そんな理由で傍にいたんじゃない
嘘恋シイ【31】
震える息を自分の内側で感じて、視界が青い理由を知る。
――空だ。
傾いた小波さんの腕を掴んで、アスファルトと彼女の間に滑り込んだ。部活でも類をみない完璧なスライディングだ。
無情にも固いアスファルトに尻を強かに打った。涙が出るほど痛くても彼女を受け止めれたことの方が嬉しくて、小さな背中に回した腕に力を入れる。
ゆっくりと半身を起こした。自分の胸に顔を埋めた彼女を抱きかかえたまま、ゆっくりと慎重に息を吐く。
「か、みやくん。あの、上谷君。あのね、放して」
彼女は逃れるようにその手で俺の胸を押す。だからもっと強く抱きしめて 「嫌だ」 と伝えた。心臓がどきどきするのは走ったせいだろうか。
不本意にも子供みたいな言い方になってしまった。でも、そんなことはどうでもいい気がした。
「だって小波、逃げるだろ」
「に、逃げないよ」
静かにそう言うから力を解くと、直ぐに体を引こうとする。逃がすまいと彼女の腕をがっちり掴んだ。
「ほら、逃げる」
「……逃げないから。上谷君、腕、放して」
俺を伺う視線を受け止められずに逸らしてしまった。彼女の腕は掴んだままで、なのに視線も合わせられない。何がしたいんだか分からない。
膝を突き合わせて座ったままでは、いつまでも子供のようにそっぽを向いているわけにもいかなくて、頭をめぐらして言葉を探る。
「もういいわけ、風邪」
あまりにそっけない言葉にも、ひるむ様子もなく彼女はゆっくりと返した。
「うん。まだ喉、痛いけど……大丈夫」
「本当に風邪だったんだ」
彼女の言葉は途切れ途切れに小さく、俺の言葉ももっと小さく落ちていった。
呟きざま彼女に視線を向ける。彼女のほうが俺より大人だ。視線は俺に向いていて、なのに俺は合わせることが出来なくて、膝に置いた手のひらに視線を落とした。
「俺、ガキみたいで。あの日もそうだったから。……小波、もう来ないんじゃないかって思った」
「私……ずる休みなんてしないよ」
「……うん。ごめん」
何を言えばいいだろう。言わなくちゃいけない言葉は確かにあるのに言葉は絡み合って喉に詰まる。謝るしか出来なくて、意味もなく繰り返すと頭を振った彼女があいた手で俺を掴んだ。
「違うよ! 謝るのは! ……私だよ」
彼女はゆっくり視線を落として、小さく肩を震わせた。
「本当……ごめんなさい。上谷君の言ったとおりだね。ずるかった。私。だから、……謝らなくちゃって。私、謝らなくっちゃって」
どんどん彼女の語尾は萎んでいく。最後に小さく 「ごめん、ごめんね」 と繰り返して、掴んでいた俺の腕がらその手を離した。
――離れていった。
ぽっかりと穴が空いたような気がした。ただ手を離しただけの仕草なのに強く拒絶されたような気がした。だから、その分を取り戻すように掴む手に力をいれた。彼女が 「痛い」 と言っても、それを緩めることは出来なかった。
「ごめんって何?」
「か、みやく……」
握った手から視線を上げて目を合わせた。彼女は 「痛いよ」 と涙目で、そんな彼女を俺は見ていた。睨んでいた。
「ごめんって何?」
辛いとか苦しいとか怒りとか、彼女へなのか、兄へなのか、それとも自分へなのか、分からないままひとつに纏められた感情はところどころ尖って痛い。
それを平らに押し付けるような声は、感情と反比例して抑揚無く響いた。彼女は俺を見たままで、戸惑うように瞬きした。
「何、それ。兄貴も、小波も、わかんねぇ。まだ好きなの? なぁ……何で? 兄貴は小波じゃない女を選んだんだよ。なのになんで兄貴なんだよ。……わけわかんねえ!」
傍にいるのは俺なのに。この手を掴んでいるのが俺でも彼女自身は捕まえられない。――どんなに力ずくでも。
「……くそっ」
細い腕が軋むくらいに彼女を掴んでいる。だけど捕まらない。手に入らない。しぼり出した俺の言葉に弾かれたように彼女の声が大きく響いた。
「わかんないのはそっちだよ!」
小さく震えるようだった彼女は、急に俺の胸を叩いた。そのまま激しく睨んで叫ぶ。
「こんな……こんな嘘までついて。何で、どうして。上谷君には関係ないじゃない! 上谷君だって、上谷君だって。……酷い。優しくなんてない! 全然ない!」
「小波……」
散々、俺の胸に拳をぶつけて、叫んで、最後に俯きざまに涙を落とした。
「馬鹿みたい。……なんで圭吾さんの代わりなんて、そんなこと。なんで……そんなこと。全部、知ってたんだね。……酷いよ。何であんなこと言ったの。上谷君は優しい……だから? 圭吾さんに振られた私に圭吾さんと同じ顔で、同じ声で傍にいてあげたら、私が楽になれると思ったの? 圭吾さんの、お兄さんのしたことに罪悪感でも感じたの? 私のこと可哀想って……思ったの?」
「そんなんじゃ」
「じゃあ、何! 善意じゃなくて悪意があったの? お兄さんに捨てられたばっかりで簡単に落とせると思ったの? 私、そんなに簡単じゃない!」
尖った彼女の物言いを全て拾うことが出来ない。それでも彼女に何も伝わっていないことだけは分かって、腹が立った。
悪意なんてあるわけない。善意も無い。そんなことで傍にいたんじゃない。
「そんなんじゃない!」
怒鳴ると、彼女の肩が小さく波打った。頑なに俯いたままの彼女に手を伸ばすと、両腕を掴んで無理やりに視線を合わせる。無視するなんて許せなかった。勝手なことばかり言う彼女を許せなかった。彼女が泣いても、どうしても許せなかった。
「何だよ。小波……兄貴と別れたんじゃなかったのかよ! それなのに影でこそこそ会うなんて……小波、馬鹿じゃねえの?」
酷い言葉だと思った。発した傍から後悔にかわるのにそれでも止まらない。目の合った彼女は眉を寄せて俺を見る。俺が何も知らないと思っているのだろうか。そうであればよかった。でも知りたくないことまで知っている。
「俺が何も知らないって? ……なんで会ったりするんだよ。馬鹿じゃん、俺。小波も兄貴もわけわかんねぇよ」
視線を逸らそうとする彼女を乱暴にゆすって、それを許さなかった。ちゃんと見て欲しかった。ちゃんと気づいて欲しかった。
「わ、わかんないのは上谷君でしょ。もう……いいから、放してよ!」
逃れようとする彼女を無理に止めた。腹が立って仕方ないのに繋がった先が熱を持って、それが愛おしい。放したくなかった。
意固地になっているのだろうか。泣きながら 「放して」 という彼女に 「嫌だ」 と伝えた。兄貴なら絶対に言わないような、駄々っ子じみた言い方に情けなくなる。そんな俺を無視して、彼女は落ち着きを取り戻す為に大きく息を吸った。
「……もう、大丈夫だよ。私、もう……だから、放っておいて」
棘を失った台詞は萎んでいった。止まらない涙を隠そうともしないで、ただ真直ぐ俺を見ていた。挑むような視線に俺もゆっくりと呼吸をした。だけど彼女ほどには落ち着けない。
「勝手なこと言ってんな」
掴んでいた腕を引き寄せた。予期していなかったのか、簡単に小波さんの体が揺れた。
俺は小波さんにキスをした。
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