自分に嘘を吐かない。 | Rainbow Diary

自分に嘘を吐かない。

ってどう言うことだろうかと、ふと思った。in職場のエレベータ上昇中。

よく、「自分に嘘を吐きたくないの!」とか言う台詞を本とかTVとかで見聞きするような気がするんだけど、実際のところ、「自分に嘘を吐かない」ってどーゆーことなんだろうか。

人生には、嘘と言うよりも条件付けの納得(妥協)が多いんじゃないんだろうかと思う。


本当はルートAを選びたいんだが選べない、それなら条件1を採用してルートBで妥協するか。とか、

近い将来○○でありたいんだが現時点でそれは無理なのでまぁ長い目で見て修行しつつ遠い未来○○であることに希望を託すか。とか。


現状がルートAを選べない、現状では近い将来○○で有り得ない。

それは納得しがたいんだが、しょうがない。

「しょうがない」と思うところが「自分に対する嘘」なんだろうか。

自分に嘘を吐かないってことは自分に正直に生きるってことなんだろうが、そんじゃあ、自分に正直に生きるってのはどう言うことだろう。

私は割りと自分に正直に生きてるとは思うけど(むしろ欲望に忠実)、それでもやっぱり、「自分につく嘘」はかなり多い。

本当はこんな仕事したくないし、本当はこんな生活はしたくないし。出来ればもっとああでありたい、どうせやるならこうしたい、云々、求めるスタイルも欲望も果てしないけれど。

生きていくってことは、生活しなきゃならんてことで、生活しなきゃならんってことは稼がなきゃならんてことで、稼ぐってことは、理想だけでは無理ってこと。

無理=嘘かなぁ。

その無理無理無理の山をちまちま切り崩して開拓して攻略してちょっとでも可能に変換していくのが嘘に対するささやかな抵抗?


例えば年齢的にも外見的にももうロリィタには成り得ないが、どうしても諦めたくない、常にロリィタでありたいと言う理想。

しかしやっぱり年齢的にも外見的にもそして社会的にもロリィタは無理だという現実。

あれはささやかな憧れだったんだ、若き日のファッションの一環、卒業すべきである。と思うのが自分に吐く嘘。

でもやっぱり諦められない。せめて、持ち物だけでもロリィタでいよう。これが妥協。

持ち物だけでもロリィタでいることで、ロリィタの魂は永遠であることを自分に納得させる現実。


自分に吐く沢山の嘘の中に妥協案を見つけ出し、嘘を撤回することは出来ないにしても、自分を納得させてそこに楽しみを見出し、出来る限り理想に近づけていくことが人生なのか??

いやしかしそんじゃあ、「自分に嘘は吐かない生き方」をするにはどうしたらいいんだろうか?

妥協しないって、そうしたらいいんだ。

1階→4階の上昇間ではそこまで考える時間がなく。

ちまちま作業しながら考えたが、答えは見つからなかった。

今日は時間休を貰ってて、月曜日なのに優雅に半ドン仕事って暴挙を成し遂げたので、スニータで昼食を食べることにして。

セルフサービス(有難い!)のチャイを飲みつつ、ランチAセットのカレー(今日はポークをチョイス!)&ナン&サラダを食べつつ考えたがやはり答えは見つからず。

お買い物して帰宅して、本を読みながら考えたがやはり見つからず。

だんだん面倒になって考えるのを辞めてしまった。つまりまた一つ自分に吐く嘘が増えたわけだが。

そこで思考が「2月の終了3月の開始」に至り、「あー、ワークショップが終わったら次は何しようかなぁ、お金がかかるのと時間が長いのはいやだなぁ、ここは一つ写経でもやってみるか、いっそ自宅で書道に取り組んでみるか」と未来の予定についてに変更になったので。

「自分に嘘を吐かない生き方の発見」は「面倒になった」と言う嘘で終了したがここで「未来(WS終了後)の予定を立てる」という妥協案を出したので、宙に浮いたような答えの出ないような思考を、現実的な方向に向けることが出来たと自分を納得させる次第。


やー、しかしWS終わったら何しようかなー。(←まだ終わってさえいないけど)

とりあえず今年の目標の一つ「新しいことに挑戦」はゴスペルWSでクリア。

今度は絵画教室でも行ってみるか……?いやしかしこれは材料費の方が多くかかって、不器用だし絵心もないので長続きしそうにないなぁ……。

やっぱ写経か。これなら前に買ったのが残ってるから。

しかもなかなか精神統一になって面白いし。