109.愛宕山探検記(笠間市:旧岩間町) | 常陸国ふしぎ探検隊-それは天津甕星から始まった

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「まつろわぬ」というキーワードから常陸国の歴史を見つめなおします。常陸国は東海道の東のはずれ、鹿児島から始まる中央構造線の終点です。
神社探検の動画はこちら
→ https://youtu.be/8gVu8qGihD8

く今回の探検は笠間市(旧岩間町)泉に鎮座する愛宕神社です。


茨城県で愛宕さんと言えば、まず岩間の愛宕さんを想い浮かべることでしょう。

それほど茨城県では有名な天狗の神社です。祭神はカグツチ、イザナミ、ハニヤマヒメ、ミズハノメ、ホムスビ。


冒頭から秘密を暴露します。(笑)

カグツチとイザナミは兄妹で、ハニヤマヒメは埴安姫、実は大市姫で奥さん、ミズハノメはその娘になります。ホムスビはカグツチ本人ですね。






系図上(事実ではないと言う意味を含む)大山祇(タノカンサー弟:田神様)は金山彦の別名であることの提起でもあります。

大山祇は月読神ですから、名前からすれば女性になるはずです。つまり、本当の大山祇は系図上姉である大市姫だとする解釈です。

おそらく大市墓:ハシハカ古墳の埋葬者になると、百嶋先生は言っておられましたね。

弟タノカンサーが金山彦なら兄タノカンサーである大幡主ももちろん金山彦の別名になります。

同様に大幡主は埴安姫ということになります。

金山彦は田氏(斉国)だということが一つの根拠です。(舃 (せきのくつ) 宮古の縁側日記参照)

このことが大山祇神社の真相に迫る糸口になってくるのです。(河野姓の出自の再構築要となる)

天狗と言えば、栃木県鹿沼市の古峰(ふるみね)神社がありました。

祭神は日本武尊でした。


 駐車場にある境内図


 

 拝殿


  

拝殿 扁額と龍の彫刻 神紋は左三つ巴        拝殿に奉納された天狗の面

                    
  

拝殿前の防火水槽のヤツデ紋 

天狗にはヤツデが良く似合う(隊長)      本殿 

 

  

 パワースポット 波動とは何ぞや?      波動?が出ている岩脈 宇宙戦艦ヤマトか?


こういう石碑を立てることで神社は世俗的なものだと証明してしまう。

自ら品格を下げてしまうと感じる参拝者は少なからずいることでしょう。

こんなことはサラッとやりましょうね。(笑)

現在の科学技術ではパワースポットの定義などできるはずもなく、儲かれば何でもありの最近労基に強制調査に入られたような、半島系広告代理店子飼いのインチキ霊能者が作ったことばですから現世ご利益はありません。

当たるも八卦当たらぬも八卦と同じようなものです。癒されると思えば癒されるし、気持ちが良いと思えば気持ちが良いものです。

しかし間違いなく地球の発するエネルギーはあります。

大自然の作り出した岩脈。

春になれば咲き誇る桜。

眼下に見渡せる住民の気配。

社殿。

見事な彫刻。

すべて地球のエネルギーの結晶です。

これが奇跡と呼ぶべきものでしょう。


  

 社殿の神紋  二引き両           飯綱神社の神紋 カタバミ紋



 奥社の説明看板


    
本殿後ろにある奥社の飯綱神社 祭神は手力雄命。   扁額


飯綱神社は長野県の飯縄神社が本宮でしょう。祭神は大戸道(オオトノヂ)、大戸辺(オオトノベ)、保食(ウケモチ)。


大戸道は長髄彦、大戸辺は瀛ツ世襲足姫(おきつよそたらしひめ)、保食命は倉稲魂(うかのみたま)。

手力雄は天岩戸を開け、天照を岩屋から外に出した神話で誰でも知っている神です。

百嶋系図ではそれをスサノヲとしています。

岩戸は天照に「叛」を起こした長髄彦のたとえでしょうか。

だから岩戸を大戸之道にしている可能性はあります。

百嶋系図では三人ともスサノヲの子になっていますが、われわれの分析では、瀛ツ世襲足姫は長髄彦の妻で、五瀬命と神俣姫(=丹生津姫)の子になると思われます。

(五瀬とアイラツ姫は百嶋系図では兄妹になっています)

理由の一つはその名前です。

瀛は金山彦系を表しています。

スサノヲは金山彦の妹であるイザナミの子とされていますから、瀛(えい)を使ってもよさそうですが、茨城県神栖市の息栖神社では、男瓶女瓶として長髄彦と一緒に祀られています。

