鈴木大拙『日本的霊性』と『笑とる仏』
そうそう、1月2日に放送された、NHK『100分de日本人論』のことを書くの、すっかり忘れてた!
たまたま見ただけだったので、中沢新一さんの紹介する鈴木大拙『日本的霊性』の箇所だけでしたが…充分。
鈴木大拙は、私、大好きで3冊目の天使の写真集を創っている頃から、かなり多くの彼の著書を読み込んでいました。
その一つの答えが『笑とる仏』であり、『新釈 中国古典怪談』でも禅について語れるのです。
今、アマゾンで『日本的霊性』が岩波文庫のベストセラー1位になっているので、TVの力はスゴいなーと実感。それまで、鈴木大拙と言っても解ってくれない人の方が多かったのに… 大拙さんが亡くなった時はラジオでアナウンサーに禅ではなく「蝉(セミ)の研究家」と言われてしまうほど知られていない悲しい逸話があるほど。笑
中沢さんが指摘されていた、鎌倉仏教から勃興した日本の霊性に関しては、『日本的霊性』の中の「3 大地性」という章に詳しく書いてあります。
ここで大拙さんは、大地に根差さないことには、真の宗教性、霊性は成り立たないと語っています。
少し引用すると。
「宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。霊性の奥の院は実に大地の座にある。」
「それゆえ、宗教は親しく大地の上に起臥する人間──すなわち農民のなかから出るときにもっとも真実性をもつ。」
「大地の霊とは霊の生命ということである。この生命はかならず個体を根拠として生成する。個体は大地の連続である、大地に根をもって、大地から出て、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸している。それゆえ、個体にはいつも真実が宿っている。」
大拙さんは、平安時代は貴族の文化なので、大地に根差しておらず、真の霊性は生まれていないと指摘するのです。
鎌倉時代になり、日本の禅や浄土真宗により、大地に根差した霊性が発生すると指摘しています。
『笑とる仏』は、正にこの時代。農民の浄土真宗に基づく大地性、しかも、古墳という更に、古墳時代の人々の大地性をも含み、ニョキニョキと正に大地から生えい出た如くの造形なのです。
大拙さんの3番目の引用文、を再び記します。
「大地の霊とは霊の生命ということである。この生命はかならず個体を根拠として生成する。個体は大地の連続である、大地に根をもって、大地から出て、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸している。それゆえ、個体にはいつも真実が宿っている。」
だから個体には、石には真実が宿っているのです。あるいは「個体は大地の連続である」という物質還元の話は『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』でも語ったとおり。大地なしではありえません。
『笑とる仏』は鎌倉、室町の農民達の、正に大地に根差した
「日本的霊性の純粋素朴な発露の姿」 なのです。
だからこそ心を動かすのです。 大拙流に言うとこの頃から始まっているのです。
この写真集はただの、石仏好きなマニアや石棺仏の学術的な写真集ではありません。
そこには、鈴木大拙らをベースとした、日本の霊性が語られてるのです。
それは、私が写真それぞれに選んだ仏教引用文から伝わるものですが、その思想的背景に鋭くいち早く気付き、『笑とる仏』を見た瞬間、口に出して評価していただいた御仁は、宗教学者の釈徹宗氏と、大徳寺の山田宗正氏だけでした。奇しくも大拙さんが注目した浄土真宗と禅からの達人たちが。
中沢新一さんが重要視する「無分別智」については6年も前に私が三冊目の天使の写真集で語っていることなのですが、こんな力作が長く苦労して出版できないでいる現実は、世の中がわるいねぇ…。
そうそう、鈴木大拙さんの『日本的霊性』は入門書としては比較的難しい本なので、『禅と日本文化』等が入りやすいと思います。
つい最近までそんなに注目されている本でもありませんでしたが、やはり、TVの影響か、今は鈴木大拙の中で一番読まれている本のようです。
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たまたま見ただけだったので、中沢新一さんの紹介する鈴木大拙『日本的霊性』の箇所だけでしたが…充分。
鈴木大拙は、私、大好きで3冊目の天使の写真集を創っている頃から、かなり多くの彼の著書を読み込んでいました。
その一つの答えが『笑とる仏』であり、『新釈 中国古典怪談』でも禅について語れるのです。
今、アマゾンで『日本的霊性』が岩波文庫のベストセラー1位になっているので、TVの力はスゴいなーと実感。それまで、鈴木大拙と言っても解ってくれない人の方が多かったのに… 大拙さんが亡くなった時はラジオでアナウンサーに禅ではなく「蝉(セミ)の研究家」と言われてしまうほど知られていない悲しい逸話があるほど。笑
中沢さんが指摘されていた、鎌倉仏教から勃興した日本の霊性に関しては、『日本的霊性』の中の「3 大地性」という章に詳しく書いてあります。
ここで大拙さんは、大地に根差さないことには、真の宗教性、霊性は成り立たないと語っています。
少し引用すると。
「宗教は実にこの具体的なものからでないと発生しない。霊性の奥の院は実に大地の座にある。」
「それゆえ、宗教は親しく大地の上に起臥する人間──すなわち農民のなかから出るときにもっとも真実性をもつ。」
「大地の霊とは霊の生命ということである。この生命はかならず個体を根拠として生成する。個体は大地の連続である、大地に根をもって、大地から出て、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸している。それゆえ、個体にはいつも真実が宿っている。」
大拙さんは、平安時代は貴族の文化なので、大地に根差しておらず、真の霊性は生まれていないと指摘するのです。
鎌倉時代になり、日本の禅や浄土真宗により、大地に根差した霊性が発生すると指摘しています。
『笑とる仏』は、正にこの時代。農民の浄土真宗に基づく大地性、しかも、古墳という更に、古墳時代の人々の大地性をも含み、ニョキニョキと正に大地から生えい出た如くの造形なのです。
大拙さんの3番目の引用文、を再び記します。
「大地の霊とは霊の生命ということである。この生命はかならず個体を根拠として生成する。個体は大地の連続である、大地に根をもって、大地から出て、また大地に還る。個体の奥には大地の霊が呼吸している。それゆえ、個体にはいつも真実が宿っている。」
だから個体には、石には真実が宿っているのです。あるいは「個体は大地の連続である」という物質還元の話は『Talking with Angelsーイタリアの天使達ー』でも語ったとおり。大地なしではありえません。
『笑とる仏』は鎌倉、室町の農民達の、正に大地に根差した
「日本的霊性の純粋素朴な発露の姿」 なのです。
だからこそ心を動かすのです。 大拙流に言うとこの頃から始まっているのです。
この写真集はただの、石仏好きなマニアや石棺仏の学術的な写真集ではありません。
そこには、鈴木大拙らをベースとした、日本の霊性が語られてるのです。
それは、私が写真それぞれに選んだ仏教引用文から伝わるものですが、その思想的背景に鋭くいち早く気付き、『笑とる仏』を見た瞬間、口に出して評価していただいた御仁は、宗教学者の釈徹宗氏と、大徳寺の山田宗正氏だけでした。奇しくも大拙さんが注目した浄土真宗と禅からの達人たちが。
中沢新一さんが重要視する「無分別智」については6年も前に私が三冊目の天使の写真集で語っていることなのですが、こんな力作が長く苦労して出版できないでいる現実は、世の中がわるいねぇ…。
そうそう、鈴木大拙さんの『日本的霊性』は入門書としては比較的難しい本なので、『禅と日本文化』等が入りやすいと思います。
つい最近までそんなに注目されている本でもありませんでしたが、やはり、TVの影響か、今は鈴木大拙の中で一番読まれている本のようです。
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