人民共和国”って、共産主義国のことですよ。
南朝鮮(現在の韓国)にとって、
済州島は勢力範囲内ですから、
そこに共産主義国の樹立を目指す勢力があることは、
見過ごすことはできません。
アメリカも
朝鮮建国準備委員会とそれを支持する民衆を、共産主義勢力とみなしていたようで、
朝鮮人の右翼団体を済州島に送り込んだりしました。
”島民の蜂起”というのは、
その団体が、警察とグルになって、島民を弾圧したために起こったものでした。
ですから、これも結局、
朝鮮人の共産主義勢力と、右翼団体、南朝鮮(現在の韓国)などとの
争いで、”内輪もめ”なのです。
朝鮮人が内輪もめをしなければ、アメリカも介入することはないので、
根本の原因は、朝鮮人同士の争いです。
麗水・順天事件は、済州島四・三事件に絡む事件ですから、やはり”内輪もめ”です。
聞慶虐殺事件は、
韓国軍が
共産匪賊(共産主義者のこと)に協力したとみなした住民を虐殺した事件ですから、
これも”内輪もめ”です。

朝鮮半島の歴史は、内輪もめが非常に多く、
しかもその争いは、凄惨な殺し合いであることが多いです。
日本人も内輪もめはしますが、
”最後の内輪もめ”とも言える戊辰戦争では、
”賊軍”であった榎本武揚も、投獄されましたが、のちに外務大臣になっています。
会津藩軍事総督であった山川浩も、陸軍少将に取り立てられています。
日本人は、内輪もめをしても、
”小異を捨てて大同につく”ということができるのです。

朝鮮半島で、凄惨な内輪もめが起こるのも、
難民が発生するのも、結局、彼ら自身の責任なのです。
朝鮮人同士が、殺し合わなければ、民衆も逃げる必要はないのです。
民衆もまた、”逃げる必要のない”国づくりをする義務があるのです。
それ以上に、為政者は、
民衆が難民化することのない国づくりをする義務があります。
為政者も民衆も、国民として、やるべきことをやっていないから、
内輪もめが起こり、難民が発生するのです。
その難民におしかけられる日本は、いい迷惑です。

日本は、彼らの尻拭いをさせられているようなものです。

在日はかわいそう、などと思わないでください。
そういう気持ちに、連中はつけこんでくるのです。
外国人は生活保護を受給する権利がない、
という最高裁判決が出たばかりではないですか。
権利がないのに、我々の税金をむしりとっているのが、在日です。
奴らに対して同情など不要です。
同情したら、つけこまれます。
我々日本人に反省する点があるとすれば、”人がよすぎる”ことです。

戦争難民だというなら、戦争はとっくに終わっていますから、
帰国すべきなのです。
(朝鮮戦争は休戦であって、厳密には終わってはいませんが)
すでに、警察や軍隊が住民を虐殺していた状況ではないですし、
経済も発展して豊かになったのですから、
帰国するのが当然です。

戦争難民→かわいそう
ではなく、
戦争難民→帰国できる状況になったら帰国するのが当然
なのです。

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