123.青山神社探検記(茨城県城里町青山) | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

引き続き城里町(旧常北町)の神社です。恥ずかしながら、常北町という町名の由来についてやっと気がつきました。

やっと気付いたというより、ようやく気になりだした、ということのほうが正確かもしれません。

それは陸国の部に位置していたからということででしょう。

興味がそういうことに向かっている人にとっては、瞬時にに予想や理解できることも、興味がそこに向いていない人にはわからないどころか、考えようとする意識さえもないのです。

地名の由来に留意したり、意味を考えたりする人はごく少数派で、一般社会からしてみたら、オタクと呼ばれてしまいそうな部類なのです。

多くの人はそんなことを気にすることもありません。でもそれは、われわれが今ここに存在していることの奇跡的な連続性を考えれば、非常に重要なことの一つになることと思います。

私は、奥茨城村に生まれたことの必然性を、アラカンになってさらに自覚するようになりました。(笑)

記念すべき最初の記事「1.まつろわぬものと支配者の構造」に浅薄ながら現在の自分を形成する3つの要素について記しました。

それはスピリチュアル系の影響を多分に受けた解釈でした。

もういちど記してみます。(順番を変えました。)

1.遺伝子(先祖)                 =a

2.今世の経験値(原動力は好奇心)     =x

3.過去世の経験値(自覚できる人はまれ) =b

 

数式で表せば 霊的年齢y=ax+b または、y=bx+a

 

実際はもっと複雑になるのでしょうが、わたしにはxが少ないので中学生にもわかる数式でしか表現できません。

あしからず。

 この式からすれば、xと掛け合わせることになるのが、aなのかbなのかは、時と場合によって変わりそうなのですが、大切なことはx、すくなくとも現世の経験が飛躍的に霊的年齢を成長させることになるのです。

ここに気付いてほしいわけですね。もしかしたらX^2(Xの2乗)かもしれません。

 たとえば、代々学力が高く、勉強をしなくとも東大に合格してしまうような家系があります。

生まれつき頭が良いわけです。

これは霊的成長のベースとなるものが、aでもありbでもあり得る例なのですが、東大を出て、上級公務員に合格しキャリアになったとしても、現在の政治を見てみれば、決して霊的年齢が高いと言えないことは明白です。

理路整然の理路が権力者の都合によって変わってしまうからです。

 理路の理は天の理でなければなりません。

天の理は簡単に言えば、誰もが健康で文化的な生活を送れるということでしょうか。

この奥には基本的人権や自由さが隠されています。

したがって現政権は天の理では動いていません。己の私利私欲のみです。

また理は性善説に裏づけされた「直観」だったりもします。

とんびが鷹を産んだり、カエルの子はカエルだったり、日本には両極のことわざがあります。どちらも現実にはあることですが、重要なのは、その時の「とんび」や「カエル」つまり、親も「鷹」や「子ガエル」を持つことでの経験(学び)があるのです。もちろん「鷹」にも「子ガエル」にも別な経験(学び)があるのです。

もっとも基本的な社会の縮図である家族は、成長の原点となるわけですが、相互に影響しあうことが重要なポイントになるのです。

これは家族以外でも同様ですから、かっこよく言えば、一期一会だとか、運命の出会いだとかがあり、また、たまたま同級生になったとか、会社の同僚になったりした人が、相互に多大な影響を及ぼしあい、霊的にも現世的にも歳を重ねていくわけです。

上記の地名のことで言えば、Xが不足しているわけです。何に興味を示すかで、その人の霊的年齢がある程度推測できると考えます。

単純化した例を挙げれば、霊的に幼い人の特徴は、

 ①大きな障害もなく一生を終える。(起伏の少ない人生を送る)

健康にしろ、経済面にしろ、人間関係にしろ、特別な問題もなく一生を終える人。

いつもあいつツイてるな、と周りの人に感じさせる人。

このタイプの人は、人間に成り立ての場合が多いと思われます。(もちろんその前は動物、それも犬か猫でしょうね)

 簡単に言えば、Something Great と一体化するまで、何度も人間として生まれ変わり経験を積んでいくためには、人間っていいなと思わせる必要があるからだと考えています。最初から困難な人生を送れるはずはありません。

経済面で言えば、宝くじに当たって大金持ちになり、社会に還元しない人などがこの部類でしょう。土地成金は典型的な例です。大都市の地主などは良い例でしょう。ただし、そのお金で社会的な活動をしている人は、また別な類の人たちです。

