弧線の月夜に | 虹色金魚熱中症

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虹色金魚の管理人カラムが詩とお話をおいています。

拙いコトバたちですが読んでいただければ幸いです。

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グルッポ 『 物書きの社交場  』 の企画でつくったものです。


お題から起草される詩や物語を紡ぐといったもの。

注意 今回のお題は 文末 に記載。

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弧線の月夜に

 

 
 硝子の指が目高で小さく弧を描いていた。細い月をなぞっている。部屋は暗く、けれど漆黒ではなく、下界からの光で彼女を浮かせ見せていた。

 下品なネオンも雑音も何故か耳には入らない。歓楽街に並ぶ安アパートの一室はまるで防音の檻だ。

 飾り気のない白いワンピースは藍とも紺ともいえない色に染まり、時折点滅するネオンのピンクが色のない彼女の頬を照らした。襟元からの細い首に思わず喉が震えた。
「先生」

 白い喉が言葉を生んで上下する。縦長い窓辺から空を見たまま、無表情に彼女は呼んだ。 
「なんだい」

 恥ずかしいことに声がかすれた。いつものことだ。変わりないのだと言い聞かせながら、黙って彼女の長い髪を見た。腰までの長い髪が暗がりへと溶ける。
「もうすぐ花が枯れますね」

 質素な部屋にあるのはひと一人が眠るベッド、対の木製椅子。そして、小さなテーブル。そこに透明な花瓶が置いてある。一輪の花首が捥げそうなほどに傾いていた。花瓶に水はなく、花は乾いている。

「アルストロメリアだったね」

 彼女が挿した一輪の枝分かれした蕾から、いくつかの花が咲き、いくつかは咲かぬままに乾いてしまった。
「長持ちすると言われたんです」
「確かに」

 前の花はなんだったか。もう覚えてはいないが、あれは三日と経たずに首を落とした。
「水をやらないんだ。本来ならもっと咲いていただろうにね」 

 薄い橙に頬を染めるような仄かな桃色が綺麗だった。その花弁に不必要にも混じったえんじが転々と、まるで血の涙のように見えた。
「花は枯れるのだから」

 水をあげてもしかたがないと彼女は言った。それは僕のルールと異なった。僕は最後まで生かしたい。摘まれてしまえば、もう死を待つしかないにしても、焦らし続けて終わらせたい。本当に行きつくのかと、死が分からなくなるまで堪能したい。
「先生は言いました」
 彼女の幼くも見える小さな口が人形のように開き、閉じる。それは無声映画のようで、けれど声は耳というよりは脳に届く。
「屠ることでなれると」

「食すことでなれるのだと」

 淡々と。そして瞳は月を見る。窓にはまった硝子は何年もかけて溜まったであろう砂埃で酷くくもっていた。本当に見えているだろうか。あの細い糸のような月が。
「違うね。僕はこう言った」
 

 ――君らしい 「僕」 になれる。
 

 そのとき僕は 「かもしれないね」 と逃げ道すら用意した気がする。

 彼女の口が小さく綻んだ。 
「そうでしたね」

 ただし声に感情はない。彼女は濡れた指で唇をなぞった。暗がりにも色素の薄い唇に色がともされたのだと分かる。僕は感動すら覚えた。どんな絵よりもリアルでどんな現実よりも偽りだ。
「残念ながら、私に味はわかりません。快楽なのかもわかりません」

 小さな舌が下唇を拭く。
「けれどもまた続けるんだろう」 

 問いかけに無音がかえった。会話が成り立つのはきわめて僅か。今晩は花が枯れ落ちるその日だから、こんなにも行き交っているだけなのだ。それでも時を待つようにして、彼女の口が動く。

「ええ」

 乾いた音が部屋に落ちた。くちゃりと湿った音も追いかけて落ちる。彼女の餌は何も言わずに首を落とした。いつもそうだ。彼女の獲物はまるで酔っている。足枷すらも必要とせず、首が落ちるのを待っている。僕は煙草を取り出し咥えた。けれど火はつけない。彼女に似合う臭いでもない。
「また花を買わなければならないね」

 赤く染まっている彼女の右手。彼女は恍惚に頬を染めた。濡れる指を甘く噛んでいる。それはたった一瞬の感情。漣よりも静かにひく。恐らく僕も同じような顔をしている。

「先生。私を殺したい?」

 言葉に願望が重なっていく。痺れが体をゆったりと襲った。

 
 嗚呼、この美しい人を屠り、食し、僕の内へと――
 
 けれど、僕には僕のルールがある。彼女は確かに僕の餌だ。けれど死を持たない彼女を屠ることはまだできない。食すことはまだできない。
 
 ――まだ。
 

「君は僕になるというけれど、僕は君みたいに食してから屠りはしないよ」

 僕は逃げた。暗がりでも光る無垢にも似た彼女の眼からそっと数ミリ、視線をずらした。湧きおこる欲望を沈めたい。それに気づいていながら彼女は静かに言葉をつむぐ。二人の距離は遠くない。

「先生がおっしゃったのです。私らしくと」

「オリジナリティかい」

 僕が笑うと彼女は偽りの笑みを作った。

「味見をするのはよくないですか」

「そんなことはない。けれど感動は軽減する」

 僕にはできない。酔えるのはたった一瞬。その一瞬を濃厚に。濃密に。想像だけを舌に転がす。自分を焦らす。熟した果実こそを求めるのだ。

 彼女は 「味がわからない」 と言った。 「快楽なのかわからない」 とも。

 

 まだ、わからない。

 

 きっと知るときがくる。そのとき彼女は僕になるのか。それとも僕は待てずに彼女を屠るのだろうか。彼女から花の匂い。いつの間にか目の前にいる。赤い、甘い、匂い。花の香りと。甘い言葉と。

「先生。私はあのときから変わっていません。変わっていないのですよ。私は――先生になりたい」

 赤く染まった白い指が僕の胸に触れる。心臓に触れる。

 

 ――恐らくは。どちらかがどちらかを。

 

 暗がりに細い月が見えた。弧を描いて、彼女の顔に静かに浮かんでいた。

 

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注意 今回のお題は 『 シリアルキラー 』 を使用させていただきました。
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