建国当初から誇りうる歴史をもっていた日本 | 朝倉新哉の研究室

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一昨日が建国記念の日だったので、日本の建国にまつわる話題を。

日本は建国の時点で、すでに他国とは違う、誇るべき歴史を有している、

という事実を記しておきたいと思います。

日本建国の過程は前方後円墳を追うことで、概要がわかります。

3世紀の中頃から後半にかけて、日本初の前方後円墳「箸墓古墳」が造営されました。

これ以前にも、形がよく似た古墳がありますが、
(厳密には、箸墓以前のものを”古墳”とは呼ばないのですが)

前方後円型墳丘墓とか纏向型前方後円墳と呼ばれて区別されています。



前方後円墳がどのようにしてできたのか、については諸説あります。

中でも、最も興味深いのは、関裕二さんや武光誠さんが唱えている説です。

それは、前方後円墳は、各地の墓制が融合してできあがった、

というものです。

山陰、北陸の四隅突出型墳丘墓
国家戦略研究
ウィキペディアより


近畿、東海の方形周溝墓
国家戦略研究
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/53526837.htmlより


吉備の楯築墳丘墓
国家戦略研究
松木武彦『列島創世記 一』小学館 より


北部九州の副葬品

鏡、剣、勾玉


前方後円墳の構造
国家戦略研究
ウィキペディアより


吉備の楯築墳丘墓を基本として、

周濠は、方形周溝墓の周りの溝が大規模になったもの、

前方部は、四隅突出型墳丘墓の形が採り入れられたもの、

墓の内部の副葬品は、北部九州のものが採り入れられた、

というのです。

各地の墓制が融合して作られている、ということは、

それぞれの地域が平和的にまとまったことを意味しています。

武力で統一されたなら、どこか1つの地域の墓制だけが全国に広まったはずです。

そして、もとの墓を破却して、新しい墓を作ったりもするはずですが、

そうではないのです。


箸墓古墳の近くに、纏向遺跡(まきむくいせき)という遺跡があります。

この遺跡には、弥生時代の環濠集落のような濠がありません。

なおかつ、東海、北陸、山陰などの土器がたくさん見つかっています。

濠がないということは、周辺に軍事的脅威がないことを意味しています。

いろいろな地方の土器が見つかるということは、その地方の人々がやってきていた、

ということを意味しています。

前述の墓制のことと、濠がない、各地の土器が見つかる、

ということをあわせて考えると、

主に西日本各地から纏向に人が集まり、

吉備、山陰、北陸、東海、北部九州の首長が中心になって、

平和的な大同団結が図られた、

と考えることができます。

纏向遺跡のある奈良県は、大和国ですが、

”大和”、”やまと”とは、もともと”山のふもと”という意味だ、という説があります。

その山とは、三輪山のことです。

三輪山の近くには、箸墓古墳と纏向遺跡があります。

纏向は、各地から人が集まり、”都”のような存在だったとも考えられています。

そして、松木武彦『列島創世記 一』小学館には、

>箸墓に埋葬される人物は、(中略)倭王と見なされる存在だっただろう

とあります。

(ただし、日本書紀には、箸墓古墳の被葬者はヤマトトトヒモモソヒメであると
 書かれており、最初の天皇、神武天皇の墓は、箸墓とは別の場所にあるとされています。
 文献とつきあわせると矛盾が生じますが、考古学の面だけから見ると、
 ”最初の倭王(=最初の天皇)”の陵墓として、箸墓はふさわしい規模と成り立ちを
 もっているのです)


三輪山のふもとにできた”都”

各地の首長の大同団結の象徴、前方後円墳

平和的に出来上がった、まさに”和”で出来上がった、”大いなる和”で出来上がった国、

それが日本です。

”やまと”に大和という字を当てたのも、日本が”大いなる和”で出来上がったことと

無関係ではないと思います。


奈良盆地で発祥した前方後円墳は日本全国に広がっていきますが、

各地を武力で制圧して、前方後円墳を作っていったのではありません。

戦争をした形跡がないのです。

各地の首長は、前方後円墳を平和的に受け入れていったのです。

前方後円墳を作った”原・大和朝廷”、その支配者であった大王(おおきみ)、

のちの天皇は、民から搾取することはありませんでした。


(前方後円墳を造営していった政権の呼び方は、
 「ヤマト王権」が一般化しつつあります。
 しかし、この政権は、後の大和朝廷に直結しているので、
 「ヤマト王権」と書くと、別の存在のような印象になってしまうので、
 適当ではないと思います。
 後の大和朝廷に直結していて、”朝廷”と呼べるほど組織は整っていなかった、
 と考えられるので、「原・大和朝廷」と呼ぶのが最も適切だと思います。)


日本書紀には、

民が困窮していることを知った仁徳天皇が3年間税を免除したことが記されています。

国民を搾取する外国の王とは、まったく違います。

皇室が長く続いている理由の1つはこれだと思います。

外国の王は、国民を搾取するため、国民の恨みを買い、倒されてしまうのです。

搾取をしない日本の天皇は、倒される理由がありません。



神話によれば、日本の建国は紀元前660年です。

さすがにこれは、事実ではありません。

しかし、日本の国家としての起源は、纏向の”都”と前方後円墳の誕生にある、

としても、1800年ほども昔のことであり、

そのとき誕生した政権は、倒されたりすることなく、ずっと続いているのです。

前方後円墳は、3世紀に誕生し、飛鳥時代のはじめごろまで作られ続けました。

天皇の血統は、武烈天皇から継体天皇への継承のところで、

途切れているとも言われていますが、

”おおきみ”→天皇を戴く政治体制は、前方後円墳誕生以来、

現在までずっと続いているのです。

これは、”システムとしての天皇制”が、現在までずっと続いているということで、

これを”万世一系”と呼んでも、決して言い過ぎではないと思います。

ことさら神話に頼らなくても十分誇れる歴史だと思います。


事実を積み重ねるだけでも、立派な歴史ができあがる、

そんな稀有な国、日本。

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