人は死んで天国へゆく、又は無になり何もなくなる。

等々と思い込んでいる人が大勢います。

人は単に死んでも必ずや、天国に逝ける訳ではなく、また無になる訳ではないのです。

その人の霊的本性(霊格や霊的覚醒度)により、霊界への行く場所を自ら決定するのです。

一般的に信心深い人は、信仰心のない人より霊格が優れている思いがちですが、必ずしもそうとは言えず、ある宗教的信条を信じているからと云って、霊的に立派であるとは決して言えないのです。

神の存在を信じ、その教義を受け入れたことで「選ばれし者」的な一人となったと信じている人よりも、唯物主義者や無神論者、又は合理主義者や懐疑論者を主張している人のほうが、霊的によほど上である場合が多いのです。

例えば、ある宗教の教祖が、多くの信者を集め表面的には立派に見え、一見して立派な霊界へ赴くように思えても、このブログの、スエーデンボルグの霊界著述でも記述している通り、その教祖たる者が、間違った教理を説いたり、又は俺が、俺が!!私が、私が!!では、霊界への逝き着く先は下層霊界又は地獄界であるのです。

人は何を言い、何を信じるかではなく、その人が「何をしたか」で死後霊界での生活が決定されると云うことです。

そうでなければ「神の公正」が根本から崩れる、と言ったことになるのです。

一般的に人が人を判断する場合、「神の公正」さの理解なく、自分自身の人格や信念、又は自身の尺度(ものさし)で人を判断する傾向にありますが、それは間違った判断をしている場合が多いと云うことです。

「神の公正」さを、自身の思惑で判断してはいけないのです。

「神の公正」さは、その人の望みや思惑または、その人の願望にお構いなく働くものであるとしています。、、、次は④で