②戦いを好む。戦争や口論はその例でしょう。つまり勝つことに執着する。

 ♪それなのに僕ら人間は、どうしてこうも比べたがる?ひとりひとり違うのにその中で一番になりたがる?♪

栗本慎一郎の言う「現代の病」や高木善之のいう「モア&モア教」に通じるものを感じます。

 自分の所属している集団、部活でも、クラスでも、思想でも、宗教でも、国家でもそれは存在します。

徒党を組みたがる人はこの範疇に入ると思われます。

③感情的な人

すぐ切れる人、すぐ泣く人。妙にはしゃぐ人。感情を抑えきれない人です。

④依存しやすい人

金銭、性的、親、子供、友達、宗教、見えない世界などに依存してしまう人たちです。単純なところではゲーム、パチンコ、風俗、アルコール、タバコなど、たくさんあります。

複雑なところでは、子離れ、親離れできない人たち。20歳すぎて、あたしパパ大好きな人だから、などという女子。他人との話の中で、うちの娘は、といえず、うちのメグは・・・などと愛称で呼ぶタイプのぶりっ子母さん。孤独が耐えられない人。

新興宗教にはまって、お祈りしていさえすれば、なんでもカタが着くと思っている人。

また、物に執着する人。○○マニアなどがその類でしょう。

 世の中には過去生を記憶したまま生まれてくる人たちもいるようです。このことは脳が記憶の媒体ではないことを証明しているように思えます。


さて、神社です。


常陸国には式内社が27社ありましたが、那賀郡と久慈郡はそれぞれ7つの式内社があり、常陸国の半分を占めています。古代の常陸国の中心は、総社のあった南部の平坦地ではなく、県北の山間地だったことを意味しています。これは主食である米の生産が谷津田と呼ばれる、沢水を利用していたらしいことが要因であり、また鉄や玉類の鉱物もまた県北山間地でとれたことに起因すると考えます。


集権制が確立し、税金(年貢)制度が成立してくるとともに、実際に作業をしない権力者は平地の日当たりのよい広く平坦な場所に住むようになったのでしょう。

その後に決められた一の宮や二の宮の称号には古代史においては何の意味もありません。なんにでも順位を付けたがる霊的年齢の低い輩の決めたことです。


 道路に面した一の鳥居

  

 二の鳥居                          拝殿

 由緒書


1.御祭神 五十猛命を祭る。

2.由緒沿革 五十猛命は素戔嗚尊の御子でまたの名を大屋彦命といい、御母は大夜之神である。

五十猛は父君に従って新羅の国に渡り、杉、桧、樟(くすのき)等の八十木種を播種された後、その樹種を持ち帰り、筑紫(九州)の島より、広く八州の国々に播種された。山林はうっそうと茂り、貴重な用材となった。爾来、五十猛命を有功神と申して、森林育成保護の神として祭ってきた。青山と言う社名も地名も御神徳より出たものと伝えられている。

中略

中世誤りて若宮八幡と称し、また鹿島明神とも申された。元禄九年十一月二日、水戸藩主光圀公は当社の事績をただして往古に復し、青山神社と改められた。

後略

3.神宝

(一)埴輪女子頭部、元禄年間、社殿再建の際、本殿地より発掘した奉納品である。

(二)天狗面、秋季大祭の時、神輿と天狗面を出して、祭礼する宝物である。

(三)大弓一張、徳川斉昭公奉納品である。

後略


茨城県神社誌より引用

宝亀三年(773年)創建

境内社 天王宮(素戔嗚尊) 八幡神社(誉田別命) 富士神社(木花開耶姫命) 疱瘡神社(月読命)稲荷神社(倉稲魂命) 道祖神社(猿田彦命)



  

 拝殿扁額 神霊治天壌                    拝殿彫刻 鶴



 本殿 千木は男千木


 境内の古墳と思われるマウンド


  
 境内社  天王宮(素戔嗚)               境内社



 境内社 左 疱瘡神社(月読命) 右 道祖神社(猿田彦命)


境内社には一般的な祭神と異なるものがあり、面白いものです。たとえば上の 疱瘡神社(月読命)は普通は月読尊やスサノヲになっていることが多いのですが、ここでは月読命になっています。


われわれは月読は大山祇ではなく、月がアイラツ姫を代表とする女性を表す言葉であるから、その母親でもある女性神の大市(越智)姫だと考えていますから、こういう境内社があることは、「本物」が残っている証拠だと「ニヤリ」とするのです。(笑)


しかし、隣の道祖神社は猿田彦になっていて、その「ニヤリ」が半減されてしまいます。(笑)


さらにしかし、道祖神の大元は岐(くなと)神=長髄彦であることを知っているわれわれは、長髄彦を隠蔽するための、霊的年齢の低い、イカスリ勢力の仕業と考えることに躊躇しません。


神栖市の息栖神社は於岐津背神=岐神=長髄彦を祀る神社ですが、神社の周りに猿田姓が多いのは


この状況証拠となるかもしれません。つまり、後世に岐神=道祖神を猿田彦にすり替えてから移り住んだと考えられます。


  
 境内社 稲荷神社              境内社 八幡神社

青山神社のYouTube動画はこちら

https://youtu.be/-CRYGYhNO4A


百嶋由一郎先生の演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


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