したがって兄妹ではなく夫婦と考える方が妥当でしょう。

すると、金山彦の血を引くためには、五瀬命の子だとするしかなくなります。

長野の飯縄神社に保食神が祀られていることには深い理由がありそうです。

それは建御名方(諏訪大社の祭神)の出自に関することになります。

母親は瀛ツ世襲足姫(おきつよそたらしひめ)でよさそうですが、百嶋系図でも父親は建御雷か長髄彦かはっきりしていません。

通説のように大国主とする考えも否定はできません。

詳しくは別項で述べますが、われわれの出した結論は、父親は大国主か長髄彦か、母親である瀛ツ世襲足姫でさえも解らなかったということになりました。

そこで登場するのが、兄妹である保食神なのです。

瀛ツ世襲足姫は育児ができない人なのです。😅

保食神は建御名方の育ての親となります。

百嶋資料にある、おさがわせ姫だとかアメノヒリトメヒメ(尻軽女)と呼ばれてしまう所以です。


石段のところにあった看板で説明のあった六角形の夷針神社 


茨城町大戸の式内社に夷針神社があり、祭神は奥津彦(おきつひこ)、奥津姫(おきつひめ)。

竃(かまど)の神とも言われています。

私の地元では1月16日は「藪入り」と言って、竃の神を祀るオカマ様(当地ではオガマ様となまります)という行事をしていた記憶があります。

落語にもなっていますね。

江戸時代のホモ話です。「オカマ様」という名前で予想が付くでしょう。(笑)

戦国武将には「釜を掘っていた」話がたくさん伝わっています。

良く言えば「お小姓」ですね。

現代においても、戦後政治がやっとまともになりかけていた時に衆議院定数五増五減をいきなり持ち出し、衆議院を解散した時の首相は、若かりしとき大元帥中〇根元首相の「お小姓さん」だった話がありますね。

これを隠語で「菊花の契り」というようです。菊花といっても、天皇陛下に誓うわけではありません。

「お釜」のかたちがが「菊花」に似ているからです。梅干し食べてスッパマン!の口の形ですね(笑)

禁断の黄門様を破って入るから藪入りなのでしょうか。

現代日本の最大の売国奴は植草一秀氏の著書などによれば、郵政民営化をした、先祖が鹿児島田布施出身の元首相と日本最大の派遣会社パ〇ナ会長、住民票をあっちこっち移動させて住民税を回避していた噂のある竹〇のコンビですが、平成の「お小姓」さんもそれに負けず劣らずでしょう。


さて、竃の神は神道では奥津彦、奥津姫、カグツチ=愛宕。仏教では三宝荒神。陰陽道では土公神。

ここの解釈は次のようになるでしょう。

奥津彦は本来瀛ツ彦で秦の始皇帝(嬴政:えいせいあるいはウズマサ)から金山彦に伝わった瀛の継承者すなわちモーセ継承者(ユダヤ教ではなくミトラ教でしょう)の長髄彦(=天津甕星=カガセオ)であり、奥津姫は瀛ツ世襲足姫(おきつよそたらしひめ)です。

百嶋先生が「瀛」はイチキシマが継承していると何度も繰り返していたのは、イチキシマの正体はオキツヨソだよ、早く気づきなさい、ということのような気がします。

息栖神社の長髄彦とオキツヨソ、男瓶女瓶は、オカマメカマと転訛し竃の神になって行ったものと考えられます。

瓶の正体は竃(かまど)ではなく「タタラ」でしょう。溶鉱炉です。

砂や石から銅や鉄や金を取り出す魔法の窯(かま)=釜です。最も大事なことは剣ではなく農機具つまり利剣を作ったことにあると、意識の転換を図らねばなりません。

人間が生きていく上で戦いと食糧とどちらが大切か?幼稚園児でもわかることが、見栄や格式などによってわからなくなっています。

だから長髄彦は天利剣(あめのとつるぎ)なのであり、ヤマトタケルは草をなぎ倒すのです。

草をなぎ倒すのは鎌です。「窯」から作った「鎌」なのです。

諏訪神社の屋根に鎌の造形があったり鎌を奉納するのは、建南方(タケミナカタ)が彼らの継承者だからだと、素直に推測できます。

古墳に金属製の農機具が発掘されないのは、ずっと使われ続けたからと考えることもできます。

人を殺める刀剣は武士の魂とか言われていますが、平和な時には必要のないものです。クワやスキにした方がどれだけ役に立つか。

だから利剣と呼ばれるのでしょう。

刀剣が武士の魂ということからも、武士はモノノフであり、モノノベであり、ヘブライの最下層民から下剋上を果たして崇神系につながる物部の祖と言われる、山幸彦ニギハヤヒ系統であることが理解できます。

