軍事ジャーナル(9月13日号)

 野田新政権がかつての小渕政権に似ているという声がある。これには一理ある。小渕恵三(故人)氏は自民党の代議士であり平成10年(1998)から12年まで総理を務めた。小沢一郎氏率いる当時の自由党と連立を組んだから、今回、小沢派を懐柔して新政権を発足させた野田政権との類似は確かにある。
 小渕氏は鈍牛と呼ばれた地味な性格で、国民的人気は今一つだったが実績はかなりのものがある。経済では低迷していた株価を着実に押し上げ景気回復の足掛かりを作ったし、防衛では情報収集衛星の導入や北朝鮮工作船対処など数多くの功績を残している。
 病に倒れ総理辞任の止む無きに至ったが「もしあの儘、実績を重ねていれば平成の大宰相と呼ばれていただろう」と逝去を惜しむ声はよく聞かれた。この実績はあの剛腕と呼ばれた小沢氏の協力なしには不可能と言って良かった。小渕氏と同じ早大出身で自ら「どじょう」と称する地味な性格の野田総理が小渕政権を意識していない筈はない。
 ちなみにこの度、防衛大臣に就任した一川保夫氏は自由党時代から小沢氏と行動を共にしている。「防衛の素人」と自嘲してしまう農水族だが安全保障には一家言持っていると言われる。小渕政権当時、北朝鮮ミサイル危機は顕在化しており、小渕総理は防衛を強固にしようと内心決意していた。だからこそ小沢氏の協力を求めたのだ。
 そのときの関係議員を防衛相に就けた野田総理の意図を察するに、中国の軍事的脅威が顕在化した現在、防衛政策の充実を図るべく小沢氏の協力を求めたのは明らかではないか。
 野田政権が小渕政権を手本にして安全保障政策を遂行しようとしているなら、それはそれで悪い事ではなかろう。日本の防衛のために小沢派の懐柔が必要だというのなら、輿石東氏の幹事長就任も我慢しよう。

 だが野田氏がいやしくも松下政経塾一期生であるならば、是非とも学んで貰いたい政権がもう一つある。それは野田氏が入塾した当時の日本の総理であった大平正芳氏とその内閣である。
 大平氏は自民党政権時代の総理だが、野田氏、小渕氏と同様、地味で無口な実務家であり、自民党の最大派閥を率いる田中角栄氏の協力を得て総理に就任した。言うまでもなく小沢氏は当時田中派所属の若き代議士であり、田中氏の薫陶を直に受けた。
 大平政権も現在の野田政権同様、増税路線であった。そして増税を一旦は選挙公約に掲げたが、世論の批判を浴びて撤回し辛うじて選挙に勝って政権を維持した。だが学んで貰いたい教訓はこの点ではない。
 当時の国際情勢はベトナム戦争に米国は敗退し、世界は無秩序化しソ連の脅威が顕在化していた。その点で言うとアフガニスタンから米軍が撤退を始め、中東などが無秩序化し、中国の脅威が顕在化した現在の情勢に酷似している。
 日本の防衛を強化するためには今も昔も米国との緊密化は避けられない。ところが防衛政策に熱心だった筈の田中派は反米親中的な態度を示し日米関係は停滞し、心労で大平総理は任期半ばで急逝した。
 おおざっぱな比喩が許して貰えるなら、大平政権も小渕政権も田中派、旧田中派に寝首を掻かれて終わっているのだ。小沢氏の剛腕が党外に向けられているうちはいい。だが党内の意見調整に失敗すれば小沢氏の剛腕は政権を直撃することになる。田中派と結ぶリスクだけは夢にも忘れめさるな。