田母神論文では物足りない方へ 大東亜戦争の真の原因 | DOクロ

田母神論文では物足りない方へ 大東亜戦争の真の原因

2008年12月28日 日記 田母神論文では物足りない方へ 大東亜戦争の真の原因


大東亜戦争は、自衛のための戦争であるという主張があるが、これについて考えてみたい。

一般に言われるのは、アメリカが日本に対して、ハル・ノートを突き付けて、「日本が満州から手を引かなければ、石油を禁輸する」と通告したから、やむなく日本は、対米開戦に至ったというものである。


たっだら、開戦を避けるのは簡単である。
日本がアメリカに、これまで通り石油を売ってもらいたければ、満州から手を引けばよいのである。

それなのに、日本が満州にしがみつく必要がどこにあったのだろうか。

そのことについて、以下にしめす。


*** 満州問題のすべては日本国内の農村経済が原因であった!! ***


明治維新以降、日本政府は、国力増強のため、子だくさんを奨励した。
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農地は長男のみが相続する習慣がある。
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農民の次男三男は、農地を相続できない。
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農村出身者は、都会へ出ても職にあぶれて、志願兵となる。
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日本政府の金融引き締めなど経済政策失敗により、農村出身軍人の故郷の農村経済が破壊された。
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軍人が、その報復のため、5・15事件及び2・26事件で、政府要人を殺害した。
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2・26事件の関係者は処刑されたが、農村問題が解決せず、軍の反乱の火種が残る。
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次の反乱の原因を除くため、軍が満州に出征して、農民の次男三男のための農地を確保しようとした。
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日本人に領土を奪われたくない中国が日本を悪者にしてアメリカに訴えた。
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アメリカが、日本に対し、満州から手を引かなければ、石油を禁輸すると迫った。
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日本は、満州も石油も手に入れたいから、対米開戦をした。


*** 対米開戦の真の原因は内政問題であった!! ***


以下のように日本が満州を手放すと、第2、第3の2・26事件が起きて、それが内戦に発展すると考えられた。
昭和天皇は、開戦を命がけで止めようとしたが、2・26事件の鎮圧という最強の持ち札を使ってしまった後なので、断念さざるを得なかったといわれている。そもそも、昭和天皇は、イギリス王室と親しく、ナチス嫌いであった。


日本は、自衛のために、対米開戦をしたというが、真相は、石油や満州というよりも、
農地の相続や、国内の経済政策が原因であったことになる。

その証拠に、戦後にGHQのマッカーサー司令官が、日本に農地改革、民主化による平等な相続をもたらしたため、農村の疲弊は解消されてしまった。


アメリカ人にできることが、なぜ日本人にもできなかったのだろう。


*** 今回の豆知識 ***


その1 『A級戦犯の靖国合祀 昭和天皇が不快感』
1988年の富田朝彦宮内庁長官のメモ。
「私は 或る時に、A級が合祀されその上 松岡、白鳥までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが 松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は 平和に強い考えがあったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから、私あれ以来、参拝していない それが私の心だ」
「松岡」は松岡洋右外相。「白鳥」は白鳥敏夫駐イタリア大使。「筑波」は筑波藤麿・靖国神社宮司。「松平」は松平慶民・宮内大臣。その「子」は長男でA級戦犯を合祀した松平永芳宮司。
昭和天皇の靖国参拝は1975年11月が最後でA級合祀が影響と指摘されている。
(北海道新聞 2006年7月20日夕)


その2 満州開拓青年訓練所の主催者加藤完治の発言
「支邦人や朝鮮人というものは、誰の土地だとか何とか言わないでどんどん入ってやっている。」(*原典 満州の権益と開拓団の悲劇 井出孫六・著 岩波ブックレット)【ヒトラーだけではなく人類一般の自然法の考え。】
大東亜戦争の原因とは、農村においての家族計画と相続制度の近代化の遅れである。


その3 農地の相続制度
日本では、鎌倉時代までは、女子も農地を相続することができたが、次第に開墾できる農地が減り、戦前までは長男のみが相続するのがやっとであった。戦前にも農地改革をする計画はあったが、所有権絶対の原則により、阻まれて、それを実行できるのは、マッカーサーだけであった。
これは、小作農であったも同じで、次男、三男が小作をできる農地はなかった。