デートではありません
ショートショート×トールトール・ラバー【20】
甘い香りに思わず振り向く。映画のパンフレットを眺めていた私は目の前に差し出されたビックサイズのポップコーンカップに思わず声を上げた。 「キャラメルと塩味どっち?」 顔が入りそうなサイズのカップを両手に持つ池内君はにかにか笑って返事を待つ。
「キャラメル……」
言い終わるよりも先に 「だよね!」 と頷いた彼は背後に向かって口を尖らせた。 「映画のポップコーンはキャラメル味って決まってんだよ!」 視線の先では、飲み物のカップを器用に四つも手にした飯田君が肩をすくめて頭をゆるく振った。傍にいた赤根井さんも同じポーズで首を振る。
「お前らなんて、塩分取りすぎで高血圧にでもなってまえ!」
「なら、あんたは虫歯メタボだね」
池内君の手から塩味のポップコーンを取り上げながら、ひとつを口にした赤根井さんが言い捨てた。
「キャラメル味うまいのに。ねぇ?」
つぶてを投げられた子犬のように肩をすくめた池内君に曖昧に頷くと 「大体、塩味もカロリー高いと思うんだ、俺」 と、ぶつぶつ唸りながら、あいた手でポップコーンを掴んだ。
「絶対、こっちのが美味しいのに」
もごもごと口を動かしながら、恨めしげに長身の二人の後に続いた。私も彼の横に並びながら飯田君に手渡されたウーロン茶を両手で握りしめ、顔を顰めた。
(なんだって、こんなことになっているのだろう?)
理由は分かっている。でも理解できない。ひとり、ため息をつくと 「食べる?」 というように差し出されたポップコーンを誘われるままに口に運んだ。少しビターな甘さが口に広がる。思わず 「美味しい」 と漏れ出た言葉に彼は満足そうに頷いた。
一昨日のことだ。冴子は映画の券をぴらりぴらりと揺らしながら持ってきた。それを机にパシンと打ち付けるように置く。CMで見慣れた映画のタイトルに思わず 「いいなぁ」 と呟いた。見たいと思っていたそれだったからだ。
「お姉ちゃんにもらったの。四枚」 と囁く彼女の顔に 「意味、分かるわよね?」 と浮かぶ文字がはっきりと読み取れた。微笑みながら、私の顔を覗き込む冴子から、背筋をなぞられるようなひんやりとしたものを感じる。
「意味……? みんなで見に行くの?」
「そう!」
「さえちゃんと、私? ミチと……」
指折る私に対して、頭を大きく振るった冴子は言う。人差し指をピンと立て、左右に揺らした。
「違うでしょうが。ミチは今回お預けよ。透と池内君。そして、もちろん飯田君と私」
「は、はぁ」
予感はしていた。予感は。でも頭の中で逃げ回っていた。悪魔の手で絡みとられ、突き出されるまでは気づかないようにそっぽをむいていたのである。
「ダブルデート。響きは古いけど、いいと思わない? 透、この映画、見たいんでしょ? 『いいな』 って言ったよね?」
「じゅ、受験生がそんなこと……」
「息抜きしたいって、いってたよね?」
「塾が……」
「今週、日曜はないでしょ」
「相手の予定も……」
控えめに、けれど確かに拒否反応を示す私に、悪魔の微笑みで冴子は教室の扉を指差した。反対の手は腰に当てられ、クラーク博士もここまでは胸を張っていないだろうと思われるスタイルだ。
「さあ、誘っていらっしゃい!」
芝居がかった冴子の背後でミチの苦笑いが胸に刺さった。こうなると、とても拒否することは出来ない。重い足取りで池内君のいる一組に向かっていると、耳元で私の悪魔が囁いた。 「予定があって駄目だったって言えばいいんじゃない?」 そのささやきを口にして、若干の後ろめたさはあるものの、そうしよう、そうすべき、そうするしかないと頷いた。
大体、男子とまともにしゃべったことがない私が、いきなり映画に誘うなんて土台無理な話なのだ。回れ右をするように振り返り、今から口にする嘘をなんども頭でリピートして教室にもどると、待ち構えていたかのように冴子に腕をとられた。
「ひうっ!」 嘘をつく前にばれてしまったと、目をつぶった瞬間、冴子が神社にお参りするかのように、私に向かってパンと手を合わせた。 「ごめん! 私、無理みたい!」 いきなりの謝罪におろおろしていると、ミチが笑いながら冴子の横に並んだ。
「さえ、それホラーって知らなかったんだって」
ミチが指差し、私の手にあるのは散々CMで 「冬に恐怖を!」 をうたい文句にしているホラー映画のチケットである。
「だって、知らなかったんだもん。私、怖いの無理だから」
「CMで散々やってたよ?」
神妙に頷いた冴子は 「CM自体が怖いってどういうこと? 何の前触れもなく、キャー! って。ワー! って」 大げさに見えるほど、身震いして見せる。
冴子はCMが流れる瞬間に目を閉じ、耳をふさぐらしい。映画の名前すら知らなかった冴子は、シンプルなそのタイトルから、恋愛ものだと勘違いしていたのだ。冴子は酷い怖がりだある。
「私はね、男子の傍で嘘みたいにキャーキャーいう女子が嫌いなの」 そう言い捨てた彼女は 「だから無理」 と言い切った。
「ああ、そう……」 空回りに、空回り。脱力した私は手持ちのチケットを返そうとすると、冴子は手を翻してぶんぶんと顔をふった。
「いらない。手元にすら置きたくない! いいよ、透、あげる。どうせもらい物なんだから」 と、珍しく涙目で言う。ミチを見ると彼女も首を振った。
「怖いのは嫌いじゃないんだけど……日本のは駄目なんだよね、私。なんか妙に気持ち悪いじゃない? お風呂は入れなくなる」
そんなわけで見捨てられた恐怖のチケット四枚と私を拾ってくれたのは、池内君だったわけだ。
(いいのかなぁ……)
よくよく考えれば冴子の予定していたプランと似ている。池内君と私、そして飯田君と赤根井さん。赤根井さんと冴子のトレードだ。見た目は確かにダブルデート。冴子には池内君と観るのだとは伝えてある。満足げに頷いた彼女に、さすがに 「飯田君と赤根井さんが一緒」 とは言えなかった。
「桐野ちゃん、こっちね」
顔を上げると、赤根井さんと飯田君はすでに座っている。多いと思っていたポップコーンを競うようにして食べている二人を見ていると 「ダブルデート」 という響きも少し遠のく。友達同士で見に来ましたというのがありと感じられた。腰を下ろすと、飯田君が声を落として 「なんでお前が隣なんだよ」 と池内君をごついた。
「煩いな! 俺は塩味も食べたいんだよ! キャラメル三に塩味一のリズムで食べたいんだよ!」
「あんたたち、うるさい! 映画館では私語厳禁ってマナーだろ」
きゃんきゃん言い争う姿は、デートどころか高校生にも見えるか怪しい。小学生の喧嘩のようだ。
(これなら、さえちゃんにばれても問題ないかな)
ほっとしながら微笑むと、スクリーンに映された血文字のタイトルに私はどきどきしながら引き込まれていった。
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