つまり先代旧事本紀は記紀と同様に下剋上によって政権を奪取した、ゾロアスター教を信奉する勢力の意向が大きく反映されていると考えます。

お寺と一口に言いますが、八萬大蔵経系のお寺と呪詛を中心としたゾロアスター系統のお寺に大別できそうです。

戦国武将が好んで奉斎したお寺の本質は、あれだけ人殺しができるということは表向きの宗派とは無関係で、ミトラ教から人類の霊性の低下によって生じた(劣化した)ゾロアスター系のお寺でしょう。

汝殺すべからず、などどいう戒めを律としなければならなかった悪しき時代の遺産です。


仏教の「三宝荒神」はWIKIによれば、

荒神は、仏法ならびに伽藍の守護神のことである。

役小角が金剛山で祈祷していると、艮(北東)の方角に赤雲がなびき、荒神が現れ、その地に祠をつくって祀ったという伝説がある。また、荒魂を祀って荒神としたという説もある。後者は、ヒンドゥー教での悪神が仏教に帰依した後に守護神・護法善神とされた風習が、日本の風土でも同じくされたと解釈される。

像容としての荒神は、インド由来の仏教尊像ではなく、日本仏教の信仰の中で独自に発展した尊像であり、三宝荒神はその代表的な物である。日本古来の荒魂(あらみたま)に、古代インドに源泉をもつ夜叉神の形態が取り入れられ、神道、密教、山岳信仰などのさまざまな要素が混交して成立した。荒神をる寺院や神社は日本全国に約300社ある。


神道の神様名で言うと、

①カグツチ=愛宕=金山彦=根裂

②大山咋=日吉山王=松尾=クマカブトアラカジヒコ

③鴨玉依姫


陰陽道の土公もWIKIより引用しす。


土公神(どくしん・どこうしん)とは、陰陽道における神の一人。土をつかさどるとされ、仏教における「堅牢地神」(けんろうちしん=地天)と同体とされる。地域によっては土公様(どこうさま)とも呼ばれ、仏教における普賢菩薩を本地とするとされる。

土をつかさどるこの神は、季節によって遊行するとされ、春はかまど(古い時代かまどは土間に置かれ、土や石でできていた)、夏は門、秋は井戸、冬は庭にいるとされた。遊行している季節ごとにかまどや門、井戸、庭に関して土を動かす工事を行うと土公神の怒りをかい、祟りがあるという。

また、土公神はかまどの神(かまど神)ともされ、かまどにまつり朝晩に灯明を捧げることとされる。この神は、不浄を嫌い、刃物をかまどに向けてはならないとされる。


猿田彦神社の宇治土公氏が無関係なわけはないでしょう。

竃神の大元は、金山彦であることは以上から推定できます。その後を継いだのは、奥津彦=長髄彦になりますが、次の時代の大山咋の奥津彦は長髄彦を継承したのではなく乗っ取ったようです。

ここのところは長くなるなので別稿とします。

山幸彦(にぎはやひ)-大山咋-日中咋-崇神につながっていき、藤原氏の一派なったとだけ記しておきます。

それから、夷針神社のある住所が大戸(おおど)なのは大戸之道を祀っているからでしょう。


 
 十三天狗の祠


  

飯綱神社を後ろ側から見る          開山した徳一大師の宝塔


徳一の素性についても調査要ですね。奈良時代から平安前期にかけては僧の活躍が目立ちます。

義淵、行基、鑑真、道鏡、空海、最澄、円仁、徳一・・・。

ミトラ-ゾロアスターの流れ。ゾロアスターの各地方への伝搬によってアニミズムと融合して出てきたと思われる、ユダヤ系、キリスト系、ヒンズー系、シャカ系、イスラム系、の宗教。

日本で言えば、アニミズムから神道へ、そして一口には仏教と呼ばれる宗教との融合。小乗から大乗への変遷。武神としての仏神。そして現人神としての神道復活。

エントロピーの法則のように秩序から無秩序へ流れていきます。

その典型が経済至上主義。核開発。二度の原爆投下。チェルノブイリからフクシマへと続く文明崩壊の予感。

エントロピーの法則に抗うには、確固たる意志が必要となります。

成長していくという意志です。

パワースポットなどと遊んでいる時間は残されていません。


  

境内社 龍神様                        出雲神社

 

  

 松尾神社                           阿夫利神社

    

 

 百嶋由一郎先生の講演会CD、資料、神代系図を入用の方は、常陸国ふしぎ探検隊河野まで。

メール k_kplanning @yahoo.co.jp


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